いじめの認知件数がまた増えて、過去最多54万人ということでニュースになっている。ちなみにこれは文部科学省が発表した「平成30年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」からの数である。大分正しい認識が広がったが、学校が陰湿化している訳ではなく、些細なことでも学校が取り上げるようになった「成果」である。その意味では、以前よりも学校が開かれた明るい場になっているともいえる。
このいじめ行為をなくしたいと、誰しもが思う。だから心を教育しようとする。ここに無理が生じる。心は外的に変化させることはできない。
ここに、先の同調圧力をプラスに使えればいいのである。「人をいじめて楽しむ人とか、かっこ悪すぎる。信じられない」という常識である。「いじめ」が常識からの逸脱行為になっていれば、「おいおい、あなた空気読みなさいよ」ということになる。
そこをプラスの同調圧力にするためには、助け合いがスタンダードになっている必要がある。「人を助ける・親切にするのは、普通」という状態である。
それをずっと遡ると、「仲間の物が落ちていたら拾ってあげるのが普通」という常識がある。さらに「何かしてもらったらありがとうを言うのが普通」「人にはあいさつをするのが普通」という常識がある。
それらの些細なことから逸脱していくと、少しずつ逆の方向にいく。先のように「弱い人をいじめるのが普通」という誤った状態になり、同調圧力が違う方向に働いてしまう。一番落ちた状態が、正しい行動をとる人を「いい人ぶって」「かっこつけちゃって」と排除していく状態である。変な同調圧力がかかって、あらゆる正しい行動を取りにくくなる。
これは教室だけでなく、荒れた職場など社会全体でも、この原則は同じである。「悪ぶっている」人が幅を利かせているのは、多くの人にとって生きにくい状態である(だから、テレビのようなメディアに出演する人の言葉づかいやふるまいが、教室の子どもに与える影響は大きい。人気がある=社会的にそれが「よし」とされている、ということを学ぶからである)。
同調圧力自体に善悪はない。それよりも、この強力な同調圧力をどちらの方向に使うか。学級経営においても有用な視点である。
image by: Shutterstock.com