それが軍事組織の発想ならどうなるでしょう。上級指揮官の頭に浮かぶのは法律ではありません。なにをしなければならないのか、どうすれば国民を守ることができるか、です。そして、それに基づいて行動します。
神戸の情報についても、偵察のために部隊を投入します。行政も警察も消防も被災者である神戸から、待っていても情報が上がってくるはずはないのです。法律制度の不備については、必要な行動をとるなかで問題提起をしていく形になります。日本の官僚機構とはまったく逆の発想になること、平時型の発想の官僚機構では通用しないことがおわかりでしょう。
もっとも、平時の軍事組織の上級指揮官も官僚化してしまい、大規模災害はともかく、武力を伴う戦争に対応できるとは言えないことも知っておくべきでしょう。
例えば第2次世界大戦を例にとると、米国陸軍のトップであったマーシャル参謀総長は昇進が遅れて一介の陸軍少将でしかなかったアイゼンハワーを起用し、欧州戦線の勝利を手にしました。フランスでも、ドイツに押しまくられていた劣勢のなかで、准将の階級で低迷していたド・ゴールが頭角を現し、連合国の一員として戦勝国に名を連ねたのです。
アイゼンハワーもド・ゴールも、軍事官僚が幅をきかせる平時なら少将や准将で退役したことでしょう。有事だったからこそ、そして有事型の人間しか通用しない緊急事態だったから、手腕を発揮できたのです。
今回のコロナでも、安倍首相を頂点とする日本の政治と行政が、自ら平時型と有事型の違いを理解し、頭の中身を有事型に切り替えて初めて、国難を乗り越えることができると思います。(小川和久)
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