ウクライナ支援に限界。欧米の領土妥協案に猛反発のゼレンスキー

 

ウクライナとは

ウクライナという国が、大国であることは間違いない。ウクライナはソビエト連邦を構成する共和国であったウクライナ・ソビエト社会主義共和国が、1991年8月24日に独立し、国名を「ウクライナ」とした。

人口や経済的な重要度においても、旧ソ連の中のロシアに次ぐ2位を占め、文化的にも長い伝統を持つ。

人口は、4,596万人(2010年)。通貨は、フリブナ(1996年8月まではカルボバネッツ)。北東をロシア、北はベラルーシ、西はポーランドとスロバキア、南西でハンガリー、ルーマニアとモルドバとそれぞれ国境を接し、南が黒海、アゾフ海に面している。

ロシアを除けば、国土面積はヨーロッパで最大、人口はドイツ、イギリス、フランス、イタリアに次ぐ。ハリキウ、キーウ、オデーサなど23の州とクリミア自治共和国からなる。

「ウクライナ」という名称は、「辺境」を意味するクライ(krai)に由来するもので、12世紀から使われていたという(*3)。

ときに、「小ロシア」という呼称も使われるが、これは正確にはウクライナの一部を指す行政地名だ。

ほぼ全域が平坦な地形で覆われており、平均の標高は170m。ただ、西の国境沿いをカルパチ山脈(最高峰はゴベルラ山で,2061m)とクリミア半島のクリミア山脈(最高峰はロマン・コシ山で1,545m)がある。

ウクライナの重要な要所として、ドニエプロペトロフスク州のクリボイ・ログ地方と、ドンバスとも呼ばれるドネツ炭田だ。

クリボイ・ログ地方は、鉄鉱石が豊富な埋蔵地で1881年以来採鉱されており、鉄の含有率は68%に達する。

ドンバスをめぐっても激しい戦闘が続く。豊富な石炭埋蔵量を誇り、推定の埋蔵量は635億~762億トン。1721年に石炭が発見されており、19世紀初めから採掘。そのほか、マンガン、硫黄、石油、天然ガスなどの天然資源が豊かだ。

ウクライナとロシアの関係

ロシアのプーチン大統領は、ウクライナとロシアの「歴史的一体性」を強調する。しかし、その実像はどうか。

ウクライナとロシアを隔てる国境線はソ連時代にできたものであり、両国の関係を理解するためには、ヨーロッパ・ロシアと呼ばれるこの地域全体の特徴を知る必要がある(*4)。

歴史的なルーツとしては、9~10世紀に栄えた「ルーシ」だ。まず、ムスリムが地中海の制海権を握るなか、バルト海と黒海を結ぶ河川貿易が成立。

ウクライナを南北に流れるドニエブル川などの河川沿いにできた都市国家を「公国」と呼び、キエフ中心の緩やかな連合体をルーシと呼び、これが「キエフ・ルーシ」だ。

このキエフ・ルーシが、現在ではイスタンブールというコンスタンティノープルを中心に栄えていたビザンツ帝国(東ローマ帝国)から、のちに東方正教となるキリスト教を受け入れた。

そしてルーシと東方正教の伝統をもつ「東スラブ人」をルーツにするのが、現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシに当たる。

しかし、13世紀にモンゴル帝国が侵入し、キエフ・ルーシの時代が終わる。ここで、モンゴルの支配の深さから、東西にルーシが分かれ、そのうちモスクワなどを含む東ルーシはウクライナやベラルーシに相当、これはのちにリトアニア大公国と拡大する。

この国は、リトアニアとベラルーシの連合国家であり、この時点で、東西ルーシのどちらかがかつてのルーシの“本家”か、という争いがあった。

現在のロシア人の好きな物語として、ウクライナやベラルーシは兄弟という主張。一方で、ウクライナは、キエフ・ルーシはウクライナ国家の起源であり、その時点で、自国民の特性が成立したとする。

他方、ベラルーシの方からすれば、リトアニア大公国の伝統を強調するという。

ただ、このような論争が大きな問題となったのは1990年代にソ連が崩壊したとき。実際にはこの地域は、政治や宗教をめぐり、どの周辺にある勢力と連携し合うかで争ってきた。

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