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プーチンにナメられた安倍晋三元首相が「北方領土交渉」で“見誤ったもの”

3,000億円とも言われる経済協力を申し出た上に、4島一括返還の原則を「2島先行返還」にまで譲歩するも、結局何の進展もなく終わった安倍政権による北方領土返還交渉。なぜ安倍氏はここまでの低姿勢で、ロシア側との協議に臨んだのでしょうか。今回、その原因を安倍政権がプーチン大統領の演出する「大国ロシア」の幻想に惑わされたためとするのは、立命館大学政策科学部教授で政治学者の上久保誠人さん。上久保さんは当時ロシアが抱えていた4つの問題を解説した上で、その状況を見誤った日本政府を批判的に記すとともに、今後の対ロ戦略の課題を考察しています。

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)
立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

なぜ安倍元首相はロシアになめられる弱い姿勢で北方領土返還交渉に臨んでしまったのか

ロシアのウクライナ侵攻で日本が対ロ制裁を科したことへの対抗措置として、ロシア外務省は「公然と非友好的な立場を取り、わが国の利益を損なおうとする国と2国間関係の基本文書の調印を協議することは不可能だ」と主張し、「北方領土問題を含む日本との平和条約締結交渉を現状では継続するつもりはない」と表明した。

また、ロシア軍は千島列島と北方領土で3,000人以上が参加する軍事演習を開始したと発表した。数百台の軍用車両などで、敵の上陸に反撃する演習などが実施されたという。日本は、対露外交戦略の全面的な見直しを迫られているのは間違いない。

2012年、安倍晋三首相(当時)は、「領土問題を解決し、平和条約を締結する。戦後70年以上残されてきた課題を、次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ず終止符を打つ」と訴えた。そして、安倍首相はウラジーミル・プーチン露大統領と個人的な信頼関係を築き、ロシアに対する経済協力を進めることで領土交渉に臨むという戦略を描いた。

しかし、交渉は難航して進まなかった。安倍政権は、ロシアを交渉のテーブルに着かせる為に、次々と譲歩をしていった。2014年のロシアがクリミア半島を併合した時、欧米各国はロシアに対して厳しい制裁を科した。だが、安倍政権は、欧米に比べて緩い制裁にとどめただけでなく、欧米の制裁が続く中、ロシアとの経済協力を次々と進めていった。

2016年5月、安倍首相は「新たな発想に基づくアプローチで交渉を進める」として、エネルギー開発や極東地方の振興策、先端技術協力など8項目の「経済協力プラン」を提案した。12月には、ブーチン大統領が来日して開始された首脳会談で、北方領土での日ロ共同経済活動を提案し、8項目の「経済協力プラン」の推進で合意した。

安倍政権は、北方領土交渉そのものについても、ロシアに譲歩しようとした。2018年のシンガポールでの首脳会談では、首相が「4島返還要求」を封印し、「2島返還」にハードルを下げることを提案した。首相は、北方領土について「日本固有の領土」という表現を使わなくなった。

しかし、セルゲイ・ラブロフ露外相は、安倍首相の譲歩に対して冷淡だった。「第2次世界大戦の結果、合法的にロシアに4島の主権が移ったと日本が認めることが第一歩だ」と主張し、ロシアがこの提案に乗ることはなかった。

それどころか、ロシアは北方領土で軍事演習をし、「領土の割譲禁止」という条項を盛り込んだ「憲法改正」まで行った。それなのに、安倍政権はロシアに明確に抗議をすることはなかった。その後も、交渉がまったく進まないまま、安倍政権は2020年9月に退陣した。

ウクライナ紛争の勃発で、岸田政権は従来の対露政策を転換せざるを得なくなった。はっきりいえば、安倍政権以降の北方領土返還交渉は挫折したということだ。日本の交渉姿勢のどこが問題だったのだろうか。

私は、安倍政権が、北方領土の返還を「政権のレガシー」のように考えたために、国際関係における日露両国の政治的、経済的な力関係を冷静に見極められず、プーチン大統領の演出する「大国ロシア」の幻想に惑わされたからだと考える。

安倍首相は、北方領土の返還を、自らが政権担当する間になにがなんでも実現しようとこだわった。北方領土の返還は、第二次世界大戦によって日本が失った「固有の領土」をほぼ取り戻す「戦後外交の総決算」を意味する。それを成し遂げれば、安倍首相は、他に並ぶものなき大宰相になれると思ったのだろうか。

だが、領土問題は、政治家の名誉欲を満たすために取り組んでいいような軽い問題ではない。例えば、安倍首相は「2島返還」の提案をした。それを首相は具体的な成果を出すための「現実的な提案」だとした。

しかし、現在の「現実的な提案」は、30年後に現実的かどうかはわからない。30年後、ロシアの政治体制が変わり、「侵略した領土は返還する」という開明的な考えの指導者が現れるかもしれないのだ。

だが、その時すでに日露間で、「2島返還」で決着していたら、「4島返還」の交渉をあらためて始めることはできなくなる。現実的なはずだった「2島返還」は、将来世代から「功を焦った首相の短絡的な決断」だったと、断罪されることになる。領土問題の交渉は功を焦ってはならない。あくまで、北方領土はわが国の固有の領土という原則を堅持したうえで、腰を据えて着実に進めるべきものだ。

それ以上に問題だったのは、北方領土返還交渉のテーブルに着かないロシアに対して、次々と「バラマキ」を行ったことだ。これは、日露間の本当の「力関係」を考慮しない愚挙だったと考える。

なぜなら、ロシアは政治・経済的に「4つの悩み」を抱えていたからだ。ウクライナ紛争が始まってから、何度か書いてきたことだが、まず東西冷戦終結後の勢力圏後退があった。地政学を基に、東西冷戦後の長期的観点から見れば、ランドパワー・ロシアはシーパワー・英米によって完全に封じ込められてきた。東欧、中央アジアは民主化し、ロシアは遥かベルリンまで続いていた旧ソ連時代の「衛星国」を喪失した。いまや東欧は民主主義政権の下で、「EUの工場」と呼ばれる経済発展を遂げているのだ。

ロシア経済の脆弱な体質も問題だ。ロシアは旧ソ連時代の軍需産業のような高度な技術力を失っていた。モノを作る技術力がなく、石油・天然ガスを単純に輸出するだけだと、価格の下落は経済力低下に直結してしまう。実際、当時は長期的に原油価格が下落していて、ロシア経済に深刻なダメージを与えていた。輸出による利益が減少、通貨ルーブルが暴落し、石油・天然ガス関係企業の開発投資がストップし、アルミ、銅、石炭、鉄鋼、石油化学、自動車などの産業で生産縮小や工場閉鎖が起きていたのだ。

3つ目は、欧州との天然ガス・パイプラインのビジネスが、ロシアにとって深刻なリスクになっていた。通説では、天然ガス・パイプラインのビジネスでは、供給国であるロシアが、需要国であるEUに対して有利な立場になるとされてきた。しかし、実際には、供給国と需要国の間に有利不利はない。

パイプラインでの取引では、物理的に取引相手を容易に変えられないからだ。パイプラインを止めると、供給国は収入を失ってしまう一方で、需要国は瞬間的にはエネルギー不足に悩むものの、長期的には天然ガスは石油・石炭・原子力・新エネルギーで代替可能である。つまり、国際政治の交渉手段として、天然ガスを使うことは事実上不可能で、それをやればロシアは自らの首を絞めることになる。2014年のウクライナ危機以降、天然ガス・パイプラインは、ロシアの強力な交渉材料ではなく、むしろ大きなリスクとなっていた。

そして4つ目だが、ロシアは極東地域の石油・天然ガス開発を重要視し、中国に接近していた。価格面で折り合いがつかず10年越しの懸案であった、総額4,000億ドル(約40兆円)に上る歴史的な天然ガスの供給契約を中国と結んだ。しかし、中国とのシベリアにおける関係強化も、ロシアにとって悩ましい部分があった。

中国がシベリアの開発に関与すると、中国からビジネスマン、技術者が来るのは当然だが、それだけではない。政府の役人から大労働者、掃除婦のようなエッセンシャルワーカーまで大量の中国人がやってくる。アフリカへの中国の進出でもみられた得意の人海戦術が展開されて、シベリアに「チャイナタウン」ができてしまうのだ。

ロシアは、中国にシベリアを「実効支配」されてしまうことを恐れていた。これを回避するため、ロシアは、日本の極東開発への協力をなによりも望んでいたのだ。

要するに、当時ロシアには、日本との経済協力をなんとしても進めなければならない切実な状況だったということだ。だから、プーチン大統領は北方領土問題について「引き分け」という日本語の言葉を持ち出してリップサービスしてまで、安倍首相を交渉に引き込もうとしたのだ。

だから、安倍首相からすれば、積極的に経済協力を提示したり、北方領土そのものについて譲歩したりする必要などなかったのだ。ロシアが日本を必要としているのだから、日本から動かなくても、いずれロシアから近づいてくる。ロシアから近づいてくれば、それだけ日本に有利な外交交渉ができたはずだ。

ところが、わざわざ安倍首相から働きかけたために「北方領土で成果を出そうと、安倍首相が焦っている」とロシアに見透かされた。そして、ロシア側では「領土問題が解決せずとも日本はやってくる」との認識が広がってしまった。ロシアになめられたということだ。

なぜ、安倍首相はロシアになめられる弱い姿勢で交渉に臨んでしまったのか。それは、プーチン政権下で「ロシア大国主義」が復活しているという現状認識があったからだと思う。それでは、「大国ロシア」とは何だったのか。

ソ連崩壊後、ロシア人には様々なコンプレックスが残り、明確なアイデンティティがなくなっている。明確な国家的思想もなく、国家を団結させる唯一の路線もない。社会はソ連のアイデンティティから、新しいロシアのアイデンティティを探し求めながら揺れ動いてきた。

プーチン大統領は、2000年の就任演説以降「大国ロシア」という言葉を頻繁に使用してきた。2000年代前半には、エネルギー価格の高騰もあいまって急速な経済力の回復を実現させたことで、プーチン大統領の掲げる「大国ロシア」は、自信を取り戻したロシアの新しいアイデンティティとなった。

だが、繰り返すが「大国ロシア」は虚構に過ぎなかった。現在のロシアには、どこかを征服し、失った領土を再併合しようという国力はない。隣国に対する関心はあるがそれも「ソフトに」優位に立ちたいということであって、厳格にコントロールしようとするものではない。「大国」という概念は、過去の遺物でしかなかったのである。

それでも、プーチン大統領が「大国ロシア」の虚構を演出していたのはなぜか。経済の好調により、国内批判を容易に抑え込めた第一次・第二次政権期(2000~2008年)と異なり、ウクライナ危機以降の経済停滞による国民の不満が広がり、大規模な反プーチン・デモを経験した第三次プーチン政権(2012年5月~)では、国内世論の動向に従来以上の注意が必要になっていた。プーチン大統領は「大国ロシア」を訴え続けることで、国内の保守層・大衆層の支持を確保し続ける必要があったのだ。

要するに、「大国ロシア」はプーチン大統領が国内外に振りまいた幻想であり、虚構に過ぎなかった。だが、それを見誤ったことで、安倍政権の対露交渉姿勢が必要以上に腰の据わらないものとなったしまったのだ。

現在、欧米や日本などは、ロシアのSWIFTからの排除など経済制裁を強めている。シェル、BP、エクソンモービルなど、英米の石油メジャーなど、ロシアへの投資を撤退する民間企業も続出している。日本企業も、サハリンやシベリアの極東開発から撤退せざるを得なくなるだろう。

だが、ロシアから欧米や日本が投資を引き揚げてしまえば、極東ロシアは中国の影響下に完全に入ってしまうだろう。中国は、ウクライナ紛争に対して、表向きは静観を装い続けるだろう。しかし、「民間企業の活動」という「建前」をとれば、どんどん極東ロシアに入っていける。その建前は、ミャンマー国軍に対する中国の裏での支援にもみられるものだ。一方、ロシアは、強硬な言動を繰り返しているが、中国の影響下に入りたいわけではない。いまだに、日本の技術と資金を必要としている。

ロシアによるウクライナ軍事侵攻という「一方的な力による現状変更」は断じて容認できない。それが大原則だ。だが、このまま紛争が泥沼化し、ロシアが経済的に孤立し、困窮する事態になるとどうなるか。極東ロシア、中国と近接する日本は、そこから遠い欧米とは地政学的にまったく違う戦略を考える必要がある。岸田政権は、対露政策について、難しいかじ取りを迫られることになる。

<参考文献>

image by: 首相官邸

上久保誠人

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

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