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人気心理学者が論破する「人間の脳は変化を嫌う」説の大ウソ

昨今さまざまなシーンで語られる、「人間の脳は変化を嫌う」という言説。「脳科学的にも立証されている」などとする向きもあるようですが、果たしてそれは信ずるに足るものなのでしょうか。今回のメルマガ『富田隆のお気楽心理学』では著者で心理学者の富田隆さんが、専門家の視線でこの説の真偽を考察しています。

脳は変化を嫌う?

なぜ、人は新しい情報に対して拒絶的なのかというと、人間の脳にとって「変化は苦痛」だからです。

これは、あるユーチューバーが語っていたことです。

彼は、私たちが人を説得しようとする時に、気を付けなければいけないこととして、新しい情報は相手の心の中に「変化」を引き起こすものであり、それが余りに大き過ぎる変化だと、脳がそれにより「苦痛」を感じ、拒絶反応を引き起こす、と言うのです。ですから、いきなり全ての情報を相手に与えようとせず、相手の気持ちに寄り添って、いっしょにその問題を考えるように持って行き、少しずつ、新しい情報を提供するようにしましょう、と提案します。

もちろん、基本的に彼の言うことは間違っていません。彼の提案する説得の方法も有効で、私も同意見です。

およそ、「情報の共有」であれ、相手と親しくなろうとする場合であれ、人間は「急激な変化」を嫌うので、少しずつ、相手が受け入れてくれる範囲で心理的距離を縮めたり、相手が抵抗を起こさずに納得が得られるような事柄から情報を共有するように心がける、これは、私が以前にもお伝えしてきたことです。これを心理学では、「スモールステップの法則」と呼んでいます。つまり、一気に達成することが困難な大きな目標を下位目標へと細分化し、比較的容易な下位目標から順番に少しずつ達成して行こうという方略(strategy)です。「急がば回れ」で、結局は少しずつ着実に可能な下位目標から片付けていった方が早いのです。

ただ、私が疑問に思ったのは、人が急激な変化に抵抗を示す理由として、彼が「人間の脳は変化を苦痛と感じる」から、と説明した点です。彼によれば、それは「『脳科学』で証明されている」のだそうです。

【爬虫類脳】

そんなことが「脳科学」の専門家の間で常識になっているはずはない、と思いながら、ちょっと調べてみると、案の定、そうした「新発見」は見当たりません。ただ、コミュニケーションやトレーニングなどの分野では、この「脳が変化を嫌う」というこの仮説を大前提にして議論を展開している人たちが意外に多いことに驚かされました。しかし、「変化を嫌う」という傾向を、まるで脳全体に当てはまる本能的傾向か何かのように一般化して考えて良いものでしょうか?

さらに、そうした記事などを読んでみると、彼らが根拠としているのは、脳全般にそうした傾向があるという最新の研究(そんなものはありませんが)ではなく、昔から(私が学生頃から)知られていた「爬虫類脳(はちゅうるいのう)」の機能的な特徴についての通説だったのです。

「爬虫類脳」というのは、もちろん、たとえ話です。1960年代に米国のマクリーン博士(Paul D. MacLean 1913~2007)により提唱されました。

人間の脳を進化の観点から区分すると、もっとも古い「脳幹(のうかん:脊髄につながる脳の中心部分)」、次に進化した「大脳辺縁系(だいのうへんえんけい:脳の奧に位置し、脳幹を取り囲む部分)」、さらに、新哺乳類になって発達した「大脳新皮質(だいのうしんひしつ:大脳の表面に広がる薄い神経の層)」の3種に分けることができます。

そして、それらの部分が担当している機能の特徴から、脳幹は「反射脳」、大脳辺縁系は「情動脳」、大脳新皮質は「理性脳」などとも呼ばれます。脳幹は、生命活動の基本を自動的に(反射的)に管理する部分なのですが、人間や哺乳類だけでなくトカゲやワニなどの生物とも共有しているため「爬虫類脳」などと呼ばれるわけです。

ちなみに、大脳辺縁系は情動や意欲、記憶や自律神経活動を担当する部位であり、猫や馬などの哺乳類とも共有している部分なので「哺乳類脳」と呼ばれます。大脳新皮質は、知能や言語、繊細な運動、創造性や倫理観など高度な精神機能を担当する、最期に進化した部位であり、人間を特徴づける部分でもあるので「人間脳」と呼ばれています。

確かに、こうした分類を踏まえ、爬虫類脳に限って考えれば、それが担当している機能が自分の身体の状態を安定的に保つものであることから、「脳は変化を嫌う」とか「脳にとって変化は痛みである」と言えなくもありません。しかし、これは、主に爬虫類脳に限っての話であり、脳全般における一般的な傾向ではありません。哺乳類脳や人間脳のやっていることはもっと複雑で、一方では変化を嫌うかと思えば、もう一方では「変化を求め」る「新しいもの好き」で、「好奇心」を発揮する傾向をも併せ持っているのです。

【性欲と好奇心】

ただ、爬虫類脳の保守的?傾向を、脳の基本的傾向と誤解してしまうには、それなりの理由もあります。なぜなら、それは「生命維持」に関わっているからです。

生命を維持するためには、身体の形とか体温、身体を構成する成分の割合、血液の状態、等々を一定の範囲の内に保つ必要があります。熱を出せば苦しいですが、体温が平熱の範囲なら、自分に体温があることすら忘れていますね。同様に、汗などをかいて、体内の水分が減って来れば喉が渇き、水を飲みたくなります。血液中の糖分(血糖値)が下がれば、お腹が減ります。

このようにバランスを維持し、身体の状態を一定に保つ調整機能を総称して「ホメオスタシス(homeostasis:恒常性)」と命名したのは、生理学者のキャノン(Walter Bradford Cannon 1871~1945)です。

食欲や渇きを満たそうとする行動や排泄、睡眠、寒さや暑さを避ける行動など、生理学的な原因によって引き起こされる行動は、こうしたホメオスタシスの機能の一環であるため、「ホメオスタシス性動機」などとよばれます。生理学的な基礎を持つ動機のほとんどが「ホメオスタシス性」のものであり、体内で何らかの「アンバランス」の生じることが行動を起こす引き金になります。

外界の気温が急激に変化すれば、それが体温の変化につながり、これを避けるために涼しい場所に移動したり、反対に温かい衣類を着たり、焚火をしたりといった行動が現れます。その意味では、確かに、脳は変化を嫌いますが、嫌われる変化の主役?はあくまで「身体的、生理的な変化」であり、これを引き起こす環境の側の変化です。これは、人間の「動機」の膨大なリストの内の、ごく一部です。

たとえば、生理学的な基盤を持つ動機の中でも「性欲」はホメオスタシス性ではありません。ホメオスタシス性ではないということは、何かが不足したり過剰になることにより引き起こされる動機ではないということです。精液を製造し過ぎて在庫が過剰になったから放出したい、などと言う話は、欲求不満の男性たちが創り上げた都市伝説のようなもので、全く非科学的です。

また、ホメオスタシス性でないということは、その欲求を満たしても満たしても切りがない、これで満足するということがない、ということでもあります。射精した後、数分から20分ほどの間、男性機能が役に立たなくなる「不応期」は、あくまで生理的な補給や回復に必要な準備時間ということであり、欲求そのものが消失したわけではありません。体力さえあれば、いくらでも手を変え品を変え(場合によっては相手を変え)可能性を追求する?のが性的動機です。

人間の好奇心や知識欲、愛情欲求、自己実現の欲求、等々の精神的、社会的な欲求は、どちらかと言えば、一連のホメオスタシス性の動機よりは性欲に近いと言えるでしょう。それらは「快楽」に動機づけられており、「これで満足」という限界がありません。これらの動機において、基本的に変化は苦痛ではなくご馳走です。

【急激な変化】

もちろん、基本的に変化が快楽となる場合でも、大き過ぎる変化、急激な変化は感覚レベルで不快な苦痛になりかねません。

たとえば、静かな部屋で、突然、大音響で音楽が鳴り始めれば、誰もが耳を塞ぐでしょう。急激な変化に私たちの神経はついていけず、驚いて悲鳴を上げてしまうのです。しかし、ロックコンサートの会場に行けば、もっと大音量で楽器が演奏されていても、観客はノリノリで、誰も苦痛を感じる人はいません。その音量に慣れているからです。要は、絶対的な音量の問題ではなく、「変化」の大きさが苦痛の原因となるのです。

晴れた日の朝、燦燦と降り注ぐ太陽の光を浴びることは気持ちの良いものですが、真っ暗な部屋の遮光カーテンを急に全開にすれば、暗闇に慣れていた人の眼は突然射し込んだ朝の光に耐えられず、眩しさが苦痛を引き起こします。私たちの感覚系は変化に順応するために一定の時間を必要とするのです。

昔、007シリーズ(たぶん『サンダーボール作戦』だったと思います)を読んだいたら、悪の首領が自分を裏切った情婦の口を割らせるために、手元にあったアイスペールの氷と煙草を使って彼女を拷問するシーンがありました。

流石は組織のボス、彼女の身体に直接煙草の火を押し付けるといった野蛮な方法は用いません。それでは火傷の跡が残って、彼女の肉体的価値が下がってしまいます。彼が使った方法は「温度差」を用いたやり方で、これなら傷跡は残らず、女性の身体は美しいままです。要は、氷によって充分に冷やされた肌は、煙草の火をちょっと近づけただけで、それを実際以上に強烈な熱さと感じ、悲鳴を上げることになるのです。

与えられた刺激の物理的な強度の上の値と下の値のそれぞれは耐えられる範囲内にあっても、その差が充分に大きければ、私たちの感覚は大き過ぎる変化に順応できず、それを苦痛として感じてしまいます。しかし、こうした反応は、「脳が変化を嫌うから」生じるのではありません。私たちの脳は変化が嫌いなのではなく、大き過ぎる変化や急激な変化が嫌いなのです。

逆に考えれば、こうした順応をスムーズに行うためにも、先の「スモールステップの法則」は有効となるのです。冬の寒い日に露天風呂に入るには、ゆっくりと時間をかける必要があります。

そして、相手が許容できる範囲の変化を積み重ねるという努力は、情報共有を目的にする場合でも、相手と親しくなろうとする場合においても必要なものとなります。

【マイルドな変化】

上記の007に出てくるようなサディスティックな拷問とは逆に、性的な愛撫やプレイを工夫することで、人類はより多くの快楽を手に入れてきました。人間にとっての性が単なる生殖のための本能的行動に留まることなく、文化的で親密なコミュニケーションへと進化した背景には、新鮮な体験を求める人間の好奇心や遊びの精神が存在しています。

同様のことは、人間が楽しんでいる各種のスポーツや様々な趣味、芸術や文化活動、知的な創造活動などにも当てはめられることです。これらを発展させ、活性化させているのも、ある種「マイルドな変化」を求めて止まない人間の本能的な「動機」であることは確かです。

転んでも倒れても立ち上がり歩こうとする幼児のように、人間は、自分や仲間、社会、文化、文明の「変化」を求め続ける稀有な動物なのです。

繰り返される自動車などのモデルチェンジやファッションの流行、メディアを総動員して巧みに囁きかけてくる新たなライフスタイルへの誘惑といった社会現象は、人間たちが抱え込む「変化への欲求」を満足させるための必要悪?とも言えるのではないでしょうか。

ただ、これらの「変化」があまりにも急激になり過ぎると、かつてアルビン・トフラー(Alvin Toffler 1928~2016)が『未来の衝撃(Future Shock)』(1970)によって指摘したように、急激な変化そのものがストレスの原因となり人々の心を蝕むようになるのです。

ですから、「人間の脳にとって変化は苦痛」といった考え方(縷々説明した通り、これは誤解なのですが)をあっさり受け入れる人たちは、自分自身が絶え間なく変化することに疲れ果て、軽いノイローゼ状態になっているのかもしれません。自分が変わることを必要以上に怖れる若者も増えています。

そんな「変化過敏症」!?に陥ってしまった人たちに、私が子守歌代わりに薦めるのはビリー・ジョエル(Billy Joel)の『素顔のままで(Just the Way You Are)』です。ビリーの優しい歌声が、変化し続けることに疲れ傷ついた心を癒してくれるでしょう。

I need to know that you will always be
The same old someone that I knew
   ————–
I could not love you any better
I love you just the way you are

 

僕がよく知っている
昔のままの君でいて欲しい

   ————–
これ以上愛せないくらい
ありのままの君を愛しているんだ

 

『Just the Way You Are』 Billy Joel

image by: Shutterstock.com

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