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人事介入の復讐か?安倍派パー券で完全に覚醒した「特捜」の逆襲と約100年にわたる“戦いの歴史”

政治資金パーティーを巡る問題で、容赦なく安倍派所属議員に「襲いかかる」かのように捜査を進める東京地検特捜部。これまで長きに渡り沈黙を続けてきた特捜は、ここに来てなぜ姿勢を一変させたのでしょうか。その理由を探るのは、政治学者で立命館大学政策科学部教授の上久保誠人さん。上久保さんは今回、約100年間に渡る「政党政治vs検察」の戦いの流れを振り返るとともに、2012年に第二次安倍内閣が誕生するや特捜が長い沈黙に入った裏事情を解説。さらに何が安倍派のパー券裏金問題を生み出したのかについて考察しています。

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)
立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

気になる最強の捜査機関「特捜」が沈黙した10年間。約100年間に渡る「政党政治vs検察」の戦い

自民党5派閥による政治資金パーティー収入の過小記載問題で、最大派閥「清和政策研究会」(以下、安倍派)に所属する議員が収入の一部を裏金化していたことが明らかになった。岸田文雄首相は、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、萩生田光一党政調会長、高木毅党国会対策委員長を更迭する意向を固めた。世耕弘成党参院幹事長の交代も検討するという。安倍派幹部「5人衆」が、岸田内閣・党執行部から完全に外れることになる。

安倍派は、2018年から22年の間に政治資金パーティーで総額約6億6,000万円の収入があったと政治資金収支報告書に記載していた。だが、所属議員が自身のパーティー券販売のノルマを超えて売った収入が、議員側にキックバックされていた。それは、収支報告書に記載されなかった。それを議員側が自身の事務所にプールしていた事例など、5年間に計1億円を超える裏金を作り出していた疑いがあるという。

この問題については、東京地検特捜部(以下、特捜)の捜査が進んでいる。12月13日の国会閉幕後、安倍派で裏金化にからんだ疑いがある議員や、派閥運営にかかわっている幹部などからの事情聴取を検討している。特捜は全国から応援検事を集めて態勢を拡充している。

「最強の捜査機関」と呼ばれてきた特捜は、約4年の間に8人の国会議員を汚職で立件している。立件時点で、7人が自民党、1人が公明党と全員が与党議員だった。

19年12月、IR・統合型リゾート施設の事業をめぐる収賄容疑で秋元司内閣府副大臣(当時)を、20年6月には公職選挙法違反の疑いで、河井克行元法相と河井案里参院議員の夫婦が逮捕された。

21年1月、鶏卵汚職事件で吉川貴盛氏を収賄罪で在宅起訴、6月には公選法(寄付の禁止)違反で元経済産業大臣の菅原一秀氏を略式起訴、12月には貸金業法違反(無登録営業)で元財務副大臣の遠山清彦元財務副大臣(公明党)が在宅起訴した。3人とも有罪が確定している。

22年12月、政治資金規正法違反(不記載・虚偽記載)で薗浦健太郎元外務副大臣を略式起訴、23年9月、政府の洋上風力発電事業をめぐる汚職事件で、秋本真利氏を受託収賄の疑いで逮捕した。

19年に秋元氏が逮捕されたことは、10年ぶりの現職国会議員の逮捕だった。その前は、民主党政権だった10年、民主党の衆院議員だった石川知裕氏が政治資金規正法違反容疑で特捜に逮捕された2010年までさかのぼる。

特捜が、次々と国会議員をターゲットにするようになった。だが、私はむしろ、約10年間の「最強の捜査機関」特捜の沈黙の方が気になる。

検察に政治生命を奪われた多くの政治家たち

今回は、約100年間に渡る「政党政治vs検察」の戦いの流れを振り返りながら考えてみたい。約100年前、平沼赳夫衆院議員の祖父で検察官僚の平沼騏一郎が、汚職事件に関連する政治家を罪に問うかを交渉材料として、政治に対して影響力を行使しようとしたことから「政治的検察」が誕生した。その後、検察は歴史的に権力の座にある(座を狙う)政治家をターゲットにした駆け引きを繰り返して政治的影響力を高めてきた。中には、まったくのでっち上げや形式犯でしかないものを起訴することで、多くの政治家の政治生命を奪ったこともあった。

有名な事例は、1914年の「ジーメンス事件」だ。ジーメンス社東京支店のタイピストがある秘密契約書を盗み、ヘルマン支店長が日本海軍高官にリベートを渡しているとして金をゆすろうとしたことが発覚した。平沼検事総長はこれに目をつけて政治へ介入し、マスコミと帝国議会が山本権兵衛首相を泥棒呼ばわりし世論を煽った。山本内閣は議会の紛糾によって総辞職した。事件が沈静化した後、山本首相が全くの無罪であったことがわかった。

1925年、普通選挙法を議会で審議中の加藤高明内閣に平沼検事総長は接近した。そして普通選挙法の成立を検察が妨害しないことを条件として、加藤内閣に圧力をかけて治安維持法を成立させることを認めさせた。この法律によって、検察は政友会を内部崩壊させ、「議会中心主義」を標榜する民政党を攻撃し、社会主義政党や共産党を弾圧した。検察は政党政治を徹底的に破壊しようとした。

1934年、平沼は枢密院副議長として、「帝人事件」の捜査を陰で操った。中島久万吉商相、三土忠造鉄相ら政治家、大蔵官僚らを次々に逮捕し、斉藤実内閣が総辞職した。しかし、この事件は実に逮捕者約110人を出しながら、公判では最終的に、全員が無罪となった。「帝人事件」は空前のでっち上げ事件と呼ばれている。

「政治的検察」は第二次世界大戦後も生き残った。1947年4月の総選挙では社会党が第一党に躍進し、民主党と連立で片山哲内閣が発足した。保守と革新が交互で政権を担当する健全な議会制民主主義が日本に定着する可能性があった。しかし検察はこの政権を容赦なく攻撃した。

当時、政党への政治献金は届出制となっていたが、社会党の西尾末広書記長が50万円の献金を受けながら届けなかったとして起訴された。これは本来、形式犯として起訴に値しないもので、最終的に西尾は無罪となった。

更に、昭和電工の社長が占領軍の民政局や政官界に接待や献金の攻勢をかけた「昭電事件」という贈収賄事件が起きた。大蔵省主計局長・福田赳夫を筆頭に官僚13人、西尾を筆頭に政治家15人が逮捕起訴され、民間人を入れると計64人が裁判にかけられたという大事件となった。しかし、この事件も最終的に被告のほとんどが無罪となった。

西尾は議会制民主主義を志向する現実主義者であったが、この2つの事件で社会党内での発言力を失った。逆に、マルクス・レーニン主義に基づいて社会主義の衛星国を目指し、米英で発達した議会制民主主義を破壊の対象と考える左派が社会党内で実権を握った。そして、社会党が政権担当能力を持つ政党に成長する機会は断たれてしまった。

また、1976年に国内航空大手・全日空の新旅客機導入選定に絡み、田中角栄元首相が受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外為法)違反の疑いで逮捕された「ロッキード事件」があった。

陸山会事件では小沢一郎の「首相就任」の芽を摘む

その後も、「リクルート事件」「佐川急便事件」など、検察と政党政治の闘いは延々と続いた。特筆すべきは、2009年の政権交代による民主党政権前後だろう。

2008年ごろ、西松建設からOBらを代表とした政治団体を通じて自民党や民主党などの大物政治家などへの違法な献金が行われた容疑が浮上した。2009年、特捜の捜査が政界に及んだ。

3月、特捜は東京にある小沢の資金管理団体「陸山会」事務所、地元事務所の家宅捜索を行った。小沢一郎民主党代表(当時)の資金管理団体「陸山会」の会計責任者兼公設第一秘書が政治資金規正法違反の容疑で逮捕された。

当時、麻生太郎内閣の支持率が急落しており、民主党への政権交代が期待されていた。小沢一郎代表は首相就任の可能性が高かった。だが、5月11日、この問題による党内の動揺を受けて、民主党代表を辞任した。

2009年9月の総選挙で民主党は地滑り的大勝利をおさめ、鳩山由紀夫民主党政権が誕生した。小沢は党幹事長に就任し、英国流の統治機構改革や、党政調会の廃止、幹事長室への陳情の一元化の断行に、その剛腕を振るおうとした。

ところが、前述の通り、2010年1月小沢幹事長の元秘書である側近・石川知裕衆議院議員を含め、小沢幹事長の秘書3人が検察によって政治資金規正法違反容疑で逮捕され、2月に起訴された。小沢本人は嫌疑不十分で不起訴処分となった。

しかし、世論は小沢を許さなかった。ある市民団体が不起訴を不服として、小沢を検察審査会に告発したのだ。検察審査会は起訴相当議決をし、特捜はこれを不起訴としたが、小沢は民主党幹事長を辞任した。

実際、2010年10月に検察審査会は小沢に対して2回目の起訴相当議決をし、2011年1月に強制起訴された。最終的に小沢は無罪となったが、一連の疑惑騒動で、国民の小沢への信頼は地に落ちた。一時は首相就任確実と考えられた小沢は、その機会を失うこととなったのだ。

このように、「政治的検察」特捜は、時に戦後日本の新たな政治勢力を目指した社会民主主義者や、小学卒から一代で権力の座に上り詰めた指導者、ドラスティックな社会変革を目指した改革者など、権力の本流と異なる氏素性を持つ政治家などを攻撃しながら、「最強の捜査機関」であり続けた。

菅義偉と黒川前東京高検検事長に抑え込まれた検察

ところが、2012年末に第二次安倍晋三内閣が登場した後、特捜は長い沈黙の時期に入る。それは、菅義偉官房長官と黒川弘務前東京高検検事長(ともに当時)が検察を抑え込んでいたからだという話がある。

菅官房長官は、毎年約10億~15億円計上される官房機密費や報償費を扱い、内閣人事局を通じて審議官級以上の幹部約500人の人事権を使い、官邸記者クラブを抑えてメディアをコントロールし、官邸に集まるありとあらゆる情報を管理した。官邸に集まるヒト、カネ、情報を一手に握ることで、菅氏は絶大な権力を掌握してきた。そして、特捜が動く前に、政権の基盤を動揺させることになる政治家のスキャンダルは未然に抑えられていたということだ。

また、菅官房長官が集めた権力は、「森友学園問題」、「加計学園問題」、「桜を見る会」、「南スーダンの国連平和維持活動(PKO)の“日報隠し”問題」、「裁量労働制に関する厚労省の不適切な調査データの問題」など、安倍前首相とその周辺が「権力の私的乱用」をして、うまい汁をすすることを守るために使われてきた。一連の隠蔽、改ざん、虚偽答弁とそれらに対するメディアの甘い対応は、菅官房長官の指揮によって行われてきたのだ。

「権力の私的乱用」という驕りの先に生まれたパー券裏金化問題

そして、安倍内閣の究極の「権力の私的乱用」が、2020年1月31日の黒川東京高検検事長の定年を6カ月延長する閣議決定だった。当時、「桜を見る会」について、高級ホテルで行われた前夜祭の会費が不当に安いこと、招待者名簿が破棄されたことなど、不審な点が次々と判明していた。また、安倍首相の関連政治団体に前夜祭に関する収支の記載がなく、政治資金規正法違反にあたるのではないかと、国会で野党が厳しく追及していた。

また、河井克行・案里夫妻の買収疑惑も広がっていた。黒川東京高検検事長の定年延長は、これらのスキャンダルを抑え込むため、彼を検事総長にするために、安倍内閣が強引に進めたものだった。

しかし、20年5月、賭けマージャン疑惑で黒川氏に問題が浮上したことで、黒川氏は東京高検検事長を辞任となった。9月には、安倍首相が退陣した。菅氏が後任の首相となったが、「桜を見る会」で特捜が安倍事務所の事情聴取に入っても、菅首相は、官房長官時代のようにそれを抑えようとはしなかった。

「最強の捜査機関」特捜が次々と国会議員をターゲットにするようになった。そして安倍首相亡き今、政治資金パーティー収入の裏金化問題で、安倍派をターゲットにして徹底的な疑惑追及を行おうとしている。まるで、人事にまで介入してきた安倍内閣に対する復讐を果たそうとしているようにみえる。

安倍派の政治資金パーティー収入の裏金化問題は、前述の「権力の私的乱用」という驕りの先に生まれたものだろう。憲政最長の長期政権を築く間、「桜を見る会」での狂騒と同じように、政治資金パーティーを開けば、そのたびに多くの組織、団体、個人が安倍派とつながりを持ってうまくやろうと寄ってくる。予定以上の資金が集まるので、それを内輪で分け合った。横領とされても仕方がない行為だが、誰も権力に逆らって摘発しようとしないという驕りがあったのだ。

私は安倍内閣期に、政治家は「謙虚」でなければならないと主張してきた。それは、政治家が国民の「信頼」を失うと、国家が本当の危機に陥った時に、指導力を振るうことができず、「国益」を損ねてしまうからだ。それは、権力の私的乱用を繰り返す安倍内閣に対する警告であった。

特に、強力な首相の権力は、究極的には「有事」において、首相が指導力を発揮するためにあるはずだ。ところが、首相に「謙虚さ」がなく、「軽率な言動」「驕り」「傲慢な態度」によって、首相の権力に対する国民の支持・信頼が失われてしまうことは深刻な問題である。

有事の際に、首相の指導力が国民に信頼されないならば、それは「国益」を損ねることになる。端的に言えば、台湾有事や北朝鮮のミサイル開発の危機に晒される日本では、岸田首相が防衛費を増額し、安全保障体制を構築しようとしてきた。だが、国民の政治に対する不信感が究極的に高まっている現状で、それがそれを支持するのか。

特に、保守派として安全保障体制の充実に取り組んできたはずの安倍派が、スキャンダルにまみれて、岸田内閣の存続を危うくし、安全保障体制の構築が遅れて、国益を損ねているのは、情けない限りである。私の警告が最悪の形で実現してしまった。

何度でも強調するが、強い権力を持つからこそ、何をしてもいいのではなく、普段はその扱いには慎重にならねばならない。そうでないと、いざというときに権力を使えなくなってしまうのだ。指導者が「謙虚」でなければならない本当の理由はここにある。全ての政治家が、「謙虚さ」の本当の重要性を知るべき時ではないだろうか。

image by: 【山谷えり子公式facebookページ】eriko YAMATANI Official Facebook Page - Home | Facebook

上久保誠人

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

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