東日本大震災が発生した3月11日の前後には、多くのメディアが決まってあの日を振り返る特集を組みます。今年は、元日に能登半島地震が発生したこともあり、その数も多く内容も濃かったのではないでしょうか。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、震災5日後には故郷である被災地に入り、捜索や救助活動を手伝った著者の引地達也さんが、「新しい衝撃」を受けたというNHKスペシャル「語れなかったあの日 自治体職員たちの3.11」を紹介。職員たちが自らの体験を語る際の「間」に、番組が伝えようとした教訓だけでないメッセージを読み取っています。
エスノグラフィーが紡ぎだす「間のある」人と東日本大震災
正直なところ、2011年3月11日以来、私の「世界が変わった」衝撃も13年も経てば時間の圧力に風化が進むだろうとの思いがあった。しかし、13年に際してテレビメディアを通じて新しい衝撃が加わった。
それはNHKスペシャルで語られた自治体職員の振り絞るような言葉である。「エスノグラフィー」の手法を引用し、発災直後の自分を語る職員たちの悲痛な表情。13年の歳月をかけても消えない鮮烈な場面は、消え失せることはないようだ。
命を大切にしようという、誰もが優先するべき当たり前を、救助や埋葬で何らかの「命の順番」を付けなければいけない残酷さに向き合いながら職務を遂行した彼・彼女ら。個人情報保護の側面からも住民と直接やり取りをする自治体職員の苦悩を伴う動きは、公に出されることが少なかった。
メディアでは良悪の基準で図られがちであるが、職員らの現実的な対応は困難な状況下では常に正を求められるからつらいのだろう。答えは1つではなかったはず、と今だから言える言葉を噛みしめながら、当時の苦悩を目の当たりにしている。
3月10日のNHKスペシャル「語れなかったあの日 自治体職員たちの3.11」は、宮城県や気仙沼市などの自治体職員の1000人以上の聞き取り調査をもとに、数人の職員が発災直後の自分の行動、そして周囲で起こったことの語りを中心に構成されている。
番組の中で、その聞き取り手法はエスノグラフィーと紹介されたが、ヒューマンライブラリーに近い「語り」に重きが置かれたような印象がある。当時の記憶を語り、それを記録するプロセスにおいて、質問者とのやりとりはなく、1つのテーマに対し、自らが言葉を紡ぎ語っていくという方法である。
少なくともカメラの前ではそう言えたが、自分の語りで話は展開するから、当時の記憶を呼び起こしながら、それを再度考え、自分の内面にあった思いを外に表出することになる。その言葉と表情がシンクロして、人が真剣に思い、考える様が心を打つ。
その語りは、番組の紹介では「被災者の極限的な心情に向き合いながら奮闘した自治体職員たちが語る生々しい言葉には、大規模災害が相次ぐこの国の未来に伝えるべき教訓が詰まっている」と説明し、未来への教訓と位置付けた。しかし、それだけではない力強いメッセージも伴っている点がこのインタビューの真骨頂だろう。それは、人が生きる、ことへの根源的な問いかけだ。
例えば、仙台市の荒浜海岸は市街地から最も近い海水浴場で私も小学生の頃には慣れ親しんだ場所だが、そこには多くの遺体が打ち上げられた。救助ヘリで上空にいた消防隊員はその模様を苦悶の表情で語っていた。
当時、「荒浜海岸」の情報を東京で知った私は5日後に実際その場に立ち、津波の海水が引いた田圃で遺体の捜索を手伝い、泥だらけの遺骸のいくつかを目の当たりにする。それは、どこか現実離れしているようで、私自身もうまく言葉にならないままだ。だから、発災から対応していた職員の驚きや苦悩や戸惑いは想像をはるかに超えた、人智を凌駕する瞬間の連続だったのだと察する。
もっと大きな見方をすると、AIによる仕事の拡充が進む中で、AIに感情を持つかの問いに、「AI研究のゴッドファーザー」、トロント大のジェフリー・ヒントン名誉教授は「主観的な経験という観点」から「AIは人間と同じような感覚を持てる」と話している(3月10日日経新聞)。
この認識と被災地の自治体職員が訥々と語るそれぞれの事実とそれを伝えようとする感情には乖離があるように思えてならない。語りの中にあるそれぞれの間。そこに滲む寂しさ、悔しさ、悲しさ、切なさ、儚さ─。これらの感情を発出しながら、時には押し殺し、または違う言葉で包み込みながら、自治体職員もそして体験をした私たちはあの日を語っている。
この語りの連続性に日常があることを考えると、「感情を持つAI」と言われても、そこには表情がないから戸惑ってしまう。震災を深く考えることは、私たちの命、人を考えることにもなる。311の今日。その思いをかみしめたい。
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