新しい技術や、革新的技術は、実はそうした文化の蓄積の上からしか生まれないのです。そしてそうした研究や開発は、実は決して、ひとりではなしえません。かならず周囲に協力者がいて、研究者が研究に打ち込めるように、食事の面倒を見たり、お茶を出したりと、その研究者に協力をすることが、ごく自然に行われ、研究者自身も、そうした周囲の人々に感謝の気持ちを持つ。欲得抜きで、そういうことが自然に行われるところ、つまりそういう文化を持っているところに、はじめて新しい文化や製品が生まれるわけです。
もちろん、エジソンやニコラ・テスラのような天才による発明もあります。けれど、彼らが天才とされのは、いわば突然変異のような形です。国中にエジソンやニコラ・テスラがいるわけではありません。
ところが日本では、大なり小なり、誰もが小さな発明をしています。ちょっとモノの置き場所を変える。ちょっと引き出しをつくる。すこし部屋の模様替えをするといったことから、どんな小さな町工場でも、そこでしかできない新しい技術があったりします。そしてその動機となっているのは、みんなに喜んでもらいたいと思う気持ちであり、日々の工夫の積重ねです。
しかもおもしろいことに、日本にはもともと、著作権とか特許という概念がありません。新製品や新技術によって、自分が利益を得たいということよりも、動機は、どこまでもみなさんに喜んでもらいたい、みんなの笑顔がその根本動機であったりしているわけです。
そして新しい技術が生まれるためには、長い時間、長い研究が必要です。つまり技術が生まれるためには、そこに莫大な時間と文化が必要なわけです。
けれど、いまだけ、カネだけ、自分だけで儲けたい人は、そのような時間を惜しみます。なぜなら、新しい技術は、奪ってしまうほうが早いからです。しかもそのほうが、研究投資が必要のない分、利益が大きい。そして奪う文化のもとでは、その奪った技術を特許や著作権といった形で、法的に保護してしまえば、利益の独占が可能です。
この30年、日本は「用日」され、奪われ、富を流出し続けてきました。その結果日本は、貧しい国になりました。
そろそろこれを取り戻すときです。そしてこれこそ、日本の真の防衛問題であると思います。
日本をかっこよく!
ではまた来週。
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