今回辞任したミュージシャンは雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」で、学生時代に「全裸にしてグルグルにひもを巻いて」「喰わした上にバックドロップしたりさ」「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイデアを提供するだけ(笑)」と話したり、「障害がある人とかって図書室にたまる」「きっと逃げ場所なんだけど」との認識を示しているのは、おぞましい精神性を見るようで辛くなる。
しかし私がここでこの問題を取り上げるのは、一人のミュージシャンを糾弾することではなく、その発言を許してしまった1990年代のサブカルチャーを推進するエネルギーそのものを見直すべきだと考えるからだ。
今、東京五輪開催の機会だからこそ、国家を意識しながらも融合と調和を考える取組の中で新たな社会規範を考えられないか。
再度、規範を整えるためには「昔はよかった」のではなく、普遍的な価値観としてやってはいけないことを整理すべきなのだと思う。
これらのいじめが活字になっていた世界から私たちは成長しているのだ、との自覚をもって。
とはいえ、素直にそれが推進できる自信はない。
規範を作るのに必要な情報を発信するメディアにとても悲観的だからだ。
東京五輪の中継は、世界の様々な国の様々な民族のトップアスリートが競い合っていることそのものに最大限の価値があるのに、自国のメダル獲得に向けた安っぽいドラマの一部と化しているだけである。
世界の国々からリスクを冒してまで東京に来ていただき、観光も交流もしないままに競技に集中する彼彼女らを無視して自国優先のメダル獲得ドラマを放送するメディアのメンタリティに社会規範を説くことができるのか、やはり絶望的な気分になってしまう。
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image by : Joi Ito, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons