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なぜ、国民年金を全額「税金」で支払っていた時期があったのか?

国民全員が支払う義務のある国民年金制度ですが、その創設時に200万人もの人へ全額「税金」で年金を支払っていた時期があったことをご存知でしょうか? メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』の著者で年金アドバイザーのhirokiさんが、知られざる「国民年金創設時の秘話」を紹介しています。

約60年前の「国民年金」創設時は、なぜ200万人もの人に全額税金で年金を支払い続ける必要があったのか?

この間は令和3年3月3日という3続きのひな祭りでしたね。

個人的に毎年3月3日が来るとふと頭がよぎる事があります。

それは61年前の昭和35年の3月3日というのが初めて国民年金の支払いが始まった日だからです。今じゃ考えられない事ですが、当時は全額税金で支払うという福祉的な年金から国民年金は始まりました。

あれ? 国民年金は昭和36年4月じゃないの? と思われたかもしれませんが、昭和36年4月の正式な国民年金が始まる前に全額税金による支払いをしていました。実際は昭和34年4月が国民年金法が成立した時です。この時はもうすでに高齢で保険料が支払えない70歳以上の人や身体障害者の方、母子家庭の方などに合計200万人に全額税で年金が支払われました(月額1000円ほど)。(昭和36年4月時点で50歳以上だった人も今現在わずかの人ですが特例的に貰えてる人はいる)

つまり、国民年金が出来た当時にすでに保険料が払える年齢ではない人に対して、先に税金での支払いを国民年金はやったわけです。令和現在でこの全額税による国民年金の受給権がある人は全国で400人程ですが、9割ほどの人は全額停止されてるので受給者は40人程です。全額税金で支払われてるので、他に扶養してくれる人や本人にそれなりに所得があるというような場合は停止されちゃうのですね。税金で支払われるとどうしても厳しい所得制限がかかるというデメリットがある。あれから61年が経ち、この全額税による年金ももう終わろうとしてるんだなと思うと一抹の寂しさはあります。

しかしながらどうして全額税金で年金支給という事を、昭和30年代の戦後復興からまだ10年ほどの時にやったのでしょうか。国民年金が創設される頃、当時は年金というと厚生年金や共済年金、それから元軍人や官吏だった人等に支払われる国から支給される恩給で占めていました。年金というとサラリーマンや公務員が貰うようなものだったわけです。

でも昭和30年代の主な産業だった第一次産業である農家や自営業、そして零細企業などは何の年金も無かったわけです。それに家族構成の変化が著しい時でもありました。昭和20年初期は物価のインフレが凄まじく、そのインフレを抑えるために厳しい財政の引き締めが行われました。アメリカの支援と日本政府の補助金で支えられていたようなものだったから、そういうのに頼るのではなくしっかりと税金を取りなさいよ、政府は支出を削減しなさいよと。財政の支出が厳しく切り詰められたため、インフレから深刻なデフレになってしまいました。財政の引き締めで不況に陥ったわけですね。でもすぐに日本は息を吹き返します。昭和25年に始まった朝鮮戦争により日本製品の需要が爆発的に増えたからです。

共産主義である北朝鮮が突然南下して、朝鮮半島を統一しようと資本主義側の韓国に攻め込んできました。共産勢力が突然攻め込んできたので、日本に駐留してるアメリカ軍が韓国を応援するために出動したわけです。その時にアメリカ軍が必要な物資を日本に注文してたので、日本企業の生産はフル回転ですよ。よってデフレを一気に克服した(朝鮮特需という)。アメリカに製品を売りまくったので、たっぷりとドルを蓄える事ができ、そのドルで沢山のアメリカの製品を買った。多くの民間設備投資をしたわけです。企業に最新の設備を導入していく事で、雇用者も増えていきました。昭和30年初期の高度経済成長に入ったばかりの頃は輸出中心ではなく、企業はアメリカあたりから最新の機械や技術を「輸入」してそれを向上にどんどん導入していきました。輸入中心の民間設備投資だったわけです。輸入で力を溜めたのが昭和30年から昭和36年までの神武景気から岩戸景気と呼ばれた好景気です。

しかし、輸出で外貨を稼がずに輸入ばっかりして買い物ばかりしてると持ってるドルが足りなくなってくるから、輸入中心の好景気は短命に終わる。国際収支の天井と呼ばれる状態になる。しかし、昭和39年に公共事業型の東京オリンピックによる好景気をはさんで、翌年昭和40年にちょっと景気悪くなりますけど、ようやく輸出中心の大型好景気(いざなぎ景気)が到来します。当時の日本の得意産業と言えば重化学工業。この頃から日本と言えば造船、鉄鋼、石油化学という高度経済成長のイメージが定着してきます。

そういえば日本の商品は安い(昭和24年から昭和46年まで1ドル360円という非常に円安で固定されていた)というイメージでしたけど、安いから売れたというわけではないです。やっぱ神武景気や岩戸景気で輸入によりしっかり設備投資して力を蓄えて、品質の良い商品が作れたからイザナギ景気で開花したともいえます。昔の人の凄い努力で日本の発展の基礎を築いた。(公害の問題もすごかったけど)

さて、高度経済成長で景気が良くなってくると、農家から都市部へと就職する人が増えてくるわけですね。昔は長男が家を継ぐという事がありましたが、子供が都市部へと出ていくわけです。昔の考え方だと、自分が老後を迎えたら子供が自分を支えてくれるという流れですね。子供が扶養してくれる事を期待するわけです。
つまり子供の給料で生活すると。
ところが子供が都市部へと出ていくと、自分の老後を支えてくれる人が居なくなりますよね。そうなると自分の老後はどうしようかと不安を持つ人が多くなってきたわけです。家族がバラバラになり、子供が老後の面倒を見てくれる形から、国が国民の老後の面倒を見なければならなくなるという形に変化してきたんです。核家族の増加による不安ですね。

よって、世論が我々にも年金を作ってほしいという声が高まってきたわけです。サラリーマンや公務員などの厚生年金や共済年金からあぶれた人を救う必要があった。

よって昭和33年の総選挙では国民年金創設が与党の自民党と野党の社会党にとってお互い最大の公約となり、勝った自民党が早速国民年金の創設に取り掛かります。この時は戦後最大の投票率となっている。国民全員に年金が受け取れるようにしたいというのが国民年金の理念でしたが、お手本となるような国が無く、どうやって国民全員に年金を支給しようかというのがわかりませんでした。

まず問題になったのは全額税でやるのか、保険料を支払うタイプでやるのかという事ですね。所得税どころか住民税も支払うのが困難な非課税世帯が多かったから全員に保険料を支払ってもらうのは困難だと考えられたから。3300万人中20%くらいの600万人程しか所得税納めてなかった。野党の社会党は税でやるべきだと主張しましたが、今後は高齢化が進行すると予想される日本において全額税でやるというのは将来余りにも莫大な予算が必要になる恐れがある事から取り入れられませんでした。今の国家予算見ても、とても全額税で年金支給なんて不可能ですよね^^;

しかしながら保険料を納めるようにしようとしても、国民年金法ができた時点でそもそも保険料を納められない人がいるわけです。全ての人に年金を出したいのに、保険料を支払わなければ出さないというのは酷なので、年齢的に保険料を支払えない人に対しては税金で支払うより他ないという事で全額税で支払われる人が居たという事です。税金で年金をやるのはあまりにも財政を圧迫するので、常に税金で国民年金を運営するわけにはいかないけども、やらざるを得なかった理由がそこなんですね。保険料納めた人だけが貰えるという制度が年金ではありますが、国民皆年金としてすべての人に年金が貰えるようにしたいという中で、すでに高齢で保険料納めれない人を除いてしまうと国民皆年金にはならないからですね。年齢という本人の努力ではどうしようもない理由の人は、国が一方的に支援するしかない。

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それにしても全額税による支払いが、保険料を支払って備える年金より先に行われたという事で心配があったんですね。

先に税金による年金の支払いをすると、年金は恒常的に税金で支払うという流れになりかねないから。最大野党だった社会党は国民年金は全額税金でやれってうるさかったですからね。

なのであくまでも補完的にやるものであるという事を幾度となく説明に加えられて、「年金は税で支払え」という税金派の意見を抑えていました。昭和34年4月に国民年金法が出来て、昭和34年11月分から昭和35年2月分までの4ヵ月分が昭和35年3月3日に支払われました。

令和現在のようにまだ偶数月の15日支払いではなかったですね(今のように偶数月に前2ヶ月分支払うのは平成2年2月改正から)。年金額としては月額1,000円でしたので、当時の貨幣価値としても低いものでした。やはり税金でやるとかなり給付が低くなるし、国の財政の都合ですぐ引き下げられてしまう。更に厳しい所得制限までかかってしまうのが税方式の年金。よく以前は野党辺りが全額税で年金を支給すべきと言ってましたが、さすがに今は税方式の年金を主張する事は無くなりました。税だとこのように制限が多すぎるし、どうしても給付が低くならざるを得ない。本末転倒でしかない。保険料を支払うタイプの年金は所得制限を掛けるのは禁じ手であり、安定して税より高い給付をする事が出来る。

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さて、とても低い年金だったけれども、本来は年金が支払われる対象ではなかった人達に年金が支払われた事で大変喜ばれました。金額が低いので文句言われる事もあったようですが、年金を貰えるなんて思いもよらない事だったので喜ばれたようです。また、年金という言葉がまだよく知られていなかったので、国民に対する恩給のようなものですよと言うとわかってもらえるようなものでした。

このように、保険料の徴収を始める正規の国民年金が始まる前に、全額税による年金が支払われ始め、あれからもう60年ほど経ったわけですね。税金での支払いから始まった国民年金ですが、その受給者であった人が令和現在でもう400人程になりました。この全額税の国民年金が支払われてる人はもう110歳前後になられてるくらいですね(昭和36年4月時点で50歳以上の人も経過的にもらえた人が居るので)。

それにしても110歳以上の人なんて全国で数人くらいだろう…と思ったら人口見たら140人程いらっしゃるのはビックリしました^^;100歳以上まで下げると人口は8万人もいるんですね。でも一番衝撃だったのが8万人の内訳のうち88%が女性という事でしたね。日本女性の寿命はすごすぎる。高齢になるほど男女差が顕著になってきますね…。

それでは今日はこの辺で!

image by: Shutterstock.com

年金アドバイザーhirokiこの著者の記事一覧

佐賀県出身。1979年生まれ。佐賀大学経済学部卒業。民間企業に勤務しながら、2009年社会保険労務士試験合格。
その翌年に民間企業を退職してから年金相談の現場にて年金相談員を経て統括者を務め、相談員の指導教育に携わってきました。
年金は国民全員に直結するテーマにもかかわらず、とても難解でわかりにくい制度のためその内容や仕組みを一般の方々が学ぶ機会や知る機会がなかなかありません。
私のメルマガの場合、よく事例や数字を多用します。
なぜなら年金の用語は非常に難しく、用語や条文を並べ立ててもイメージが掴みづらいからです。
このメルマガを読んでいれば年金制度の全体の流れが掴めると同時に、事例による年金計算や考え方、年金の歴史や背景なども盛り込みますので気軽に楽しみながら読んでいただけたらと思います。

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【著者】 年金アドバイザーhiroki 【月額】 ¥770/月(税込) 初月有料 【発行周期】 毎週 水曜日 発行予定

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