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ホンマでっか池田教授が解説。ソ連崩壊からのウクライナ紛争前史

ウクライナ侵攻から早半月。破壊された街の様子や市民の窮状が連日報道され、そもそもなぜこのような事態になってしまったのかと、疑問に感じている人も多いのではないでしょうか。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田清彦教授が、「ウクライナ紛争前史」とも言えるソ連崩壊後にロシアと旧ソ連の国々で起きた紛争の原因を解説。プーチンだけでなく、ソ連崩壊を後悔している人々が確かにいること、周囲が親欧米へと変わっていく焦りがあることを伝えています。

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ウクライナ紛争の行方

ウクライナがひどいことになっている。原発の傍で戦闘をしているというのは正気の沙汰ではない。ロシアが攻撃をしたザポリージャ原子力発電所は欧州最大の原発で、チェルノブイリと同程度の事故を起こせば、被害は10倍以上と言われており、ウクライナのみならず、欧州を含む近隣諸国に被害が及ぶ恐れがある。

放射能で汚染された国を占領してもメリットどころかデメリットの方が大きいので、ロシアも手加減をしていると思われるが、原発を占拠して、いざとなったら自爆させると脅しをかけて、和平交渉を有利に進めようと考えているのかもしれない。危険な綱渡りである。

そもそもなぜロシアはウクライナに攻め込んだのか。プーチンの頭の中は覗けないので、プーチンが何を考えているのか本当の所は分からないが、おおよその推察をすることはできる。

アメリカと並ぶ超大国であったソ連が1991年に崩壊して、ソ連を構成していた15の共和国はそれぞれ独立したが、社会主義から資本主義へと体制の変化に順応できずに、貧困と経済的格差が広がった。独立したアルメニアとキルギスの2013年の意識調査では、ソ連崩壊が有益だったと答えた人は、前者で12%、後者で16%、反対に有害だったと答えた人は、前者で66%、後者で61%であったという。ロシアに対する2018年の調査では、ソ連崩壊を後悔していると答えた人は、66%にも及んだという。

国民の大半は大国だった昔を懐かしんでいるわけだ。ちなみに旧ソ連の領土は2240万平方キロ、ロシアの領土は1713万平方キロである。ソ連時代のGDPは経済制度が異なるため算定されていないが、生産力はアメリカに次ぐ規模であったと思われる。ソ連崩壊による混乱で、崩壊直後の1992年のロシアのGDPは世界34位と低迷していて、欧米に対抗する国力はなかった。

しかし、ロシアは軍事力だけは大国並みだったので、プーチンは常に自国の優位性を世界に向けて誇示したいとの誘惑に駆られているのだろうと思う。2021年のGDPは世界11位と多少回復してきたこともあって、エネルギー大国として、EUにエネルギーを供給している自国は、少なくともEUと対等であるべきとの、自負があったと思う。旧ソ連から独立したエストニア、ラトビア、リトアニアが2004年にEUとNATOに加盟し、さらに、ウクライナとジョージアがNATOに加盟する動きを見せたことに、プーチンは焦りを感じたに違いない。

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プーチンは恐らく、国力とは軍事力と国土の大きさだ、との19世紀的幻想に囚われており、ウクライナを占拠するか、傀儡政権を打ち立てて、ロシアの影響力を拡げるのが、かつての超大国に戻る道だと考えているのだろう。

IT時代の国力にとって軍事力は一部でしかなく、国民の知力と経済力こそが国力の源泉だということを余り理解していないのかもしれない。この観点からはウクライナを武力で制圧しても、ウクライナ人民の恨みと国際的孤立を招き、得るものより失うものの方が大きいことは自明だと思う。もしかしたら、欧米へのコンプレックスで、思考が硬直し、損得勘定が上手く出来なくなっているのかしら。独裁者が呆けて、側近はイエスマンばかりという状態なのかもね。もしそうだとすれば、これは最悪だ。

今回のロシアのウクライナ侵攻には前史がある。もともとウクライナ周辺は多民族が入り乱れて住んでおり、民族間の紛争が絶えなかった。旧ソ連時代の共和国間の国境と、居住民族が整合的でなかったのだ。国境が民族的・文化的まとまりを無視して引かれたのが紛争の遠因だ。

例えば、1991年、旧ソ連から独立したジョージア(旧グルジア;ウクライナ東部の黒海に面した国)は、グルジア人(ジョージア人)、オセチア人、アブハズ人、ロシア人などが住む多民族国家であるが、独立直後の1992年に早くも西端のアブハジアで、分離独立運動が起こり、これにロシアが介入して独立運動を支援した。結局、グルジア人の大半はこの地域から追い出され、現在の住民はほぼアブハズ人で事実上の独立国になっており、ロシアはこの国を承認している。

第一次南オセチア紛争も1991年~1992年にかけて、オセチア人が多く住むジョージア東端の南オセチアをロシアに帰属させるべきか否かをめぐって起こった紛争で、独立を認めないジョージアと独立派の間で、激しい戦いが行われたが、停戦協定が成立して、この地は事実上の独立国になった。

ところが、2008年にジョージア軍が南オセチアを攻撃し(第二次南オセチア紛争)、南オセチアの独立を支援するロシア軍との間で、戦闘状態になった。この紛争は結局ロシア軍の勝利に帰し、ロシアは南オセチアを承認したが、国際的には南オセチアと前記アブハジアはジョージアの一部ということになっている。ともにオセチア人が多数を占める北オセチアはロシアに、南オセチアはジョージアに属するのが、紛争の遠因である。

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第二次南オセチア紛争が起こるほんの少し前に、ジョージア(当時はグルジア)がNATO加盟を目指し、NATOも実施時期は未定としながらも、グルジアの加盟に合意した。これは、ロシアにとって相当の脅威であったと思われる。プーチンは旧ソ連の共和国が次々にNATOに加入するのを座視できない、と警戒心を強めたことは間違いない。

ウクライナも1991年にソ連崩壊の後独立した。民族は大半がウクライナ人であるが、クリミア自治共和国とセヴァストポリ市では、ロシア人の割合が、前者では60%弱、後者では70%強である。東部のドネツク州とルハンスク州でも40%弱はロシア人が占める。

ウクライナでは独立以来、親露派と親欧米派の権力闘争が続いていたが、2014年に親露派のヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、ロシアに亡命してから、ロシアとの仲が険悪になった。プーチンはこの政変に怒りを露わにしたと伝えられている。プーチンが最も恐れるのは民主化の波がウクライナ経由でロシアにまで及ぶことだ。ウクライナにはロシアに住む人々と親戚の人も多い。

危機感を抱いたプーチンは、ロシア人が圧倒的に多いクリミア自治共和国とセヴァストポリ市をロシア領に併合した。さらにドネツク州とルハンスク州を、親露派の武装勢力が実行支配し、ウクライナに圧力をかけた。ロシアは2022年2月になって、ドネツク人民共和国とルハンスク人民共和国の独立を承認して、ロシア軍に軍事基地の建設と使用の権利を与える協定に署名したようで、国際的な非難にさらされている。(『池田清彦のやせ我慢日記』2022年3月11日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください)

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image by:bgrocker/Shutterstock.com

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