当時も自動車のエンジンについては議論が分かれていました。すなわち、電気自動車、蒸気自動車、ガソリン自動車、いずれがよいのか結論が出ていなかったのです。その食事会では当然のように電気自動車の優位性が語られました。すると、エジソンはフォードがガソリン自動車の製作に成功したと耳にし、大いに興味を示し、次々と質問を繰り出します。
4ストロークなのか、点火はどうするのだ、等々、フォードは的確、且つ丁寧に答えました。質問を終えたエジソンはテーブルを叩きました。彼が発明した白熱電灯さながらの白熱ぶりに会場は静まり帰ります。フォードも肝を冷やしました。
発明王を怒らせてしまったのか。
すると、エジソンはわが意を得たりとフォードを絶賛し、今後も自動車開発の道を進むよう励ましたのでした上で自分の考えを披露しました。電気自動車は発電所の近くでないと動かず、バッテリーが重いのも実用的ではない。蒸気自動車はボイラーと火元を運ばなければならないため非実用的である。フォードが製作したガソリン自動車は自前の動力装置を備えている、これは大いなる可能性を秘めている、と評したのです。
それまで、ただただ夢中で試行錯誤を繰り返してきたフォード、ガソリンエンジンの方がモーターエンジンよりも自動車に適していると発明王に評価され、大いなる自信を得たのです。
1908年に製作されたT型フォードは、フォードが理想とした安価で操作が楽、そして修理も容易とあって大ヒットしました。売り上げ急増となったのは、優れた技術力だけではありません。フォードは一流のエンジニアであったばかりか、超一流の経営者でもあったのです。大々的な広告を新聞に載せ、全米のほとんどの都市に販売店を展開しました。
そして、ベルトコンベアによるライン生産方式の導入。これによってコスト削減を図り、大量生産が可能になりました。この生産方式は自動車ばかりか他の工業生産にも取り入れられ、20世紀の工業化社会に革命をもたらしました。1918年までに、全米で走る自動車の半分はT型フォードが占め、最終的には全世界で1,500万台を売ります。
フォードは莫大な富を得ますが、従業員にも還元しました。これまでのアメリカの工場労働者の平均賃金は日給2ドルでした。フォードは自社の労働者の最低賃金を日給5ドルに引き上げました。彼は賃金の引き上げではない、利益を分配しているのだと言いました。労働者の生活を豊かにし、彼らも自動車のユーザーにしていったのです。









