そうして1年経った頃、オーナーさんから「私も年だからもうこの店を手放そうと思う。君、あとを引き継がないか?」と、思いがけないお話をいただいたのです。
改めて振り返ってみると、それまでどの会社にも馴染めなかった自分が、同じ仕事を1年も続けられたのは稀有なことであり、他に生きる場所のない身には願ってもない申し出でした。
「私でよろしければ、やらせていただきます」
たい焼きに縁もゆかりもなかった自分が、彷徨い続けて流れ着いたたい焼き屋。運命としか言いようのない出逢いでした。
新たに掲げたお店の看板には、お客様に福をお分けするという思いを込めた「分福」の文字と、お世話になった前オーナーの「厚之助」というお名前を冠しました。2013年、36歳の時です。
しかし、オーナーとして人を雇い商売を続けていくことは簡単ではありません。
素人の自分でもこのお店を維持していける、本質的な秘訣はないだろうか。
厳しい現実の中で模索し、辿り着いた結論はただ一点、自分に関わるすべての人を喜ばせることでした。
私は、まず一緒に働いてくれるアルバイトさんに喜んでもらうために、控え室に常におやつや飲み物を用意しておくと共に、お客様が多く大変だった時には些少ながらポケットマネーを振る舞い労をねぎらいました。
そしてお客様に喜んでもらうために、自分たちがやることはたい焼きを売ることではなく、お客様を喜ばせることだという考えを皆で徹底して共有しました。
例えば、ショッピングモール内で目的のお店が見つからず困っている方を見かけたら、営業を中断してご案内しました。
店頭では余ったたい焼きの生地でつくった煎餅を積んでおき、無料で食べていただきました。
さらに仕入れ先にも喜んでもらうために、材料の値上げにも決して嫌な顔をせず取り引きを続けて信頼を得ました。
いずれも採算を考えずにやったことですが、そのうちお店が明るい笑い声で包まれるようになり、じわりじわりと売り上げも上がっていったのです。
喜びを与えれば、喜びが返ってくる。このことを確信した私は、ショッピングモールの閉店に伴い、5年前から自宅で営業する現在の店舗に移ってからもこの「喜ばせ道」を貫いています。
この商売は毎年夏の売り上げが伸び悩み、今年はもう駄目かもしれないと思うこともあります。
それでも何とか踏み止まっているのは、どこにも居場所のなかった自分が巡り合ったこのたい焼き屋こそは、天に与えられた己の天職。
ならば全身全霊で取り組もうという覚悟があるからです。
すべてはこの覚悟から始まる。きょうまでたい焼き屋を営んできて得た実感を元に、私はこれからも自分に関わるすべての人を喜ばせる「喜ばせ道」を歩んでいきたいと願っています。
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