ここでいくつもの解釈があろうと思いますが、ひとつ大切なことは、御神名にあります。
木花咲耶比売(このはなさくやひめ)の名は、木に咲く花という名ですが、この時代「花」といえば桜花のことを意味します。桜は、盛大に咲き誇り、あっという間に散ってしまいます。これは「一時的な繁栄」を意味します。
石長比売(いはながひめ)の名は、岩石のようにいつまでも変わらないものを意味します。一時的な繁栄ではなく、安定して継続することを意味する名です。
少し考えたらわかりますが、今月1,000万円利益が出ても、来月以降、なんの収入もないということでは困るのです。半分の500万でいいから、ずっと継続してもらいたいのです。そしてその継続が、安定してもらいたいのです。
この、満開の桜のような繁栄と、岩のような安定的な継続。両者は、本来、不可分なものです。なぜなら、人の身上(しんじょう)は一代限りのものではなく、子の代、孫の代、曾孫の代へと、ずっと続いてもらわなければならないことだからです。
では、この両者をつなぐものは何でしょう。それが父の大山津見神(おほやまつみのかみ)です。
「津見(つみ)」というのは、「綿津見(わたつみ)」という言葉もあるくらいで、山々や、海の波が、延々と重なり合って連なることを意味する古語です。「積み木」の「つみ」も同じです。木を重ねて結ぶから積み木です。つまり「津見」とは、「つながり」のことを意味します。
ここまでくると、古事記が伝えようとしたことがわかります。一時的な繁栄と、永続的な安定をつなぐのが、「津見」すなわち「つながり」です。
誰しも繁栄したい。繁栄したら、その繁栄を継続させたい。そのために必要なことが、「『つながり』なのですよ」と古事記は書いているのです。
「つながり」は、現代用語にすれば、コミュニケーションです。誰もが神社やお寺や教会に行って、幸せになりたいと祈ります。そのためには、神様とつながり、人とつながり、家族とつながり、職場でつながり、お客様とつながり、一緒にいる人たちとつながること。
そういう「つながり」の中にこそ、一時的な繁栄を継続させる力になるのですよと、古事記は教えてくれています。
日本をかっこよく!
ではまた来週。
この記事の著者・小名木善行さんのメルマガ
image by: Shutterstock.com