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ホンマでっか池田清彦教授が「SDGs」に“胡散臭さ”を感じるワケ

政府や企業がこぞって謳い、SDGs、ダイバーシティ、カーボンニュートラルなどの言葉の認知度は上がってきています。しかし、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)などは略された言葉を改めて眺めると、言葉の作り方に胡散臭さが透けて見えると指摘するのは、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田清彦教授です。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』で先生は、本当のSDGsのお手本は、稲の栽培を核とし、自給自足生活を持続していくための試行錯誤が生み出したかつての「日本の里山」にあったと紹介。その里山にCO2削減・温暖化防止の美名のもとに太陽光パネルが並ぶ状況に皮肉を感じ取っています。

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ほんとうのSDGs

最近、SDGs(Sustainable Development Goals)というコトバをよく聞く。SustainableとDevelopmentとGoalという何となくプラスのイメージのコトバを繋げただけで、コトバの作り方からして胡散臭い気がする。大体SustainableであるとそこでDevelopmentは止まるし、Developmentを続ける限り、Sustainableにはならない。だから可能なのは、Sustainable GoalかUnsustainable Developmentのどちらかである。後者は長期的にはいずれ破綻を免れない。現代資本主義はまさに後者の道を突き進んでいる。

私のようにへそ曲がりでなく、好意的な人ならば、SDGとはDevelopmentの結果、Sustainable Goalに到達して、そこでDevelopmentはお仕舞ということだと解釈するかもしれない。それならば、分からないこともない。この文脈からすると、SDGのお手本は里山である。多くの自然愛好家にとっては、里山は、オオクワガタやオオムラサキで代表される生物多様性の宝庫であり、保全すべき重要な環境だと理解されているのかもしれないが、里山の環境は自然に任せて作られたものではなく、人為的に作られたものなのだ。

里山は手入れをしなければ,遷移が進んで里山ではなくなってしまう。例えば、里山の重要な要素の一つである、クヌギやコナラといった落葉広葉樹の林は関東地方では手入れをしなければ、シイ、カシといった常緑広葉樹の林に代わっていってしまう。だから、里山の生物多様性を保全するためには、里山の手入れは不可欠だという意見は間違いというわけではないが、昔の人は里山の生物多様性を保全するために里山の手入れをしていたわけではなく、生きるために行っていたのである。結果的に里山に適応した生物たちが棲み付いたに過ぎない。

里山はその地で自給自足するための先人たちの知恵の結晶であり、2500年ほど前に稲作が日本に伝わって以来、先人たちが試行錯誤して、作り出したSustainable Goalなのだ。里山での自給自足で最も大切なのは稲の栽培であり、これが、Sustainableであるためにはどうしたらいいかということが、里山生活の要諦なのだ。

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長年、主に東北地方の里山を取材してきた永幡嘉之『フォト・レポート里山危機』(岩波ブックレット)を読むと、集落の自給自足にとって、どの土地を何に利用するかという法則性があり、最も効率の良い法則を見つけ出し、それを守ることがSustainable Goalだということがよく分かる。

水田はどこにでも作れるわけではなく、水を張るために水平にできる土地と、漏水しない土壌、日当たりといった条件が必要で、集落ごとの水田面積が集落の人口を決めていた。水は沢から重力を利用して水路を引いて田圃に張っていたが、途中でいくつものため池を作り、渇水に備えていた。ため池は水を温めるという機能もあったろう。田圃の水は真夏には飽水状態(地表には水が溜まっておらず、土中は満水状態)にして、酸素の補給と有毒ガスを抜き、稲刈り前には完全に水を抜いた。

水稲栽培がSustainableである理由は塩害が起こりにくいことだ。灌漑水で農業を行う際、排水が充分でないと、水が蒸発した後、水分中のごく微量な塩分が地表面に残り、これが積もり積もって塩害を起こし、持続可能な農業を阻害する。チグリス・ユーフラテス川の灌漑水を利用して麦類の栽培を行って大繁栄した古代メソポタミア文明の崩壊の一因は塩害だと言われている。このメルマガでも触れたことがある、アラル海にそそぐアムダリア川とシルダリア川の灌漑水を利用した綿花栽培も塩害に悩まされているようだ。北アメリカの乾燥地帯で地下水によって栽培されているコムギやトウモロコシなども、後100年も経てば、塩害で栽培できなくなると思う。

里山には水田と水路とため池以外にも、自給自足に必要な様々な装置が必要で、土地の利用は計画的かつ法則的で不用な土地はなかった。生活するためにはエネルギーと住居が不可欠で、人家の周りの水田が作れない土地には薪炭林があり、薪と炭を生産していた。薪は重いので薪を採る雑木林は近くに、炭は軽いので炭を焼くための林は遠いところにあった。薪炭林とは別の人工林はクリ畑で、これは食材であると同時に、住宅を建てる際の基礎材で、建材に必要なスギやアカマツは集落に必要な量しか植えられなかったので、面積は小さかったという。

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他に必要な土地は草原である。草は農耕に欠かせないウシの冬季の食料として、夏の間に刈り取られ干し草として蓄えられた。茅葺屋根に必要なススキなどは晩秋に取り入れられ次の春まで乾燥させた。草原の面積も、集落のウシの頭数と、茅葺屋根に必要な茅の量によって決まっていた。無闇に草原を大きくするより、他の用途に使った方が効率がいいからだ。

集落の立地条件によっては他に、養蚕用のクワ畑、果樹園、茶畑などがあり、余った土地にはカブなどの野菜を植えた。自給自足で生き延びるための装置がすべてそろっていたのが里山だということが分かる。しかし、1960年代に起きたエネルギー革命の結果、薪炭林は不要になり、農耕機器の導入により農耕用の牛も不用になり、自給自足で支えられてきた里山は崩壊した。

かつての里山環境にはCO2削減・温暖化防止という美名のもとに、太陽光発電のパネルが並んでいるところも多くなった。しかし、太陽光パネルを造ったり設置したりするためにも、あるいは使用済みになったパネルを処分するにもCO2が排出される。薪炭林が大規模に伐採されれば、CO2は吸収されなくなる。果たして、これらのCO2の増加に見合うCO2の削減が太陽光発電に期待できるのだろうか。政府は野放図に太陽光発電を進めるだけで、収支計算をしたという話は聞かない。人為的地球温暖化の防止もSDGsと同じように怪しい話が多すぎる。(『池田清彦のやせ我慢日記』2021年10月8日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください)

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image by: Shutterstock.com

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