また安倍前総理も、菅総理も対策と経済のバランスについて、胸を張って「ここが最善」だなどということは言ったことはありません。何故なら、「正しいバランス」というのは、そこを狙って達成することはできず、そうではなくて対策派と経済派が必死になって、綱を両方向に引っ張って、初めて綱の中心があるべき位置で安定する、そうした性格のものだからです。
恐らく、安倍氏も菅氏も、直感的にそのことは分かっているのだと思います。官僚たちも、結局はそうするしかないと理解している、そう思います。そして、実際にそうしかやりようがないのです。何故ならばコロナ対策において「理想的なバランス」という立ち位置は、政治的には真空であって「誰もそれを支持しない」し、そこを立ち位置と宣言したら、その瞬間に両サイドから猛烈な攻撃を浴びて、「政治的突然死」するしかないからです。
勿論、アメリカのようにもっと低次元な世論が世論として勝手に綱引きをやって、バランスを取ってくれるということはあります。ですが、現状はその綱の位置は、理想からは完全に外れてしまっており、その結果が30万人の死亡という悲惨な結果につながっています。
一方で、中国は湖北省だけにパンデミックを抑え込みましたが、それは人々を綱引きの綱に触らせないという全く異なる政治体制だからできたことです。
では菅総理は理想的な政策を実施しているかというと、それはそうかもしれません。少なくとも、今回の「GoTo」を巡って、都市部の無責任な不安心理を「おもちゃ」にして、あわよくば中央政府を貶めて自分が国政への影響力を行使しようという「都市型の右派ポピュリスト首長」たちとか、更にそれよりもレベルの下がる「都合のいい感情論に乗って政府批判を行うことで統治能力がゼロだということを見せているだけ」の野党などと比較すれば、その差は歴然としていると思います。
問題は「ガースー発言」ぐらいですが、これは密室コミュニケーションだけで自民党総裁になれてしまうという自民党の制度の欠陥が反映しているということが1つあります。そして、コロナの「適正な政策」というのは、左右からの批判、対策派と経済派の批判が「ちょうど同じ大きさ」になった位置であって、「適正であっても誰も褒めてくれることはない」という政治的な事実に対する認識が甘いということを反映しています。
菅義偉という稀代の職業政治家が、そこをキチンと消化して、密室コミュニケーションだけでなく、パブリックスピーチを習得した大衆政治家に成長するかどうかは、この点の理解にかかっていると思われます。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)
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