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藤子不二雄Ⓐが秘蔵。手塚治虫『魔法屋敷』未発表原稿から見えた「師弟愛」と描き直しの「苦悩」

本日2月9日は、今も「漫画の神様」と呼ばれ愛されている漫画家・手塚治虫さん(享年60歳)の命日です。その手塚さんの初期作品『魔法屋敷』(1951年)の未発表バージョンの「描き直し」原稿が、昨年亡くなった漫画家・藤子不二雄Ⓐさんの自宅から昨夏に発見されました。『まんが道』の手塚藤子の交流エピソードを実証するものとして大きな話題となった原稿ですが、なぜ手塚さんは昔描いた原稿を描き直し、この未発表バージョンを残したのでしょうか? 漫画原作者で、元漫画編集者の本多八十二さんが、今回の手塚作品が生まれた背景を繙きながら、手塚作品の重要なモチーフとなっていた「変身」、そして作品を改変し続ける漫画家の「苦悩」について考察しています。

手塚治虫の「魔法」と「変身」

「小説家、井伏鱒二にまつわる有名な話題に“『山椒魚』改稿問題”というものがありまして」という話を高校時代に国語教師から聞いた。

井伏の最初期作品『山椒魚』が、晩年の自選全集に収録された際、結末にかけての十数行が削除され、読後感が大きく変わったことについて当時大きな議論を巻き起こした、らしい。

作品が世に放たれ、作者の手から離れて広く読者に親しまれていく過程で、その作品は果たして誰のものであるか、というものを問う騒動であったともいえる。作者だけのものである、と一言で言い切れないからこそ、山椒魚問題は波紋をよび当時の文壇を賑わせたのではないか。

手塚治虫もまた、生涯にわたって作品の改稿をしつづけた作家だった。

漫画の改稿は、小説とはまた異なる経緯と問題をはらむ。新たな単行本収録、復刻のたびに担当編集者の赤字が入り、ネーム(台詞)が改変されることがある。また画稿については、著者が描き変える際に元の状態の原稿がうしなわれてしまうケースも多い。同じ版元の同じ版の本でも、刷数が違うとあるページのある箇所の表現が異なっていたりする。そのため、漫画作品の内容の変遷を追う書誌学の研究範囲は多岐にわたり、今様に表現すれば沼であると言ってもいいだろう。

そして作品改変のもう一つの経緯が「描き版」。戦後すぐの漫画作品は、製版技術の関係から、著者の画稿そのものは印刷されず、「描き版」と呼ばれる、著者とは別人である職人の模写原稿が使われることがほとんどだった。

藤子不二雄Ⓐが生涯秘蔵した幻の作品

このたび、昨年秋の『メタモルフォーゼ』に続いて立東舎から刊行される『魔法屋敷』は、1951年の三宝書房版を底本にし、新たに発見された手塚の直筆原稿も完全収録した決定版。発見された原稿は、手塚から藤子不二雄Ⓐに寄贈され、藤子が生涯秘蔵していたもの。

三宝書房版も含め、これまで読者が目にしていた本作品は総て上記の「描き版」や、さらにそこからのトレースによる刊行物だったので、手塚が直接描いた『魔法屋敷』を読むことができるのは今回の機会が初めてとなる。

魔法屋敷』(立東舎刊) ©️TEZUKA PRODUCTIONS


手塚作品が改めて出版される背景

立東舎は手塚治虫復刻シリーズとして多くの手塚作品を刊行しているが、前弾の『メタモルフォーゼ』では、初出の「月刊少年マガジン」掲載時の扉絵や予告イラスト、未使用カットなどが丁寧に収録された。予告で描かれたキャラクター造形が本篇とは異なるものも多く、次号予告を打つ段階ではまだ作品構想も手塚の脳内のみにあり本稿は未着手だったのだなという当時の事情が窺える。

メタモルフォーゼ』(立東舎刊) ©️TEZUKA PRODUCTIONS

巻末併録の『こじき姫ルンペネラ』では、初出誌「ヤングマガジン」発表時の原稿形態による「幻のオリジナル版」という帯の惹句どおり、広く一般に流布している「手塚治虫漫画全集」版と比較できる形で改変の差異が見比べられるようになっている。とくにラスト数ページは大きく変更されているので、作品の印象が違ってくるかもしれない。拙稿筆者は、今回初めて目にしたヤンマガ版の方が好みだった。

メタモルフォーゼ』より「こじき姫ルンペネラ」扉と予告カット  ©️TEZUKA PRODUCTIONS

これまで幾たびも復刻されている手塚作品が、今もこうして改めて出版される背景には、研究者や読者の「初出の状態が見たい」という希みと、版元側の新たな付加価値を加えたいという訴求とが幸福に合致した結果なのではないかと思える。

手塚ファンが作品の「初出形態」を見たがる理由

ウラを取っていないのでガセネタだった場合申し訳ないが、「手塚治虫漫画全集」刊行の際、カバーイラストを囲む額縁の部分について、全集全巻で一つ描けばいいところを手塚治虫は納得せず数パターン描き直したので、同じように見える額縁に、じつは数バージョンが存在するという。全集を手に取る機会があったらぜひ各作品の表紙を見比べてみてほしい。それほどまでに手塚は一枚一枚の画稿にこだわった。必然的に、作品のバージョン違いが増殖する。

なぜ初出の状態が見たいという需要が生まれるかを考えると、前述のような漫画の度重なる改変事情と書誌ごとによるバージョン違いの複雑さが背景にあり、著者がいちばん最初にこのような形で世に出したいと思って描いた、という執筆当時の状態の作品を、国会図書館や大宅文庫まで初出誌を探しに行って読んでみる、というような多幸感や充足感を自宅で味わいたい、そして所蔵もしたい、という御仁が増えたからなのかな、と妄想してみたりもした。

そのような初出形態に遡る書誌学的探究は、もともとその作家の熱心なマニアがそれぞれ独自研究していたものだと思われるが、おそらく2013年の「水木しげる漫画大全集」をひとつの嚆矢として、ここ十年間で刊行物としてもかなりの豊穣がみられるようになったのではないか。おかげで、深掘りが捗る。掲載時の息吹を垣間見ることができる。

ある漫画家の「赤字」エピソード

拙稿筆者も生業として漫画復刻に携わっていた。ある著者の代表作の復刻の際、校了デスクがネーム(ト書き)の時系列表現に矛盾を見つけ、復刻担当である小生が、著者の新作を連載中だった本誌の担当者に赤字照会をしたことがある。

その際担当編集は、「ご指摘は正しいと思いますが、それを先生に問い合わせると執筆が止まってしまって連載が飛びます」と言い、なのでネームはママイキで、という戻しだった。

校了デスクは「本は、出す毎に、中身がより良くなっていくべきものだろう?」と言いながら、不承不承赤字を消してくれた。

つまり関係者は善かれと思って都度作品に手を入れているのであり、それは作者もしかりで、井伏鱒二も手塚治虫も、その時の最良の状態で作品を世に送り出したい、と思いながら原稿を書き(描き)直したのだろう。そして読者はその経緯や差異を追いたいし、今回のような手の込んだ仕事による復刻本がその探究心を充してくれる。

わくわく感あふれ心温まる「解題」も魅力

立東舎の『メタモルフォーゼ』『魔法屋敷』どちらも、企画編集の濱田髙志による微に入り細を穿つ解題が収録され、作品成立の背景を理解する一助となっている。

とくに『魔法屋敷』は、今回初収録された手塚の未発表直筆原稿が、実は作品の初単行本化当時のものではないのではないか、という執筆時期の謎について、さまざまな可能性を含めて核心に近い部分にまで迫るミステリ風なわくわくもあり、お得感が大きい。

なかでも、濱田が藤子Ⓐと手塚の肉親に、直筆原稿返却の経緯を聞いたインタビューの部分は、藤子手塚両氏の永きにわたる師弟愛が窺い知れ、トップランナー同士の心の交流に、読んでいるこちらまで心温まった。

企画編集の濱田髙志氏による『魔法屋敷』解題 ©️TEZUKA PRODUCTIONS


漫画そのものが背負ってきた「変身」という命題

凡人の講釈になってしまうが、『メタモルフォーゼ』『魔法屋敷』両作品に共通するのは「変身」というテーマであり、それは手塚治虫がずっと、多くの作品のなかで繰り返し扱ってきた重要なモチーフなのだろう。

そこには、漫画の中では変幻自在に何者にも変化できる、そういう自由を紙とペンで、描線で表現していくという愉しさがあるし、そもそも漫画という存在そのものが、変身、という命題を避けて通れないほどの宿命を負っているほどにも感じられる。

物語の中で、スタートから終盤に向かって登場人物も世界も必ず変化、変身しているのであって、昨日までの自分と今日からの自分は必ず少し違う。と書くと話が大きく薄くなってしまうが、そのような成長や変化を含む、いわばぐにゃぐにゃで何にでも化けられる妖怪や狸のような存在への憧れ、人間の発想の伸びやかさや突拍子のなさ、随意性、無意識下や深層心理のようなものの不思議さ、そういう色々なものがないまぜになって、しかもきちんと作品世界に昇華されて表現されている、そんな漫画の可能性と自由さを、今から75年前の1948年に初刊行された『魔法屋敷』を令和時代のマンションの一室で読ませていただくことで改めて感じることができた。

魔法屋敷』三宝書房版(左)と、藤子が秘蔵していた未発表版(右)。今回の本には2バージョンとも収録されている ©️TEZUKA PRODUCTIONS

そう思うと、他人のトレース原稿である描き版ですら活き活きしていた『魔法屋敷』の作中世界が、手塚の直筆原稿によって本当にコマから飛び出てくるような、命をもったなまなましいものに見えてきて仕方がない。人物はもちろん、情景に描かれた木々の一本一本の幹や枝葉、建物の内装、棚に置かれた瓶一つにさえ、その柔らかい線に温かみがかんじられる。この手塚の原稿を事あるたびに手に取り見返していたという藤子Ⓐの気持ちも、少しだけ理解できる気がした。

過去にとどまらず常に進化し続ける表現者の「メタモルフォーゼ」

先の復刻赤字のエピソードでご紹介した校了デスク氏は物故者だが、生前話してくれた逸話を思い出した。そのデスクがかつて担当していた大ヒット作家の仕事場に、その作家の駆け出しのころから担当していた他社の編集者がやってきて、作家の椅子の背もたれを揺らしながら、あの頃のような作品をまた描いてくださいよ、と言う。作者のもとには読者からも、初期の作品の画風や雰囲気が好きだった、という便りが届く。作者はデスク氏に向かって、「あの人たちは俺にいつまでもあそこ(過去)に居ろって言うんですよ」と悲しい目をして言っていた、という話だった。

作家は常に進化する。たえず変化し歩み続けて、もう過去のその場所には居ない。そんな表現者のメタモルフォーゼについて、手塚治虫の最初期の作品に触れることで思いを馳せることができた。

個人的感傷が続いて恐縮だが、『魔法屋敷』を手にする読者の皆様それぞれも、また個人の忘れていた脳内の大切な抽斗の一つが開くであろうことをお約束する。必読の一冊。ぜひ。(文中敬称略)

本多八十二(ほんだ・やそじ):漫画原作者。元編集者、現在は調理師。作品に『猫を拾った話。』

 

©️TEZUKA PRODUCTIONS

魔法屋敷

著者:手塚治虫
定価:定価4,950円(本体4,500円+税10%)
発売日:2023年2月10日
発行:立東舎/発売:リットーミュージック

©️TEZUKA PRODUCTIONS

メタモルフォーゼ

著者:手塚治虫
定価:4,500円(本体4,091円+税10%)
発売日:2022年10月21日
発行:立東舎/発売:発行:リットーミュージック

立東舎の手塚治虫特設サイト

image by: ©️TEZUKA PRODUCTIONS

本多八十二

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