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ただの“搾りカス”?世間に流通する「ノウハウ」との正しい付き合い方を文筆家が考察

世の中にあふれるさまざまな「ノウハウ」。しかしそれらは玉石混交であることもまた紛れのない事実でもあります。私たちはそんな「ノウハウ」をどのように扱い、そしてそれらとどのように付き合うべきなのでしょうか。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』では文筆家の倉下忠憲さんが、そもそも「ノウハウとはいかなるものか」を解き明かした上で、その使い方を考察。他人のノウハウを役立たせる術をレクチャーしています。

他人のノウハウとどう付き合うか

以下の記事を面白く読みました。

どうすれば上手に文章が書けるだろうか | Jazzと読書の日々

そもそも他人の「ノウハウ」はその人の「苦手」です。「苦労を見つめノウハウに仕上げるプロセス」が苦労を克服する。出てきたノウハウは絞りかすに過ぎません。絞りかすにも栄養はあるけど、プロセスこそが参考になる。

同感です。ノウハウそのものよりも、そのプロセスが参考になる。以下の記事でも似た観点が含まれています。

[Obsidian] とにかく頑張らない使い方

というか一般ユーザーにとって、こういうのは使う前に習得すべきものじゃなくて、使っていくうちに湧き出る不満を解消するための頑張りなんです。(ってこの前ごりゅごさんが言ってました。完全に同意します)

 

それがあたかもObsidianを使うための前提条件であるかのように扱われてしまっている。これは記事を書く側の人間としても不本意だ。

工夫というのは、「使っていくうちに湧き出る不満を解消するための頑張り」なので、全員が最初から取り組むものではない。これもその通りでしょう。

こうした観点から、私たちが「ノウハウ」情報とどう付き合えばいいのかを考えてみます。

■問題解決の旅

私たちが何かに取り組もうとするとき、「うまくいかない」事態が生じます。それをそのまま受け止める人もいるでしょうが、その状況に納得がいかず何かしらの問題解決を求める人もいるでしょう。工夫はそこからスタートします。

どうやったらその問題が解決するかを考え、打てる手をいろいろ試すこと。そうしたアプローチが取られるわけです。うまくいく(≒機能する)工夫を見つけ出す旅です。

そうした旅の結果として、一つのやり方が確立されます。それがノウハウです(あるいはノウハウの素となるものです)。

多くの場合、そこで確立されたノウハウは暫定的なものでしかありません。状況が変わり、起こる問題が変化すれば適応は失われます。そうしたときは、再び新しいやり方を探す旅が始まるでしょう。

人間が行う工夫というのは、このようなプロセスを持っています。一つの工夫にたどり着く中にも試行錯誤のプロセスがあり、そうして試行錯誤して見つけた工夫もまた、より長期な視点では一つの「駅」でしかなく、状況が変われば別の駅に向かって進むというプロセスが新たに起こるわけです。

そうした進行のプロセスを強調するために、ここではそれを「工夫ing」と呼ぶことにしましょう。

「工夫する人」というのは、人生において「工夫ing」している人のことです。

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■ノウハウとは何か

「ノウハウ」とは「Know-how」のことであり、どのように行うのかについての知識です。もちろん、ここで「Know」の解釈が問題になります。Know=知っている、とはどのようなことなのか。もう少し言えば、howをknowしているとはどういう状態なのか。

たとえば私は「フーリエ変換」という言葉を知っていますし、その意味も(ググれば)すぐにわかるでしょう。しかし、何かしらの数式をみたときに「ああ、これはフーリエ変換をしたら求める数式が得られるな」と思いつくことはありません。そもそも、その変換を自分の手で行ったことが一度もないからです。

その意味で、私は「フーリエ変換」という言葉はKnowしていますが、「フーリエ変換」という手法のKnow-howは持っていないと言えるでしょう。言い換えれば、「具体的にそれをどう行うのかが身体化されている状態」が、howをKnowしている状態だと言えます。

この観点に立てば、誰かが発表するノウハウというのは、当人が身体化している方法についての情報です。ノウハウそのものというよりは、ノウハウについての情報なのです。その二つを区別するためにそれをKnowledge-howと呼ぶことにしましょう。

■ノウハウについての情報

Knowledge-howは、ノウハウについての情報なので、それを取得しただけで自分にノウハウが身につくわけではありません。あくまで「ノウハウについての情報」をKnowするだけなのです。

ノウハウは、摂取した情報からではなく、常に自分の実践の結果として得られるものです。何かしらを身体化する上で、そうした実践を避けて通ることはできないでしょう。

しかし、Know-howとKnowledge-howが、共に「ノウハウ」と呼ばれるのでその区別が曖昧になっています。あたかも「ノウハウについての情報」を読めば、身体化された方法が取得できるような感覚があるのです。しかし、それは幻想です。

他の人から提示される「ノウハウ」は、あくまで情報(Knowledge-how)に留まっており、自分でノウハウを身につけるのには、実際に手を動かすことが避けられないのです。

■不完全な情報

もう一点押さえておきたいのは、Knowledge-howというのは、発表者が身体化しているKnow-howについての発表であり、そこで十全に情報が開示されているとは限らない、ということです。

そもそも何かしらが「身体化」しているとは、それが意識に上らなくなっている状態を指すわけで、その一部始終を言葉として表現すること自体に限界があります(言葉にするには意識の対象にしなければならないので)。

その上、実践者が意識していない前提や環境があるかもしれません。つまり、本来はそのKnow-howに含まれているのだけども、あたかもそれとは関係ないように扱われてしまっている情報がありうる、ということです。

そうした点をもろもろ加味すると、Knowledge-howは、Know-howについての情報であっても、Know-howについての完全な情報とは言えない、ということがわかります。その情報だけで、実践を完全に再現できる保証もないわけです。

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■ノウハウは無価値か?

だとすれば、他人が提示するノウハウにどんな価値があるのでしょうか。少し気になってきます。

Knowledge-howを得ただけでは、Know-howは得られず、実践がどうしても必要で、しかもそのKnowledge-howは、完璧な実践を保証するものではない。

そんな情報なんてほとんど無価値ではないでしょうか。まさに「搾りかす」です。

とは言え、まったく無価値だと断じるのは早計でしょう。

第一に、提示されたKnowledge-howからKnow-howをリバースエンジニアリングするアプローチが考えられます。「この工夫は、こういう感覚があるからやっているんだな」と推測するわけです。非常に高度な情報の使い方です。

ただし、十分な推論が必要なのと、少なくとも自分の中にその分野に関する一定の身体知がなければそもそも想像しようもない、という問題があります。その意味で、中級者以上の情報の使い方です。

第二に、問題発見のヒントとして使うアプローチがあります。たとえば「大量のファイル名を書き換えるのは面倒なので、このプラグインを使います」というノウハウ(Knowledge-how)があったとしましょう。それを見聞きしたら、

という二つの情報が手に入ります。

これまで手動でファイル名を書き換えていた人は、そこから何か機械的なもので解決できないかを考えるようになるでしょう。また、そうした作業をまったくやってこなかった人でも「ファイル名って書き換えられるんだ」というコンピュータ利用における新しい情報が手にできることもあります。

つまり、最終的にそこで紹介されているプラグインをまったく使わなくても、役立つ情報は得られているわけです。

とは言え、これもまた情報を受けとる人の姿勢が問題となります。「教えられたプラグインをインストールすればいいんだ」とだけ考えるならば、こうした枠外の情報は得られません。その意味で、どういう姿勢を持つのかが重要な鍵を握っています。

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■騙されたと思って

最後のアプローとして、不完全であろうがともかく提示された情報の通りにやってみる、という動機づけとして利用することがあります。

前述した通り、ノウハウを習得するには実際にやってみるしかありません。どれだけ情報を見聞きしても、それだけではノウハウの習得は不可能なわけです。

その点を考えると、何かしらのノウハウ(Knowledge-how)を示されたときに、「よしこれならやれそうだ」という気持ちになり、実際に何かをやってみることが始まるなら、その情報はかなりの「仕事」を為していると言えるでしょう。

仮にそのKnowledge-howが不十分であり、そこで提示された情報だけでは十全に行為の達成が為せないにしても、「やろう」という気持ちになり、実際に取り掛かってみることが生じるているだけで、価値としては相当に大きいものです。それくらい実践してみることは大切なのです。

まず、「やろうと思う」ことが難しく、次に「実際にやること」はさらに難しくなります。だからこそノウハウを身につけるのは難しいのです。

その意味で、その一歩がどのような一歩であれ、まず一歩を踏み出すことが可能になったというのならば、ノウハウ(Knowledge-how)は、有益な価値を持っていたと言えます。いわば、行為を促す触媒として捉えるわけです。

結果的に、そのノウハウをやってみてもぜんぜん上手くいかなかった、ということは十分に起こりえるでしょう。しかし、その結果は無益なものではありません。そうした実際の経験からわかることはたくさんあるはずです。

実際、一時期のブームでGTDに挑戦した人の多くは、結果的にそれに挫折しているでしょう。しかし、挫折したとしても経験として得られているものはたくさんあるはずです。一部の技術は身体化したかもしれません。何が問題なのかをちょっとは理解できたかもしれません。その全体を見れば、挫折に至るまでのプロセスだって無駄だとは言えないでしょう。

妙な話になりますが「よし、これならやれそうだ」というのは一種の勘違いです。誤謬。不合理。でも、そういう気持ちを抱けるからこそ為せることがあります。はじめから「どうせ失敗するから一度もやらないでおこう」と経験の可能性を捨てることに比べれば──だいぶ残念な気持ちを得ることになっても──、実際に何かやってみることの価値は大きいものです。

その点を考えても、他人のノウハウ(ついての情報)はたいへん役立ちます。あるいは役立たせることができます。

■さいごに

こうしたノウハウについての観点、つまりメタ・ノウハウについての検討はあまり行われてこなかったのではないでしょうか。

義務教育の場合は「正しいやり方」を学ぶことが重視され、社会に出たら出たで玉石混交のノウハウに囲まれるのが現代社会です。そうした社会の中にあって、「ノウハウ」といかに付き合うのかは存外に重要性を増しているように感じます。

今後も引き続き、この話題については考えていくとしましょう。

──(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2022年12月11日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をご登録ください)

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image by: Shutterstock.com

倉下忠憲この著者の記事一覧

1980年生まれ。関西在住。ブロガー&文筆業。コンビニアドバイザー。2010年8月『Evernote「超」仕事術』執筆。2011年2月『Evernote「超」知的生産術』執筆。2011年5月『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』執筆。2011年9月『クラウド時代のハイブリッド手帳術』執筆。2012年3月『シゴタノ!手帳術』執筆。2012年6月『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』執筆。2013年3月『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』執筆。2013年12月『KDPではじめる セルフパブリッシング』執筆。2014年4月『BizArts』執筆。2014年5月『アリスの物語』執筆。2016年2月『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』執筆。

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【著者】 倉下忠憲 【月額】 ¥733/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 月曜日 発行予定

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