死刑が区切りではない。重度障がい者と共にある社会に必要なこと

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2016年7月に神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」で起こった事件の一審判決は、求刑通り死刑となりました。重度障がい者の生涯学習に携わり、この事件に大きな関心を寄せてきたメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』著者の引地達也さんは、「死刑」を区切りにしてよいはずはないと声を上げます。引地さんは、50年前に先人が語った「保護」を「隔離」にしてはならないという考えの浸透と、そのための「学び」の重要性を訴えています。

福祉の中の「教育」から見出す「ほんとうの意味」

神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人を殺傷した事件で、横浜地裁は被告の男性に死刑判決を言い渡した。重度障がい者への一方的な偏見による身勝手な犯行に「死刑」で区切りを打ってよいはずはなく、私たちの社会が被告の偏見を生み出してしまったという自覚を持ちつつ、重度障がい者とともにある社会を具体的に描かなければいけないと考えている。

私の活動に関連付けるならば、障がい者という福祉の中にいる方々へ「教育」という概念を展開することで、共に学びあい、共に生きることを分かち合う、という考えを広く共有するところから始めたい。この教育とは、鋳型にはめ込む方式の「教え込む」のではなく、各々の特性に合わせた学びはすべて「教育」に値するという考え方であり、それは重度の知的障がい者にも対応する普遍的な思想であり、信念であることを社会の中で確認したいと思う。

重度障がい者への「教育」が、生きることへの尊重につながるという考え方は、半世紀以上前、重度の知的障がい者施設「やまばと学園」設立に向けて活動していた故長沢巌先生の文書でも必要性が強調されていたから、今始まったことではない。

1969年9月のやまばと学園の開設準備を伝える機関紙「やまばと」には、当時、重度障がい者を「隔離」する風潮が残る日本社会にあって、施設を重度知的障がい者の身の安全を守るための「保護」を「隔離」にならないように注意しなければならないと説いた上で、「施設を社会に対して開放されたものにしなければなりません。地域の人々がボンランテヤ(奉仕者)としていつも出入りするなどのことが望ましいと思います」(原文ママ)との考えを示す。

重度の障がいが「社会に出て働けるようになることは思いもよらない」と書きつつも、「彼らのうちにひそんでいるたとえわずかな能力でも、これをじゅうぶんに伸ばすことが、結局彼らをほんとうに人間として尊重したことになります」とし、教育の概念を強調する件となる。

「ひとりで食事ができるようになるとか、おしめがなくてもすむようになるとかいう、生活のごく基本的な事柄が達成されるだけのことであってもこの子たちにとってはじつにすばらしい進歩であるわけです。(中略)たとえきわめて遅々としていても、成長し続けるのだということを忘れてはなりません」とし、「『保護』とともに『教育』をわたしたちの仕事の眼目にするということです。やまばと学園の『学園』という名前はこの施設が教育の場であることを表しています」と断言する。

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