米国内にもあった慎重論
しかも、NATO東方拡大への懸念は決してこの老戦略家一人のものではなく、米国政府の中枢にも同じ意見を持つ者がいた。例えばブッシュ父政権のCIA長官=ボブ・ゲイツは、
▼ロシアにとって特別な屈辱と困難の時に、NATOの拡大を東に向かって推し進めたことは、たとえゴルバチョフをはじめとする者たちがそれは少なくともすぐに起きることはないと信じ込まされたとはいえ、米国とロシアの関係をさらに悪化させただけでなく、彼らと前向きな取引をすることをずっと困難にしたと思う。
――と、プーチンが権力を握った直後の2000年に語っている。クリントン政権内では国防総省と国務省の実務派は慎重意見で、「平和のためのパートナーシップ」を提案していた。ロシアおよび旧ワルシャワ条約機構加盟7カ国がNATOに加盟するのではなく、パートナーとしてNATO理事会に参加して情報共有し、また軍同士の交流を進めるという構想で、これならばロシアも除外されたとは思わないだろう。
ゴルバチョフ以降のロシアの指導者たちが全員、米国に欺かれたと思い、しばしば怒りをぶつけてきたのはもちろんのことである。
▼なぜ不信の種を蒔いているのです?歴史は、諸大陸と国際社会の運命を1つの国の首都〔ワシントン〕から操れると思うのは危険な幻想であると教えている(エリツィンがクリントンに直接)。
▼我々はNATOがそのミサイルをロシアの領土に向けた軍事圏として際限なく東へ拡大することはないと保証されたと考えている(メドヴェージェフ)。
▼米国人はソ連に対する完全な勝利を求めていた。彼らはヨーロッパの王座に一人で座りたがっていた(プーチン)。
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