「ほぼトラ」どころか「確トラ」とまで言われたものの、バイデン氏の撤退で流れが大きく変わったアメリカ大統領選。事実、トランプ氏の優勢が伝えられていたいわゆる「激戦州」でも民主党新候補のハリス氏の大健闘が明らかになるなど、風向きに明らかな変化が見られています。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、バイデン撤退で「異次元転換した」という選挙戦の構図を分析・紹介。さらに両者の副大統領候補選びが明暗を分けたとして、その理由を詳しく解説しています。※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:ハリスならトランプ再登場の悪夢を阻むことが出来そうだという一筋の光明/異次元転換した米大統領選の構図
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
アメリカ大統領選が「異次元転換」。ハリスはトランプ再登場の悪夢を阻めるか
米大統領選についての最新の世論調査を見ると、8月11日早朝現在、民主党のカマラ・ハリスが共和党のドナルド・トランプを、僅かながらではあるが、追い越しつつあることが見てとれる(数字は%)。
■英エコノミスト「米選挙2024」サイト
ハリス 47.5
トランプ 45.8
■米NYタイムズ「NYT/シエナ大学・主要3州調査」
Michigan Pennsylvania Wisconsin
ハリス 50 50 50
トランプ 46 46 46
■ブルームバーグ「激戦7州調査」
全州 Ariz Ga Mich Nev NC Pa Wis
ハリス 48 49 47 53 47 46 46 49
トランプ 47 47 47 42 45 48 50 47
この傾向はさらに進んで、ハリスがトランプの再登板を阻止することになる公算が大きくなるのではないか。
ギリギリのタイミングで身を引くというバイデン「最大の功績」
トランプ陣営は、2年前から戦う相手がバイデン現大統領であるという前提で再選戦略の準備を始め、その中心を、経済政策や移民政策での政権の“失敗”とバイデン個人の心身の衰えと重ね合わせて揶揄することに絞り込んできた。6月27日に行われたテレビ討論会でバイデンに失態を演じさせることが出来たのは、その戦略の大成功で、加えてその半月後にペンシルバニア州で屋外集会で狙撃され危うく一命を取り止めるという「神のご加護」とも思える出来事が重なり、もはやトランプ勝利は確定的とまで言われた。
しかし、それを見て11月の本選挙で再選を果たすことは絶望的であることを悟ったバイデン陣営は、7月21日選挙戦からの撤退を宣言、早々にカマラ・ハリス副大統領を後継候補とすることを決めた。
この3年半に何をしたかと問われても答えに窮してしまうバイデン大統領の最大の功績は、このギリギリのタイミングで身を引くことを決断したことだったと思えるほどである。
それで、トランプにとっては困ったことになった……。
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自分が史上最高齢の大統領候補者になってしまったトランプ
第1に、ハリスは59歳である。選挙時に43歳だったJFKや47歳だったオバマと比べれば一回りかそれ以上も上だが、81歳のバイデンより22歳若く、78歳のトランプより19歳若い。そのため、バイデンの老齢化による心身衰弱を笑い物に利用してきたトランプの戦略は崩れ、逆に自分が史上最高齢の大統領候補者になってしまったことを余り知られたくない立場になってしまった。そういう目で見るからかもしれないが、彼が急に老けて見える。
第2に、ハリスは女性である。2016年に民主党の大統領候補となって初めての女性大統領の座に挑戦したのはヒラリー・クリントンだが、僅差でトランプに敗れた(ちなみにその時彼女は69歳)。ヒラリーは誠に有能だと思うが、弁護士から大統領夫人、上院議員、国務長官という文句のつけようがない経歴にはかえってエリート臭が纏わりついた。
それ比べるとハリスは、学者一家に生まれて同じく法律家の道に進んだという意味ではエリートに違いなく、カリフォルニア州で地方検事、同州で初めての女性司法長官を務めた後、16年に上院議員、00年にバイデンの伴走者となった。とはいえ、ヒラリーのような人を見下すかの高慢さとは無縁であるどころか、むしろガハハと笑う笑い方が話題になるほどの庶民的な感じの人柄で、その意味では米国初の女性大統領への距離はヒラリーより近いかもしれない。
若者を中心に巻き起こる「カマラノメノン」という現象
第3に、ハリスはカラードである。しかも、ジャマイカ系黒人の父(スタンフォード大学の名誉教授も務めた経済学者)とインド系の母(乳癌専門の医学者)を持ち、幼い頃から黒人向けキリスト教会とヒンズー教寺院の両方に通ったという、人種的・文化的多様性の象徴のような人物である。
バイデンvsトランプでは「どちらかを選べ」と言われても困ってしまい、棄権する者が多くなることが予想されてきたが、
- 女性層はもちろん「初の女性大統領誕生」という歴史的快挙に加担したいし、
- 民主党から離れがちだった黒人層は一気に戻って来そうな気配だし、
- アジア系やヒスパニック系でも同様のことが起きるだろう。
- また、人種や出身に関わりなく「Z世代」と呼ばれる若者層にはトランプを忌み嫌う人たちが多く、彼らも棄権するくらいならハリスに投票するだろう。
第4に、ハリスはリベラルである。死刑廃止、同性婚や妊娠中絶の権利、銃規制などに積極的に取り組んできた。こうした問題を議論する時のハリスは舌鋒鋭く、議員時代にはしばしば相手をやり込めることがあったという。これらのテーマは特にZ世代の共感を呼びやすい。
こうした要素が相乗することによって、すでに、NYタイムズ8月5日付が見出しに使った言葉を借りれば「カマラノメノン(Kamalanomenon――カマラの名に「現象」=phenomenonを接合した造語だろう)」がすでに起きていて、ハリスの出馬が報じられてから12日間で若者層を中心に37万人の選挙ボランティア登録があり、また7日間で2億ドル(約300億円)の新たな献金が集まった。
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トランプの焦り。事態の急変に戸惑い汚い言葉を乱射
バイデンなら戦い易いと思って準備を重ね、すでに莫大な資金を投じて政治CMなどを打ってきたトランプ陣営としては、事態の急変に戸惑い、焦り、その結果、今まで以上に汚い言葉を乱射しようとする傾向を強めている。そういうことから失言事件を引き起こしたりすると、これからわずか100日間の「短期決戦」ではダメージを修復する暇もなく投票日を迎えてしまう可能性もある(それはもちろんハリス陣営にとっても同じだが)。
トランプは、バイデンの老いを揶揄する代わりにハリスの若さを嘲笑おうとしたのだろうか、彼女は「何も分かっていない(she has no clue)、彼女は邪悪だ(she is evil)」という台詞を繰り返している。それで思い出すのはトランプが現職大統領時代にドイツから帰った後のホワイトハウスの会議で、メルケル首相(当時)を「あのあばずれ(that bitch)」と呼んだことである。女性への侮蔑を示すのにこういうほとんど幼児語に近い言葉遣いをするのがトランプ流であるようだが、これが米国では一部の白人男性たちの心を動かすらしい。
また黒人の血が混じっていること自体をあげつらうことはいくら何でも出来ないので、そういう場合には「人種差別主義者(racist)」という形容詞を使うのが常套手段である。かつて彼は自分を断罪する裁判を担当した2人の別の黒人女性検察官に対して「黒人であるが故に白人である自分に対し不当な扱いをする」という悪罵の意味を込めてレイシスト呼ばわりをした。
ハリスの上品さを失わないお洒落とさえ言える物言い
トランプはまさにハリスに対してその用語を蘇らせようとしているのだが、それへのハリスの対応は大人びていて、こう言っている。
「地方検事や州司法長官の仕事を通じて私は、女性を虐待して食い物にする貪欲な輩や、消費者を丸裸にする詐欺師や、自分の利益のためにルールを破るペテン師など、あらゆる種類の悪事犯を相手にしてきた。だから当然、トランプのようなタイプの人間をよく知っている」と。
毒気を含んでいるがギリギリのところで上品さを失わないお洒落とさえ言える物言いである。
さらに、ハリスのリベラル性が恰好の攻撃ポイントだと考えているようで、最近トランプは「ハリスは極左だ」というレッテル貼りを多用している。しかし、例えば妊娠中絶は絶対悪だとする極端な意見に対して、事情によってはそれも1つの選択肢として許容されるべきだと主張することが、果たして極左の名に値するのか。あるいは、移民そのものを敵視し排除しようとする意見に対して、無制限に受け入れるべきではないけれども世界には困って切羽詰まっている人々がたくさんいるので、豊かな国の我々は出来る限り手を差し伸べるべきだと主張する、米国民の多数派の考えに立つことを、極左として否定すべきなのか。
民主主義の国であれば熟議を通じてより良い解決策を見出していくのが基本マナーであるはずなのに、中身の議論は拒んでありきたりのレッテルを貼るだけの「印象操作」で切り抜けようというのがトランプで、今後100日間にはそういうトランプの粗野とハリスの上品とのやり取りを幾度も目撃することになるのだろう。
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トランプが大きく誤った副大統領候補の人選
もう1つ、トランプに不利に、ハリスに有利に働くであろう大きな、もしかしたら決定的となるかもしれない要因は、副大統領候補の選び方である。米国の事情にも詳しい元外交官の田中均は、『サンデー毎日』8月18日号で倉重篤郎のインタビューに答えてこう語っている。
「(トランプは)副大統領候補の人選を間違えた。自分と主張が同じ人物を候補にした。本来であれば、副大統領候補は大統領の支持の薄いところ、弱点をカバーできる人を指名するのだが、米国ファースト、MAGA(Make America Great Again)を徹底的に追求しようと思ったのだろう」と。
その通りで、この人選の失敗は早速、その副大統領候補=ヴァンス上院議員の失言事件として破裂した。21年に保守系のFOXテレビに出演した際、ハリスだけでなく民主党左派のオカシオコルテス下院議員、同性愛を公言するブティジェッジ運輸長官を名指して「民主党の将来は子供のいない人々に支配されている」「(ハリスらは)子供がおらず猫だけを可愛がって暮らす寂しい女たち(childless cat ladies)」と口汚く罵倒していて、その映像が発掘されネットに出回った。
日本のチンピラ右翼や安倍チルドレン議員の中にも同様の偏見があるが、言うまでもなく産みたくても産めない事情を抱えるカップルに対する初歩的かつ甚だしい人権侵害で、しかもハリスは結婚相手の2人の連れ子と暮らし、彼らから「ママラ」と呼ばれて仲良くしているし、ブティジェッジの場合もパートナーと共に養子を迎え我が子として育てている。
自分らが直接に子を産む条件に恵まれなくとも、その辛さや悲しみを乗り越えて次の世代を育てることに実の親かそれ以上に情熱を注ぐ人たちは、米国にも世界にも沢山いる。その人たちを馬鹿にするなど、下劣の極みである。
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トランプ陣営を苛つかせているウォルズが放った一言
ヴァンスは妊娠中絶に関しても完全禁止の極論の持ち主でかつて「レイプや近親相姦による妊娠に関しても中絶を許すべきでないと喚いていた記録が残っている。
トランプは中絶には基本的に反対ではあるが、レイプや近親相姦など女性本人の意思に反する妊娠の場合は例外とするという考え。知ってか知らずか、自分よりさらに極端なことを言い散らす人物を伴走者に選んでしまったわけで、これでは、田中均が言うように、である副大統領が自分の弱点をカバーするどころかその傷をさらに広げてしまうことになる訳で、失敗人事である。
それに比べるとハリスがテイム・ウォルズ=ミネソタ州知事を選んだのは多分成功人事で、上述のように優秀なインテリであるが故にエリート層の一員と見做されかねない彼女の“弱点”をカバーするだろう。ウォルズは、子供らに優しい学校の教員で、州兵やフットボール・チームのコーチなどコミュニティのための奉仕を厭わない「田舎の校長先生」風の安心できるキャラクター――米メディアで「中西部の裏庭でのバーベキューで出会うような男」がカバーすることになるだろう。
しかも、単なる好々爺ではなく、長年の教員生活や下院議員、知事としての政治経験を通じて培われた才覚もなかなかで、脚光を浴びるようになって早々にトランプ=ヴァンスのコンビを「ウィアード(weird)」と表現したのが絶妙な効果を発揮、たちまち流行語となってネット上だけでなくメディアでも飛び交うようになった。
この語は「変な、奇妙な、見たことも聞いたこともない、前代未聞の」などが本義で、さらに拡張的には「不可思議な、神秘的な、恐ろしい、不気味な」といったニュアンスも持つ。
トランプの悪口雑言による攻撃を「脅威」と捉えて気色張って反撃しようとするのでなく、「あの人たちって奇妙で、気味が悪いよね」と受け流してしまうというのは、大人っぽい巧妙な知恵で、ジョージ・ワシントン大学のコミュニケーション論の准教授デビッド・カーブは、
「この言葉は支持者の心に響き、ドランプ陣営は有効な反論を見つけられずにイライラしている。トランプを見て笑おうという、からかいの要素がある。若者がTikTokでシェアするにもちょうどいい」
――と褒める。またニューオリンズ大学の社会学のジェフリー・パーカー准教授は、
「独裁者は、笑われることに対処できない。彼らは変だと思われるより、怖いと思われることを望む。怖さは力だと認識しているからだ」と言う(8月9日付朝日)。
こうした、例えば「ウィアード(weird)」という言葉1つを巡る駆け引きが、大統領選の行方を左右する面白さをこれから秋にかけて楽しもうではありませんか。
(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2024年8月12日号より一部抜粋・文中敬称略。ご興味をお持ちの方はご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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