5月8日の新型コロナ5類引き下げを前に、3月13日よりマスクの着用を「個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねる(厚労省HP)」とする日本政府。しかし多くの国民が、「マスク外し」に後ろ向きであるのが現状です。そんな状況への違和感を綴るのは、『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』等の人気作品でお馴染みの漫画家・小林よしのりさん。小林さんはメルマガ『小林よしのりライジング』で今回、マスクにこだわり続ける日本人に対する呆れにも似た気持ちを記すとともに、大衆の心理をここまで追い込んだ「戦犯」の実名を挙げ厳しく批判しています。
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正義感に燃えていた「マスク警察」が圧力かけられると戦々恐々。3月13日から何が変わるのか?
2月10日、厚生労働省は「新型コロナウイルス感染症対策本部決定」として新たな「マスクの着用の考え方」を発表し、「令和5年3月13日以降、個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねる」とした。
いや、ちょっと待て。今だってマスク着用には法的拘束力も何もなく、「任意」じゃないのか?3月13日から、いったい何が変わるというのだ?
そもそも厚労省が発表している「マスク着用の考え方」は、その名の通り厚労省の「考え方」にすぎず、法に基づくものではない。
そして厚労省は新たな「考え方」において、3月13日以降のマスク着用は「個人の判断に委ねる」とした上で、「医療機関を受診する時」や「混雑した電車やバスに乗車する時」には着用を「推奨」するとしている。
それならば3月12日までのマスクの着用は、個人の判断に委ねられていなかったのだろうか?
上の画像では、あたかも3月12日までのマスク着用は個人の判断が許されていなかったかのような書き方だが、これはほとんどデマに等しい。
マスク着用に関して個人の判断を制限する法的根拠など何もないし、法に基づかずに個人の判断を制限していたのなら、完全な憲法違反だ。
厚生省のデマを真に受けてしまった「マスク警察」たち
実際の厚労省の3月12日までの「考え方」では、「屋外ではマスクは原則不要」「屋内では距離が確保でき、会話をほとんど行わない場合をのぞき、マスクの着用をお願いします」となっている。
既に屋外ではマスクは不要となっており、屋内でも、あくまでも強制力のない「お願い」でしかないのだ。
3月13日からはこの「お願い」がなくなって「推奨」になるわけだが、お願いだろうが推奨だろうが、それを聞くかどうかは「個人の判断」であることに、全く変わりはない。
つまり、厚労省は「これまでマスクの着用に関しては個人の判断に委ねてきましたが、令和5年3月13日以降は、個人の判断に委ねることになりました」と発表しているのだ。
だが、それではあまりにもおかしいので、3月12日までは個人の判断に委ねられていないかのようなデマまで飛ばしたのである。
いわゆる「マスク警察」の連中には、このような厚労省のデマを真に受けて、本気でマスク着用は個人の判断が許されていないものと信じ込み、マスクをしない者は社会秩序を乱す不埒な輩であると「正義感」に燃えて、取り締まりに精を出していた者も相当数いたのではないか?
だがそもそもマスクをつけるか外すかくらい、個人の判断であることなど言うまでもなく、そんなことで大の大人に誰かが号令をかけるというのは、あまりにも常識に反している。
それでも、お上が決めてくれなんてことを言う幼児みたいな大人があまりに多かったものだから、厚労省もこんなヘンな発表をせざるを得なくなったのかもしれない。
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
何ら科学的根拠のない「3月13日」という日付
それにしても、「3月13日から」という日付には、何の根拠があるというのだろうか?
じゃあ前日の12日には外しちゃいけないのか?3週間前である現在の時点ではどうなのか?3月13日午前0時を境に、ウイルスがいなくなるのか?
もちろんそんなわけはなく、ここに科学なんか皆無だ。そもそも、マスクをつけること自体に何の意味もなかったのだ。マスクの網目をウイルスが通り抜けるのは、「ニワトリ小屋の金網を蚊が通り抜ける」のと同じくらいの比率なのだから。
映画館やデパートでは、わしがマスクしないまま入場しようとしたら「マスク持ってますか」などと、うるさく言ってくる。トラブルを起こしたくないからわしは仕方なくその時だけマスクをして、映画館の席についたら暗闇に紛れてマスクを外す。
レストランに入る直前にマスクを着けて、入ったらすぐ外すという奇妙な行為も通用するが、他の客は口に食べ物を含む直前までマスクをしている。食後にマスクをしておしゃべりをする者もまだいる。
新幹線では、車内放送で必ず「マスク着用のご協力をお願いします」とのアナウンスが入るが、わしは無視してマスクをせず乗車している。
それでも新幹線は映画館よりは緩くて、乗務員に注意されることもないし、そのまま車内販売でお菓子やアイスを買っても嫌な顔をされることもない。
だからわしは平然とノーマスクのままトイレに立つのだが、振り返ってみれば他の乗客全員がマスクをしているのが目に入って、ギョッとすることになる。
最近は乗ってないが、飛行機はどうなっているのだろうか?航空会社によって違ったりするのだろうか?
恵比寿のウエスティンホテルで、マスクをしていない客が宿泊を断られたというニュースがあったが、泉美さんなどは、自分が泊まるホテルではノーマスクでも特に何も言われたことはないという。ホテルは、高級になるほどマスク着用を厳しく強制されるようだ。
お上の言うことも世間の言うことも聞かない「マスク脳」な人々
こんな具合に、今は場所ごとにマスクに対する対応が分かれてバラバラの状態なのだが、これを厚労省が「3月13日からは(本当は前からだが)個人の判断です」と言ったからといって、この日を期としてみんな一斉にパッとマスクを外すなんてことがあるのだろうか?
そもそも厚労省はとっくに「屋外では季節を問わず、マスクの着用は原則不要」としているのに、それでも今なお屋外でのマスク着用率は9割超だ。
街の声などでも、「当面マスクは外さない」と答える人の方が大多数のようだ。特に若い女性など、自分の真の顔を見られたくないとか、どうしても外すのが恐いとか言ってる人がやけに多くなっている。
朝日新聞が1月21日・22日に実施した全国世論調査では、春以降、屋内でマスクを着けないことが「増える」とした回答は24%にとどまり、「変わらない」が74%を占めている。
かつては確かに「お上が方針を示してくれれば外せるのに」という感覚の人も多かったと思うが、今となってはいくら厚労省が方針を示したところで、お上がお墨付きをくれたからマスクを外せると思う人は40%もいないようだ。
しかも、以前は「周りの人が外すようになったら自分も外す」という人が多かったはずだが、最近では「周囲は関係なく、自分は外さない」という人が多くなっている。もう「世間体」ですらないのだ。
日本人は「世間」で動くから、「世間」がマスクを外し始めればマスクは終わると思っていたところが、もはや「世間」すらも無視して、個人的に外す気がないというところまで行ってしまった。
とことん「お上」と「世間」には弱いはずだった日本人が、マスクを外すことに関してだけは、お上の言うことも、世間の言うことも聞かない。
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自身に対する圧力を恐れる「マスク警察」たちの勝手
それだったら最初っから、お上が言うことにも世間が言うことにも一切耳を貸さなければよかったのだが、お上や世間が「マスクをせよ」と言った時にはその声にとことん従い、それもあまりにも従順に聞き過ぎてしまって、そのためいつの間にか、マスク自体をお上や世間をも上回る最強の権威としてしまい、お上や世間がいくら「マスクを外せ」と言おうが全く耳を貸さないという、何が何だかわけがわからない状態になってしまったわけである。
何がそこまで大衆の心理を追い込んだのか?
それは間違いなく、テレビを筆頭とするメディアがそうしたのだ。
どこまでも徹底的にコロナは危険だと煽りまくり、大衆心理を恐怖一色に染め上げて、助かるためにはマスクは必須だと刷り込んでしまい、もうその洗脳が解けない状態にまでしてしまったのだ。
そんなわけで、たとえ3月13日になったらマスク着用の「お願い」をやめるとお上が言ったところで、大衆はそれを福音として受け止めることもなく、それどころか逆に、不安の声を上げる者まで出ている。
自分はずっとマスクをしていたいのに、「なぜマスクを外さないのだ」といった圧力をかけられるようになってしまうのではないかというのだ。
そう言ってる者こそ、以前は「マスク警察」と化していたんじゃないかと思うのだが、自分が人に圧力をかけるのはいくらやってもいいが、自分が人から圧力をかけられるのは嫌らしい。勝手なものだ。
まあマスクをし続けたいのならそうすりゃいいし、そんな奴らにマスクを外せという逆圧力なんかかけない方がいい。どうせマスクなんて、とんでもなく不潔なんだから。
マスクを1回使用したら捨てて交換するなんてことは、誰もしていないはずだ。わしなんかうるさく注意されるたびに新しいマスクを出し、外したらポケットに入れて、そのまま忘れて帰宅して上着を脱いでいるから、コートやジャケットのポケットから、いつ使ったのか分からないマスクが手品のように次から次にと出てくる。それを妻が見て不潔だと顔をしかめるのだが、わしだってやろうとしてやってたことじゃない。今後は、マスクをしたい人だけが自ら不潔な人になっていればいいのだ。
「コロナ脳」が重要な仕事に及ぼす悪影響
とにかくやっていることに意味がなさすぎ、科学がなさすぎ、哲学がなさすぎだから、意味がわからないことが次々に起こる。
わしの仕事で言えば、例えば座談会ひとつやろうにも、オファーを出すのがものすごく面倒くさいことになっている。以前だったら、先方がわしと会って話をしたいと思っているかどうかだけが重要で、あとはスケジュールくらいしか考慮すべきことはなかったのに、今ではこれにプラスして、その人がコロナ脳かどうかということも考えなければならないのだ。
最近も、かつてわしと対談したことがあり、現在もあるテーマで話をしたがっているはずの人にオファーを出してみたら、「対面」と言ったとたんに断られてしまった。なんでも、コロナを恐れてこの3年間、対人で話したことがないという。
リモートならいいというのだが、それはわしが断った。リモートでいいという人を1人認めたら、対面とリモートを分ける基準がなくなってしまい、他の人にもリモートをどんどん認めなければならなくなる。そうなったら、4人登壇する座談会で対面とリモートが2人ずつとか、わし以外みんなリモートなんてことも起こりかねないし、そんなことはとてもできない。特に有観客でやろうとしたら、なおのことである。
あれだけ理論的に物事を話そうとする人間が、なぜ今もそこまでコロナを恐れて対面で話すことすらできないというのか、基準が全く分からない。
その人が自分の頭で考えて、自分でさっさと決断してしまう人間なのか、それとも異様なまでに自分で判断ができず、いつまでもずっと臆病な人なのかという本性の部分が、頼みもしないのに丸見えになってしまって、その都度それに応じて気を遣っておかなければならないものだから、わしはひたすら戸惑ってばかりで、面倒くさくてしょうがない状態だ。
いちいち対談を申し込む時に、「失礼ですが、まだコロナ脳ですか?以前はどうですか、今はどうですか?いつ頃になったらコロナ脳解けますか?」と聞かなきゃならないようなものなのだから、あまりにも酷くて本当にイライラする。
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こんな日本に誰がした?「コロナ脳」大量発生の戦犯
こんな世の中にしてしまった奴の責任を、どうして誰も追及しないんだ?
コロナ感染の拡大を防止するにはとにかくマスクだ、絶対にマスクをしろと言い続け、実際に誰もマスクを外せない世の中を作り上げた第一の人物は、羽鳥慎一モーニングショーの玉川徹だ。これが玉川の望みだったんだろう。
本来、こんなにも100%に近い割合で誰もがマスクをしている社会なんて、常識的にあり得なかった。ここまで常識を崩し、社会を壊したことを、玉川徹はどう説明するのか?
少なくとも、あれだけコロナの恐怖を煽ってマスクをしなければならないと刷り込んだモーニングショーは、社会の正常化のために、もうマスクをしなくてもいいと説得する責任があるはずだ。それをダンマリで通せると思っているのか!?
これでは3月13日以降も大して変わらないし、5月8日にコロナが5類に下げられても何も変わらないかもしれない。
いまや「個」を持たない日本人は、「お上」にも「世間」にも従わなくなり、ただ「マスク」にのみ従うようになってしまった!
(『小林よしのりライジング』2023年2月21日号より一部抜粋・文中敬称略)
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