クレムリン、今の権力争い
クレムリンでは今、二つの勢力が争っています。すなわち、「パトルシェフ派」と「チェメゾフ派」です。
チェメゾフとは誰でしょうか?
プーチンと同じ1952年生まれ。元KGBのエージェントで1980年から8年間、東ドイツのドレスデンに赴任していました。プーチンは1985年から1990年までドレスデンにいた。ここで、チェメゾフとプーチンは、親友になったのでした。
2007年、チェメゾフは、国営軍事会社ロステックのCEOに就任。今もその地位にあります。
もう一人のパトルシェフは、誰でしょうか?
彼は1951年、レニングラードに生まれました。プーチンと同郷で、1歳年上です。レニングラード造船大学卒業後、KGBに入りました。
1999年、FSB長官だったプーチンが首相に任命されます。パトルシェフは、プーチンの後任としてFSBの長官に就任しました。2008年、パトルシェフは安全保障会議書記に就任しました。以後、2024年まで16年間この地位にありました。
「チェメゾフ派」と「パトルシェフ派」の権力争い。どちらが優勢なのでしょうか?今回の人事で、「チェメゾフ派が優勢」であることがはっきりしました。
ちなみにパトルシェフは、息子のドミトリー農業大臣を首相にしたかった。今回の人事で、ドミトリーは、副首相に任命されました。それでも、パトルシェフの勝利とは言えません。
パトルシェフは少し前まで、「ロシアの実質ナンバー2の権力者」と思われていました。FSB長官、安全保障会議書記の彼は、「ロシアの全諜報機関を操ることができる」と言われていた。
ところが今回、プーチンはパトルシェフを解任し、「大統領補佐官」にしました。これは、明らかに「なんの権限も権力もないポスト」です。パトルシェフの諜報機関に対する影響力は、ほとんどなくなるでしょう。
なぜ、プーチンは、盟友パトルシェフから権力を奪ったのでしょうか?
「反逆を恐れた」のでしょう。
ロシアの中で、プーチンを失脚させることのできるリアルな力を持っていたのは、パトルシェフだけだからです。
ちなみに、パトルシェフがいなくなり、ショイグがトップになった安全保障会議は、「ただのお飾り」になるでしょう。
では、勝利したチェメゾフは、どうしたいのでしょうか?彼がコントロールしているのが、再任したミシュスティン首相です。そして、中国も、ミシュスティンをプーチンの後継者と見ている。
今後、ロシアの中国属国化は、ますます進んでいきそうです。中ロの一体化を進めてしまったアメリカの政策は、明らかに失敗だったといえるでしょう。
「ロシアを引き込んで、米日ロで中国封じ込めを」
ミアシャイマー教授や世界一の戦略家ルトワックさんの提言を、アメリカ政府が無視しつづけた結果が現在の惨状です。
以上、久しぶりに「ロシア政治経済ジャーナル」っぽいお話でした。
(無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』2024年5月15日号より一部抜粋)
image by: Evgenii Sribnyi / Shutterstock.com







