在米作家が大胆提言。9月入学をやるなら「2年半で卒業」を目指せ

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新型コロナウイルス流行防止のため休校を余儀なくされ大幅に授業時間をロスした子供たちの救済策として、入学時期の9月移行や早急なICTの導入などが議論されています。しかしそこでは、「子供たちの置かれた立場」は充分に考慮されているのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者でプリンストン日本語学校高等部主任を務める米国在住作家の冷泉彰彦さんが、「学習の遅れをどうするのか」を考えることが大切とした上で、その解決法を教育者としての目線で考察しています。

危機の中で、若者の教育をどう考えるか?

まず、今回のコロナ危機では「英語による知的生産性の習得」ということが、これからの若い世代には生きるためのベースとなるスキルとして大切だということが痛いほど立証されたと思います。

勿論、日本が全面的に英語圏になる必要はありませんが、経済のリアルな空間というのが、英語とテックによるヴァーチャルな空間にどんどん移行し、そこに対応する人材を育てるのが、国家的な急務ということは間違いないと思います。

いつまでも日本語、ペーパー、ハンコ、会議、通勤などにこだわっていたら、結局は明治維新が終わったのに、昔のカルチャーに固執している「不平士族」と同じで、そこに未来はありません。

ですから、ICTも大事だし、9月入学も大事なのです。改革にはコストが掛かります。ですが、正しい改革であれば、そのコストは何倍にもなってリターンとして返ってきます。反対に間違った改革を行えば、そのコストはカネをドブに捨てるだけです。

具体的には、次のようなイメージを持っています。

東京などの休校明けが遅れたので、この際だから9月入学にして学事歴を欧米に合わせるというのは、そのままやっていては「現在、学齢期にある子供たちが半年時間を浪費するのを黙認」するという、国家的なマイナスを認めることになります。その分、学費がかかるとか、教員をどうするとかいう議論がありますが、それ以前にマクロとしての「学習の遅れ」をどうするのか、ここが大切です。

一つ考えられるのは、例えば中高の場合に、3年のところを「コロナ休校」があったので3年半で卒業ということにして、それで次の大学なり高校なりに9月に入れるというのでは、とにかく個人も国家全体としても「半年ムダ」になってしまいます。そこで「2年半での卒業」を目指すようにカリキュラムを組み替えるのです。

例えば、当面の間は社会的距離を置く必要などから、部活はできても限定的になると思います。色々な行事も簡素化されたり、中止になったりします。ということは、時間的余裕があるということです。と言いますか、4月から今までもう50日近い時間が子供たちにはあったわけです。

こうした余裕時間を使って、教科内容をどんどん先へ進める工夫をすべきです。その際に、学校を開けない地区は一気に端末を投入し、そこに一気に最高レベルの教え方、ビジュアル、トークの内容を持ったソフトと、リモートの指導体制を入れて、教育水準の遅れを取り返す教育をすべきです。

文科省ができないのなら、民間の機関でもいいですし、場合によったら海外の教育機関でも構いません。とにかくリモートなら、物理的な距離などスッ飛ばして、何でもアリなのですから、前途有為、自身として健全な野心と動機を持った若者が、どんどん伸びていけるようにすべきです。

基本は、「家篭り」の期間に例えば数学を、例えば英語を、例えば生物を、物理を、化学を、中高それぞれのレベルでジャンジャン先へ先へ進める、国語だったら、青空で漱石と鴎外の全作品を読む位させればいいのです。英語なら、毎日新聞やニュースサイトをガンガン読みまくればいいわけで、その結果として、例えばですが「2年半」で大学レベルの知的議論ができるように自分を鍛えていって欲しいし、そのように大人は支援すべきということです。

そう考えると、今、大人がすべきことというのは、保守的な日本の中でも悪い意味で保守的な組織体質を持った文科省が変わるように批判したり、議論したりするという「回り道」をするのではなく、直接的に将来のある若者に対して、何をどう学んだらいいのか、を指針として示してゆくことなのだと思います。

とにかく、現在という時間は、若者にはとても大事な時間です。何よりも、世界が変わっていくことが手に取るように見える、その中から本当の21世紀の国際社会というのは、どんな形になっていくのかを考えていけるからです。これに加えて、時間があるというのはとても良いことです。若者たちが、思い切りこの時間を活用して、世界に飛躍するだけの学習に集中すること、そのために何ができるのか、そうした問題を考えることが、日本の未来を考えることなのはないでしょうか?

そう考えると、遅れていいから9月入学だとか、いや9月入学よりICTだとかいう議論は、やはりバカバカしいとしか言えないと思うのです。ドンドン若者を勉強させて、国際社会における知的生産活動に参加できるように鍛える、その視点が何よりも大切です。

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