福井謙一(故人)は日本で最初のノーベル賞化学者である。京都大学でのフロンティア軌道理論の研究で世界を驚かせ、この分野を切り開いた。著者が自分の先輩の研究について、福井先生に説明しにいった。その研究成果を詳しく話し始めたところ、少したって先生は不満そうにこう言われた。
「そんな細かいことを聞きたいのではない。その人の研究の成果を、縦書き一行で言ってごらん」。
著者は立ち往生した。先生はさらに「横書きの専門用語は使わず、縦書きの一行だ」と念押しされた。研究者はともすれば、研究の成果を一般の人に話すときも専門用語を使い過ぎる。思い上がりを反省した。
米国に行ってシカゴ大学の助教授を採用するときに、同じことを試してみた。「あなたが20年後にノーベル賞をとるとしたら、どんなタイトルになるか。誰にでもわかる言葉で、一言で表現しなさい」。
答えられた人は10人に1人もいなかった。この質問は大変に厳しいし、その人の学問に対する立ち位置を聞き出せる絶好のものであった。回答できた人は、今も素晴らしい研究を展開中だ。
著者は恩師のライバルの配下の研究者バリー・シャープレスと仲良しになった。バリーの恩師ファン・タメレンの教授室には机と椅子しかなく、雑誌や文献を読んでも先生はすぐに屑箱に捨ててしまい、決して残しておかない。
置いておくだけで自分の研究に影響を与えるのは絶対に嫌だ、という理由だという。その意地と覚悟を著者も真似る。半世紀にわたる親友は、後にノーベル賞を得た。
著者の京大時代の恩師・野崎一先生は、高校生の時、1時間の講義の内容をすべて俳句一句にまとめて、試験の前にそれを読めば済んだそうだ。よほど講義の内容を深く理解していないと難しい。
ある大会社の人事部長と話す機会があった。その人は面接のときの印象で入社志望の学生の最終決定をするという。
面接ではかならず「あなたのこれまでの人生は、とても幸運に恵まれたものでしたか。それともアンラッキーなことが多かったですか」と聞くという。そして、「自分はこれまで幸運に恵まれた」と言った人でないと採用しなかったそうである。
わたしはラッキーなことが多かったと、意地でも言う。安定したサラリーマン生活をあっさり捨てたわたしを、いまでも妻は喧嘩するとかならず激しくなじる。そういわれても仕方がないが…。
編集長 柴田忠男
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