日常こそが本当の真剣勝負の場。道場で父から受けた剣の道の教え

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社会人であれば、誰もが一度は厳しい上司や過酷なノルマに押しつぶされそうになったことがあるのではないでしょうか。そんな時どう行動すればいいのか、そのヒントは剣道教士八段・一川一氏の語る「大成への大道」にあるかもしれません。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、氏が亡き父から教わった剣の道が、いかに人生において有意義なものであるかを、様々なエピソードを交え紹介しています。

剣道家の父が、兄を目覚めさせた言葉

本日は『致知』2013年5月号より、剣道教士八段・一川一(いちかわ・はじめ)氏の随想記事をご紹介します。

「市井の剣道」 一川一(剣道教士八段)

中学時代に剣の道に分け入り、気がつけば早半世紀以上が経ちます。

修練を重ねるほどにこの道の奥深さ、険しさを痛感するいま、私の大切な拠り所となっているのが、父の遺してくれた教えです。

範士八段、当代一流の剣道家にして野田派二天一流第十七代でもあった父は、終生求道の歩みを止めることなく、その人生を通じて得た様々な学び、悟りを膨大な紙片に書き遺しました。

「剣道は、元来、相殺傷する技術を学ぶので、残忍殺伐な道のように思われるむきもあるが、決してそのようなものではなく、あくまで教育的、道徳的な体育であり、精神修養法である」

「剣道で、勝ちさえすればよいという試合や、それを目的とした稽古をしていたのでは決して本物にはなれない。目先の勝敗にとらわれず、基本に忠実な正しい稽古を地道に積み重ねる。稽古の本旨はここにあり、それが大成への大道である」

最近の剣道は、父の説く「大成への大道」から外れ、勝ち負けにばかり目を向けがちなことが気掛かりです。

大会などで華々しく活躍するのはごく一部の人であり、大半はそうした華やかな場とはあまり縁のないところで黙々と修業に励む“市井”の剣道家です。

では、試合という目標のない剣道家たちが目指すべきものはなんでしょうか。私は剣の五徳、即ち正義、廉恥、勇武、礼節、謙譲だと考えます。もちろんこれは、大会に出場する人も目指すべき普遍的な目標です。

父の生前、こんな諭しを受けました。

「お前は道場の門をくぐる時、『よし、やるぞ』と両刀手挟んで入ってくるが、それは逆だ。日常こそが本当の真剣勝負の場であり、道場から出て行く時にこそ気を引き締めなければならない」

確かに道場の中は、防具を着け、指導者の下で技術を修める場にすぎません。剣道家としての真価が問われるのはまさに日常の場なのです。

同じく剣道を学んでいた兄は、大学時代に九州チャンピオンになるほどの腕前でしたが、就職後は竹刀を握る機会もなく、職場での苦しい胸中を父に打ち明けていたのを側で聞いたことがあります。

父は兄に「お前は剣道を学んできたのだろう」とたしなめ、こう諭しました。

「剣道の技量を伸ばすには、厳しい先生にかからなければならない。職場も一緒だ。厳しい上司に打たれても、打たれても、『お願いします』と真摯に向かい続けなさい」

自分の弱さを隠すことなく、真剣に打たれること。打たれる度に反省し出直すこと。兄は父のアドバイスを心に努力を重ね、その後営業でトップの成績を収めました。

いくら剣道の修練を積んでも、それで生計を立てていくわけではありません。大切なことは、道場で学んだ業を一般社会で実行していくこと。修業から修行へと昇華していくことです。

剣道の稽古は自分一人ではできません。相手があって初めて成り立ちます。そして相手は打ち負かす敵ではなく、自分を育ててくれる師なのです。

剣道が礼に始まり礼に終わるのは、きょうはいい稽古をさせていただきました、おかげで成長できました、と相手があって自分があることを自覚し、敬意と感謝の心で向き合うことを説いているのです。ゆえに私は、中学生と稽古する時も七段、八段の高段者と竹刀を合わせるのと同じ真剣さで向き合います。

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