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希望なき都市「東京」を捨てよ。日本経済をイチから救う真の方法

「地方創生」が叫ばれて久しい我が国ですが、地盤沈下が進む一方の地方経済。このまま少子化が進めば、消滅する都市が出てくるとの調査結果も存在します。そんな状況を、このまま手をこまねいて見ているしかないのでしょうか。米国在住の作家・冷泉彰彦さんは今回、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、空洞化する地方が「経済のクオリティを上げる方法」を考察しています。

空洞化する地方、創生という欺瞞(日本型空洞化の研究)

田中角栄政権から、中曽根康弘政権まで約15年間の間に、もしかしたら日本には本当に先進国入りすることのできるチャンスがあったかもしれない、そう考えています。ですから、非常に大雑把な括りをすると1975年から1990年の15年間は、一種の過渡期(トランジション)として、日本という国は歴史的な運命によって試されていたのだと言えます。

その試験に残念ながら日本は落第したのでした。産業構造をモノからソフトに、中付加価値から高付加価値に、リスク回避からリスクの受容へ、そして何よりも国境の中に閉ざされた社会から、グローバリズムとダイレクトに結びついた社会へ、そうしや改革ができなかった、そのために経済のクオリティが落ちた、それがこの15年の結果だったのです。

顕著だったのが地方でした。

日本の地方は、1970年前後までは農村地帯でした。そこに、急速に工業化が押し寄せました。田中角栄の主唱した「列島改造」というのは、そうした工業化による経済成長を地方に及ぼす、そこで各地域に中核都市を作って、日本全国を一律的に発展させようというものでした。

勿論、正しくはありません。この1973年から74年という時点で、工業生産の拠点を地方経済の柱にすること自体が間違っていたのであって、本来であればモノではなく、ソフトに、例えば金融やソフトウェアなどの知的な産業にシフトしつつ、一極集中を避けて全国が発展するような設計にすべきだったのです。

そうではあるのですが、この時期に一極集中という「いびつな」発展は誤りだったとして、地方への経済成長の波及を狙ったという「列島改造」については、全面的に否定すべきものではないと思います。

ですが、この列島改造の評判は散々でした。地方の中核都市では地価の上昇により混乱が生じたのです。また、都会の世論は「公害を地方に分散するのは反対」という「持てる側」によくある偽善的な自省論を叫んでいたのでした。

結果的にこの構想は潰されたわけですが、では中曽根から竹下のバブル時代にはどうだったのかというと、今度は「全国リゾート構想」ということに、各地に良く分からないテーマパークやリゾートをジャンジャン建設したのです。

これは奇妙な政策でした。当時は、エレクトロニクスと自動車という「モノづくりそのもの」が全開モードの時代で、幸いにこの分野での国際競争力は最高だったので、外貨がどんどん流入、アメリカなどからは貿易黒字が批判されていたのです。

そこで、余剰キャッシュは国内に投資して、内需を拡大して成長しよう、つまりこれ以上の輸出拡大は「怒られるから止めておこう」という何とも弱気な判断があったのでした。中曽根は国士だとか愛国者と思われていますが、このようなインチキで国辱的な政策を「おめおめと受け入れた」事実を考えると、そんな評価は絶対にできないと思います。

当時はまだ平成時代のような「最悪の長時間労働社会」ではありませんでしたが、決して休暇が取りやすいわけでもないのに、国内にリゾートをドンドン建設して上手くいくはずがありません。その結果として、バブル崩壊から97年の金融危機に至る急速な日本経済の崩壊の中で、地方経済は過剰に痛めつけられたのでした。

では、角栄時代に広がった各地の工業はどうなったかというと、その後は、ジワジワと空洞化して行きました。例えばアパレル、軽工業、電子関連、自動車部品関連などの多くは、やがて中国が世界の工場として高い生産性を見せるようになると、そちらに生産拠点が移って行ったのです。

そこから先は一気に下り坂が続いています。個別の事件としては、例えば拓銀破綻というのは、リゾート開発破綻の結果ですし、地方銀行の苦境というのは、地価下落による担保価値のダウンが大きいように思います。

また農林水産業に関しては、後継者の問題が大きい中で「先進国水準の生活水準を保つ」ような収益を上げるには「大規模化」と「高付加価値化」が不可避なわけですが、それも思うように進まない中で、兼業農家の高齢化だけが放置された格好です。

私はそれでも地方には可能性が残っていると思っていました。

というのは、東京というのは全く希望がない場所だからです。例えば国際化ということで考えると、東京というのは過去70年にわたって常に「欧米への劣等感を固定化」してきたのでした。地方より東京が偉い、それは東京が欧米に近いからで、その意味で地方よりは東京は国際化しているというような論理です。

これは間違っています。別に日本は欧米に劣後しているのではないのです。日本の各地には、様々な伝統や文化があり、その一つ一つは諸外国に劣るものではないわけで、仮に東京という街が「地方<東京<海外」という意味のない優劣意識に汚染されているのであれば、いっそ東京をスキップして地方がダイレクトに国際社会に繋がっていけば良いのです。

その意味で、例えば2025年には大阪万博が夢洲で行われるわけです。大阪が再生するには、この万博を「東京の広告代理店や政府が仕切って」何となく70年の万博の再現のようなイメージで考えている、その構想を全部否定する必要があるように思います。

2025年に行われる万博というのは、出展する企業の多くはアジアの多国籍企業になるでしょう。またそうでなければ大きな資金を集めることは不可能です。そして、公用語は英語になると思います。そしてインバウンドのお客が過半数になる、その上で、大阪が更に一段高い国際都市として飛躍する、そのような契機とするべきです。

もっと言えば、大阪が商都として復権するには、大阪という街は英語で株式上場ができ、英語で迅速な裁判による仲裁が期待でき、英語で見本市や国際会議ができる、その上で英語で楽しめるエンタメや料飲がものすごい規模である、そんな環境を作ることが必要です。

例えば、大阪リニアというのも、そのように大阪が英語で商売のできる、英語で観光のできる国際都市になっていれば、リニアによって東京との交通が1時間という利便性が実現した際にも、「ストロー効果」で東京の経済を吸い上げる事が可能になるのではないかと思うのです。

同じように、冬季五輪を招致しようとしている札幌もそうです。次回の札幌冬季五輪というのは、札幌広域圏が「ニセコのように英語圏になる」ことで、豪州やNZだけでなくアジア、北米、欧州から以降はジャンジャン直行便が来て、ウィンタースポーツと料飲、そしてエンタメ、更にはビジネスなどを展開する場所になっていくべきです。

例えば北海道新幹線も、東京に来たインバウンドの人々を4時間半かけて札幌に引っ張るのではなく、まずお客を札幌に入れて、ニセコでスキー、函館で観光、そして本州もオプションで、という感じで北海道中心の目線で回遊してもらう、そのためのインフラとして位置づけたらどうかと思うのです。

とにかく、地方がダイレクトにグローバルな社会に直結する、そうして高齢単身世帯ばかりで沈んでいく東京を横目に、改めて経済のクオリティを上げていく牽引車になるべきなのです。

その意味で、今回の大学入試をめぐる騒動で、地方イコール守旧派という立ち回りに至ったのは全くの誤りと思います。東京がやってきたマークシート入試は、それこそ硬直化したベルトコンベヤー生産の非人間的なカルチャーの産物でした。

そうでなくて、地方こそが、使える英語、自由な発想法で若い人を育てて、ダイレクトに世界とつながって行くべきなのです。この点に関しては、私の落胆は深く重いものがあります。

その意味で「地方創生」という言葉はもう賞味期限が過ぎたのではないでしょうか。この言葉の意味は「頑張ろう日本」などと同じで、「地方が大変だということを分かっている」という記号に過ぎません。地方を変えて、その中にある可能性を引き出し、それをグローバルな世界に結びつけて行く作業は、もっと別の言葉によって主導されるべきと思います。

image by: Shutterstock.com

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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