年始に食べるものといえば「お餅(もち)」ですが、日本各地で四角いおもちと丸いおもちの2種類あるのは何故でしょうか? 今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では著者のUNCLE TELLさんが、 西日本と東日本で分かれる「おもち」の形に関するお話しを紹介しています。
丸いもちと四角いもち
昔々、高校を終えて進学のために京都へ出て行き、住んだ近くの公設市場へ入ってびっくりした。なんと売っているもちがみな丸いのだ。鏡もち・お供えもちならまだわかる。お供えもちにしては小さく平べったい。「なんで~~」という感じだった。
どうやって作るのだろう。機械で形を打ち抜いてもまるめるという作業はあるだろうに。なんとも能率が悪そうだ。出会ったたいていのことは忘却の彼方にある遠い昔のことなのに、強い印象に残っているのは、おおげさにいえばカルチャーショックみたいなものだったのだろう。
このことからも、その後かいごうした色々なことからも、食べものにしてもざまな風俗習慣にしても、人は自分の生まれ育ったところのものがすべてだと思いがちだがそうではない、とわかったのである。
もちは丸いか四角いか、俗にに西日本では丸もち、東日本では切りもちという。雑煮にも西日本では小型の丸もちをそのまま入れるが、東日本では焼いた切りもちを使う。
もちは古来丸いものだった。原形は丸い鏡もち。それは神前への供えものであり、今も昔も祭事や晴れの日の食べものである。古くは<モチイイ><モチイ>といい、モチは望月(もちづき)のモチとだともいわれる。
鏡もちはもちを丸くまるめ、鏡になぞらえたのである。江戸時代の『成形図説』という本に、「歳首に餅を製して鏡餅というのは、日神(天照大御神)が天の岩戸にこもられたとき、鏡を作りたてまつり祈ったところ、再び岩戸が開いて、世の中が明るくなった故事によるもので、新春のはじまる元日を祝ってつくものである」と記されているという。
もちは稲作農耕民族の古代日本人にとってすべての源、至高の神、太陽を崇める現われの一部分である。またもちの丸い形は、心臓を形象するという説もある。古くは、日本中どこでももちは丸かったのだろう。西日本ではその伝統を今でもかたくなに守っているのであり、片や東日本ではいつのまにやら、のしもちになり、小さい長方形の切りもちになった。それは関東の合理主義か、単にいちいちにまるめるのがめんどうだっただけなのか。
文献によるとどうも四角いもちが現れたのは江戸中期以降らしい。もちはその元来の意義からも丸くなけれなならなかったが、新開地の江戸では略して角もちに変化したのだと。
パソコン通信時代に交流した九州の電子友人の話しだと、昔は丸もちしかなかったが今では四角い切りもちも売っているという。丸もちと切りもち、両方が並んでいて、どっちがより売れるのだろうか。両方を何か目的によって使い分けているのだろうか。切りもちは真空パックだから保存が効く。だから買い置き用として存在価値がある。味は合成もちだからそれなりに…という人も。売っているおもちのパックの産地がどこかわからないが、関東文化の西日本進出だろうか。反対に西日本の丸もちを関東へ持ってきたら売れるだろうか。
この小文を最初に書いてからか相当年数が経っているので、関西圏の切りもち化がさらに進んだのではないだろうか。ひょっとして丸もちがすっかり駆逐されたなんてことが起きていないだろうかとも思ったが、どうもそうでもないらしい。インターネットを“丸もち”で検索したら、けっこうたくさん出て来たので先ずは安心。願わくば西日本の貴重な丸もち文化、市場をずうっと保っていてほしいものだ。なお、京都在住のネット友人の話では、スーパーなど、切りもち、丸もち、両方のパック詰めが売られているようだ。 UNCLE TELL
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