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UMEDA, OSAKA, JAPAN - CIRCA JULY 2019 : View of crowd of people walking down the street in busy rush hour. Many commuter walking near Osaka train station after work. Shot in early evening.

厳しい国際競争だけじゃない。日本人の賃金がちっとも上がらない根本原因

諸外国と比するまでもなく、長期にわたり賃上げが進まない日本。政府の再三の要請にもかかわらず、企業が賃上げに応じない理由はどこにあるのでしょうか。今回、政治学者で立命館大学政策科学部教授の上久保誠人さんは、その要因として挙げられる「国際競走の激化」もさることながら、根本原因として日本独特の問題があると指摘。それらが解決されることなしでは、日本が「亡国の道」から逃れることは出来ないとの厳しい見立てを記しています。

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)
立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

なぜ企業の「賃上げ」はまったく進まないのか?日本社会が抱える根本的な大問題

岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」は、「アベノミクス」の経済成長が大企業と富裕層を潤した利益を、より個人レベルに「分配」する政策を実行するとしている。そして、首相は「賃上げ」が、利益分配のために極めて重要であるとしている。

だが、賃上げは、安倍晋三政権期以降、何度も取り組みながら、成功したことがなかった。首相や財務相、経済財政相など経済閣僚が企業に対して、アベノミクスで積み上がる利益を内部留保にしないで「賃上げ」するように何度も要請した。しかし、企業は要請に応えることがなかったのだ。

なぜ、企業は政府の賃上げ要請に応じないのか。この連載では、「グローバル経済」の影響を指摘してきた。国際競争に晒された日本企業は、いつ競争に敗れて経営危機に陥るかわからない状況下で、利益が出ても社員に「賃上げ」という形で簡単に還元することができない。さらなる競争に備えて内部留保をため込むしかなくなっているのだ。

一方、厳しい国際競争だけが、日本企業が「賃上げ」できない理由ではない。なぜなら、日本以外の海外先進国も、同じように国際競争に晒されているはずだが、「賃上げ」が進んでいるからだ。

内閣官房の新しい資本主義実現本部事務局が出した「賃金・人的資本に関するデータ集」によれば、1991年から2019年の日本の賃金上昇率は1.05倍である。一方、英国は1.48倍、米国は1.41倍、ドイツ、フランスは1.34倍である。日本の賃金上昇率はかなり低い水準なのである。厳しい国際競争下でも、他の先進国は賃上げを達成している。日本企業が賃上げできないことには、別の理由があると思われる。

出典:内閣官房の新しい資本主義実現本部事務局が出した「賃金・人的資本に関するデータ集

そもそも、海外企業は賃上げに熱心だという。現在、世界的な物価上昇に合わせて、「賃上げラッシュ」と呼ばれる現象が起きている。それは、先進国だけの現象ではない。新興国でも労働者からの賃上げ圧力が強まっており、企業はそれに応えている。日本の状況と真逆なのではないだろうか。

賃上げを阻む日本の「年功序列・終身雇用制」

海外と日本の企業の賃上げを巡る対応が真逆となる理由の1つは、「年功序列・終身雇用制」の有無だ。海外の企業は、基本的に年功序列・終身雇用がない。いわゆる「ジョブ型」の雇用制度が採用している。これは欧米の企業だけではない。日本と文化が近いとされる中国や東南アジアでも、基本的にはジョブ型である。

ジョブ型雇用とは、企業が勤務内容・勤務地・時間などの条件を明確化して雇用契約を結ぶ雇用制度だ。労働者は、契約の範囲内で働き、基本的に別の部署や他の拠点への移動・転勤はなく、昇進や昇格もない。

ジョブ型雇用が採用された社会では、より高い賃金を得るためや、昇進や昇格したい時には、他の企業に転職するしかない。ポジションの募集は、基本的に「公募」で行われる。内部昇進・昇格もあるが、その際も外部からの応募者と公平に審査されて、なぜ内部昇格・昇進が妥当なのかを外部に公開しなければならない。

そのため、労働市場は競争的になる。優秀な人材はよりよい待遇を求めて企業を渡り歩く。これに対して、企業は賃上げをしないと、人材を引き留めることができなくなるからだ。厳しい国際競争に勝つためには、人材確保が必要であり、賃上げする必要があるということになる。

年功序列・終身雇用のない「ジョブ型雇用」のセーフティネットとなっているのが労働組合だ。労組は、日本のような企業別ではない。鉄鋼、自動車、造船など業界別の労組が活動の中心となっている。

業界別労組の下で、労働者は同じ業界のいろいろな企業の間を移りながら働く。これは、欧州の製造業に代表される雇用形態だ。例えばドイツで、景気が悪化しポルシェが工場を閉鎖したとする。ポルシェの労働者は、労組が政府と交渉して得た長期の失業保険を得て生活が守られる。そして、フォルクスワーゲンが工場の労働者を新たに募集したら、移籍する。

このような雇用形態の場合、労働者は「仕事は何か?」と聞かれると「自動車産業の部品製造」というように、自らの仕事の内容を答えることになる。

さらに、海外では「同一労働・同一賃金」だ。同じ労働をして、正規と非正規、大企業と中小企業で賃金が異なることはない。これも、優秀な人材の獲得競争の結果である。他社より低い賃金では優秀な人材に逃げられるので、賃上げ競争が起こり、企業規模にかかわらず、同じ労働ならば同じ賃金になっていくのだ。

日本では、年功序列・終身雇用制で、労働者は同じ会社に勤続する。労働者の転職、中途採用はいまだに数少ない。いわゆる「メンバーシップ型雇用」と呼ばれる制度である。

「同一労働」は「同一賃金」ではなく、同じ社内で年功序列・終身雇用のステータスを持つ正社員のほうが、そうではない非正規社員より賃金が高い。また、大企業と中小企業の間で、同じ労働でも賃金に格差がある。大企業の正社員と、それ以外には、明確な上下関係、格差が存在する。

そして、どんな会社のメンバーであるかが重要なので、社員は「仕事」を聞かれると、仕事の内容ではなく、「トヨタ」「ホンダ」のように会社名を答える。中小企業も取引のある大企業との関連を強調し、自らを「トヨタグループ」「ホンダファミリー」などと称する。

この雇用制度下では、企業間の人材獲得競争はあまりない。幹部候補生を新卒で採用する一方、中途採用枠が少ないのだ。だから、社内外の労働者から、企業に対する強力な賃上げ要求は起きない。むしろ、厳しい国際競争に打ち勝つために、グループ・ファミリーのメンバーである労働者に、「我慢」や「節約」という「努力と協力」を求めることになる。

「メンバーシップ型雇用」が少子化問題の元凶に

また、安倍政権以降の歴代政権から賃上げの話が出るたびに、「高い賃金を払ったら倒産する」「街が失業者であふれる」「経済が混乱する」という反論が財界や評論家から出てきた。それが、企業が「賃上げ」を拒むことにお墨付きを与えることにもなってきた。

つまり「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」という、かつての歴史を思い出すような「精神論」を労働者に強いることで、厳しい国際競争を乗り切ろうということになる。

このように、年功序列・終身雇用制の「日本型雇用システム」が、海外とは異なる日本企業の「賃上げ」に対する独特の姿勢を生んでいるのだ。

そもそも、日本では「賃上げ」を政府の要請により「人為的に行う」というものだということになっている。それは、それは経済の原理に反しているだろう。賃上げは、経済が良くなれば自然に起こるはずのものだ。その原理が、年功序列・終身雇用制によって歪められていることが、日本の賃上げ問題の本質だということだ。

年功序列・終身雇用制の「日本型雇用システム」は、かつて日本の奇跡的な高度経済成長をもたらしたものであることは言うまでもない。だが、そのシステムは、現代では日本社会・経済にさまざまな弊害をもたらしてしまっている。

例えば、この連載で指摘したが、日本で「少子化問題」が諸外国よりも深刻になるのも、年功序列・終身雇用制に問題がある。この制度によって、結婚・子育てが若者にとって「苦行」となってしまうからだ。

【関連】シラける日本の若者たち。岸田「異次元の少子化対策」では絶対に子供が増えないと断言できる理由

このシステムは、結婚して子どもができると、妻は離職して専業主婦になるか、正規雇用の職を失い非正規になることを前提としている。まず、少子化問題以前に、このシステムは、「女性の社会進出」自体に大きな悪影響を及ぼしている。

年功序列・終身雇用制の組織では、そもそも途中でキャリアを中断する可能性のある人に、重要な仕事は任せない。だから、女性は新入社員の時から、出世コースに乗らない。そして、日本の「女性管理職比率」は14.7%で、先進7か国中最下位、2021年の世界ランキングでは世界187か国中177位という驚くほど低い順位にとどまっている。

少子化問題との関連を指摘すれば、このシステムでは、結婚すると所得が実質的に減ることになるのが、若者にとって本質的に重要な問題である。

例えば、職場結婚を考える同期の正規雇用のカップルいるとしよう。年収は2人とも500万円。結婚で妻は退職する。2人で夫の年収500万円を使うことになる。一人当たり250万円である。子どもができるともっと少なくなる。

妻が非正規で働いたとしても、夫の500万円+100万円で合計600万円。やはり、一人当たり300万円で結婚前より使えるお金は少ない、2人がそれぞれ人生目標を持とうとしても、夫は家族を養うことだけで精いっぱいになり、妻に至っては人生目標自体を奪われることになる。家庭を築き子どもを育てることに「夢や希望」を持つのは無理である。

従って、少子高齢化を本質的なところから解決しようと思うならば、年功序列・終身雇用制の日本型雇用システムを変える必要がある。ゆえに、この連載では、結婚後に、2人とも正規雇用で働き続ける「生涯共働き」で、ファミリー所得を500万円+500万円に倍増し、若者が子どもを持とうという気持ちになれる「ダブルインカム・ツーキッズ」政策を提唱している。

官僚の忖度問題すらも引き起こす「日本型雇用システム」

また、深刻な問題となっている、いわゆる「官僚の忖度」も、年功序列・終身雇用制と深い関係があることも指摘しておきたい。

2014年に、各省庁の事務次官、局長、審議官など、約600人の幹部人事を官邸の下で一元管理する目的で、「内閣人事局」が設立された。官邸が省庁幹部人事を一元的に管理するようになれば、当然、官邸の省庁への影響力が強くなっていく。官僚側からすれば、官邸の意向を踏まえなければ出世できない、官邸の意向に反することをしようとすれば左遷されるということを日々気にして仕事をしなければならなくなるからだ。

その結果、例えば、森友学園問題にかかわる財務省の「公文書改ざん」問題など、官僚が官邸に従順になり、過剰に首相の意向に「忖度」するような事態も起こるようになった。内閣人事局が「忖度を生む元凶である」と批判されている。

だが、内閣人事局の権限そのものは、政治任用職が多い米国など欧米諸国と比較しても、特別問題があるとは思わない。問題があるとすれば、日本の官僚制の人事システムが、省庁別に「終身雇用」「年功序列」となっていることと、内閣人事局がセットになっていることではないだろうか。

英国のような中途採用も多く、民間との人事交流が多い制度だと、首相が幹部人事に影響力があっても、現場で首相への「忖度」は起きない。例えば、首相官邸から「首相のお友達への9割引きでの国有地売却」の圧力がかかったとする。しかし、現場を担当する官僚が、今後民間企業に「土地鑑定の専門家」として転職してキャリアアップを考えていれば、首相の意向など気にせず、圧力を拒否することができる。

一方、日本では省庁別の新卒一括採用で、年功序列・終身雇用だから、首相官邸が幹部人事の決定権を持つことの影響が、省庁の末端まで及び、幹部だけでなく現場レベルにまで首相への「忖度」が広がることになるのだ。

最後に、日本社会全体を覆っている、問題解決の「先送り」「責任回避」体質と年功序列・終身雇用の関連について指摘したい。

前述の通り、年功序列・終身雇用制を採用する会社では、同期と横並びで出世していくシステムの中で、ローテーションでさまざまな業務を数年ずつ経験しながら、キャリアアップしていくことになる。このシステムの特徴は、表面的には、同期入社の出世は横並びだ。そして、何か問題が起きて、横並びの出世コースから外れると、元に戻るのが難しいということだ。

だから、自分の担当部署が無難であることが最重要になる。自分が担当の間、何か問題が起きても、それを解決するより、その問題をできるだけ隠して「先送り」し、別の部署に異動するときに、後任に渡そうとすることになる。

逆に、問題をわざわざ表沙汰にして、解決しようとしても評価されない。「先送り」をしてきた先人にとっても都合が悪い。だから、そういう人は煙たがられる。組織の人事評価は、周囲と調和していく「穏健な人」が高く評価され、出世していく傾向になる。

要するに、日本社会では、学校から企業などに入社し、無事に定年退職まで勤め上げる間、静かに事を荒立てず、無難に「やったふり」をするのが出世の道となる。誰も成果を上げようとはしなくなってしまうのだ。

世界に置き去りにされ「亡国の道」を突き進む日本

一方、これも繰り返すが、「年功序列」「終身雇用」というシステムが基本的に存在しない海外では、さまざまな企業などを渡り歩きながら、出世していく。

組織を移籍する時は、基本的に「公募」を使う。経営者でさえ「公募」で決まる。日本でいう「プロ経営者」だ。部長や課長なども、公募で決まる。内部昇格はあるが、「公募」を必ず行う。外部から応募してきた人材と比べて最適と審査された時のみ、内部昇格できる。要するに、役職に適合する人を組織内外に幅広く募り、最適な「専門家」を採用するのだ。

そういう社会で出世するには、「やったふり」で静かに待っているだけではいけない。「業績」を出し続けねばならないのだ。それを履歴書に載せて、次のポジションを求めて公募にチャレンジする。その繰り返しでキャリアアップしていくのだ。

日本と海外の比較からわかることは、日本では、年功序列・終身雇用がある限り、社会のさまざまな課題について、その解決に正面から取り組まず、「やったふり」「先送り」の無責任体質が続くだろうということだ。

要するに、「賃上げ問題」「少子化問題」「官僚の忖度」、そして「先送り」「責任回避」体質と、さまざまな日本社会の問題の本質に、年功序列・終身雇用のシステムの弊害があるということだ。

しかし、日本の政界・官界・財界を動かす人たちは、このシステムの頂点にいるので、自らそれを変えることは難しいだろう。彼らは、これらの問題に対して、リスクを取って本質的な問題解決を図ることはしない。

とりあえず目に見える範囲で「やったふり」にみえるような対症療法を出すだけで、組織内の論理で「結果を出さない」出世争いを続けるだけだろう。その間に、世界は、日本を置き去りにして先に進んでいく。それは「亡国の道」であろう。

image by:StreetVJ / Shutterstock.com

上久保誠人

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

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