組織になじめず転職を20回以上繰り返した男性が巡り合った、たい焼き屋さんへの就職。これが彼の人生を変えました。県外からも多くのお客様を迎える彼のお店ができるに至った経緯を、無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』で紹介しています。
「喜びを与えれば喜びが返ってくる」橋本純也(たい焼き処 分福屋 厚之助店主)
いままでに食べたたい焼きの中で、一番おいしい!
お客様の喜ぶ顔を見る度に、店主の私は内心「そりゃそうでしょう」とほくそ笑みます。
だって自分が世界一と言い切れるたい焼きをお出ししているんだから。
否、そう言い切れるものをお出ししなければ、わざわざうちにお越しくださるお客様に失礼だと私は考えます。
私が営む「たい焼き処 分福屋 厚之助」は、埼玉県行田市という地方の、決して便利とはいえない場所にあります。
それでも地元はもとより市外、県外からもたくさんのお客様が来店され、田舎では異例の1日200匹ものたい焼きが売れることもあります。
そんなお客様のために当店では、一番と確信できる材料を厳選して、常に焼きたてをご提供することにこだわっています。
食べた瞬間に「うまい!」と感動していただけなければ次はない。そう考えて一回一回、真剣勝負でお客様をお迎えしているのです。
おかげさまで、開業半年で消えていくお店が大半な中、たい焼きには縁もゆかりもなかった私がこの商売を始めてもう12年目になります。
大切なことは、その店にどういう人間がいるか。私の大好きな致知出版社の本から学んだ人間学の重要性をますます実感する今日この頃です。
とはいえ、私は元々秀でた能力もなく、組織にも馴染めない人間でした。
最初は母親の伝で印刷会社に就職し、グラフィックデザインの仕事をしていましたが、もっと別の世界を見てみたいと考えたのが運の尽き。
27歳でその会社を辞めてからはどこへ行っても馴染めず、転職を重ねること20回以上。
もうこの世には自分の生きていける場所などないのではないか、と絶望していました。
それでも何とか食べていくために応募したのが、近所のショッピングモールで営業するたい焼き屋のアルバイトでした。
あいにく連絡をした時には既に採用は締め切り。
他を当たらなければと考えていたところへ「やっぱりあなたを採用することにした」とオーナーさんから電話がありました。
いったいどこを見込んでくださったのか、先に採用した人を断った上で、何の経験もない私を店長にしてくださるというのです。34歳の時でした。
私は新米店長として、高校生アルバイトの“先輩”にたい焼きのつくり方、レジの打ち方、接客の仕方を一から教わりながら懸命に働きました。