「食の都」として知られ、メディアでたびたびグルメ特集が組まれる福岡。そんな福岡の名物として真っ先に名の上がるのが辛子明太子ですが、どのような経緯でこの地を代表する特産物となったかをご存知でしょうか。今回のメルマガ『小林よしのりライジング』では、漫画家・小林よしのりさん主宰の「ゴー宣道場」参加者としても知られる作家の泉美木蘭さんが、日本で初めて明太子を作り販売した「ふくや」創業者の人となりを含む、「明太子誕生秘話」を紹介しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:辛子明太子は、なぜ福岡の名物になったのか?
なぜ辛子明太子は、美味いものだらけの福岡の名物になったのか?
福岡市内の人たちと地元の名物について話すと、ほとんどの人が「福岡は観光名所がないからデスネ」と言う。
私からすると、川の真ん中に繁華街がぎっしり詰め込まれていて(中洲)、都心部にこまごまと橋がかかっている風景だけでも独特だと思うのだが、地元民は、「伊勢神宮とか東京スカイツリーみたいなものがないからデスネ」などなど言う。全国区で有名なものに対するコンプレックスが強い土地柄なのかもしれない。
しかし、そんな福岡の人が、口をそろえて「でも、食べ物はうまいからデスネ」と言う。
たしかに福岡は食べ物がおいしい。
玄界灘の恵みがあるから、海の食材には自信が感じられるし、もつ鍋や豚骨ラーメンなど、「これ食って元気出せ!」と言わんばかりの、活力ある食べ物が栄えているのも特色だ。
なかでも、辛子明太子はおいしい。関東や関西では、スーパーで安い明太子を買ってパスタに和えるか、コンビニのおにぎりで口にする程度だったが、福岡の明太子は、「うま!」と言って味わう楽しみがある。
玄界灘では捕れない明太子の原料「たらこ」
辛子明太子は、スケトウダラの卵巣を、唐辛子入りの調味液で漬けて作る。そう聞くと、九州の玄界灘はスケトウダラの漁獲量が多いのかと思えるが、実はまったく獲れない。
スケトウダラは、北大西洋の水温2~5℃の海域に生息する魚で、主な漁場は、オホーツク海、ベーリング海、アラスカ湾だ。
収穫されたスケトウダラは、工船の上で、すばやく身と卵巣(たらこ)とを切り分けて冷凍加工される。そして、日本の漁船は北海道に、アメリカの漁船はシアトルに、ロシアの漁船は韓国の釜山(プサン)に水揚げする。
だが、北海道は漁獲量が少なく、福岡の明太子業者は、釜山やシアトルへ買い付けに行っているようだ。
高度経済成長期の頃は、日本の漁船もスケトウダラを豊富に収穫していた。だが、1977年に、外国船は各国の岸から200海里(約370km)の中で操業してはならないという国際ルールが決まり(200海里水域規制)、遠洋漁業が減少。
1980年代後半に入ると、漁獲量が減少する一方で、明太パスタやコンビニのおにぎりへの用途が広がり、輸入に頼らざるを得なくなったという。
なんと!私が親しんできたパスタやおにぎりが原因で、福岡にまわすタラコを圧迫していたとは……。
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ルーツは創業者が幼少期に釜山で食べた「庶民のおかず」
さて、では、そもそもベーリング海やアラスカ湾産、あるいは、国産であっても北海道産のスケトウダラを使った食べ物が、なぜ福岡の名物になったのか。
それは、明太子専門店「ふくや」の創業者となる川原俊夫という人物の生い立ちにきっかけがある。
川原は、大正2年、朝鮮半島の釜山に生まれた。
明治9年の日韓修好条約以来、釜山には日本の銀行や商社が次々に進出、やがて、日本と満州を結ぶ拠点になっていった港湾都市だ。
日本統治時代に、渋沢栄一が主導して、釜山からソウルまでの鉄道を敷設しており、釜山港は大きな物流拠点となり、貨物倉庫などが立ち並ぶようになった。
大正初期には、その港湾都市に2万5,000人以上の日本人が暮らしていた。福岡出身の川原家もその一員で、現地の日本人向けに海産物や食品を売る「富久屋」を営んでいた。
釜山では、漬物や乾物などと一緒に、たらこの塩辛をニンニクや唐辛子で味付けして熟成させたキムチが売られていた。高価なものではなく、焼いて弁当に入れたりする庶民のおかずで、川原も子供時代によく食べたらしい。
朝鮮語でスケトウダラのことを「明太(ミョンテ)」と言うそうだが、現地の日本人は、日本語の音読みにして「メンタイ」と呼んでいたようだ。
釜山で知り合った妻・千鶴子と結婚した川原は、昭和19年に戦地へ赴いたのち、沖縄の宮古島で終戦を迎え、2年後、満州から引き揚げた妻子と博多港で再会する。
福岡市中心部の博多、天神地区は、B29の爆撃によって焼け野原だった。
混乱のなかで、川原はまず水あめを買い占め、闇で駄菓子屋に流した。食料配給制の時代、みんなが甘いものに飢えていたので、儲かったらしい。
それを元手に、歓楽街である中洲にオープンした「中洲市場」に入居。食品卸問屋「ふくや」を開業した。商才があったようで、たちまち中洲の店々を顧客にしてしまい、数々の飲食店の特約店になった。
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「メンタイは社長の道楽」と呆れる従業員たち
やがて、業務用の卸問屋ではつまらない、「わざわざ人が買いに来るような目玉商品を作りたい」と思うようになった川原は、釜山で食べた「メンタイ」を懐かしく思い、記憶を頼りにメンタイ作りをはじめる。
だが、試作品を食べた身内からは「まずい」「辛すぎる」と大不評。
手に入る香辛料は、鷹の爪と一味ぐらいしかなく、日本人好みに辛さを調整するために、いろんなものを混ぜてみたが、まったくダメ。何度も味見させられた人たちからは「食べられるシロモノではなかった」「気持ちが悪かった」などの証言が残っている。
月に3回、毎回10kgのたらこを取り寄せており、たらこの品質が重要だと気づいてからは、厳しく検品して、たびたび突き返すようになり、海産物問屋を泣かせてもいた。
だが、新しい試作品を食べさせられる人は、一様に微妙な顔を見せる。
従業員たちも、「メンタイは社長の道楽」「メンタイのぼせ」と呆れており、親戚には「むだな仕事」「やめろ」とはっきり言う人間もいたという。
何度も作っては捨てを繰り返し、ガラスの金魚鉢に入れて店先に並べてはみるのだが、まったく売れない。
この「まったく売れない期間」が、なんと10年も続いているのだが、ずっとメンタイ作りにこだわり続けて、試行錯誤をやめなかったというから、川原の執念がすごい。
未来に大人気商品が生まれると信じる人間がいない中、唯一、真剣に手伝っていたのは、妻の千鶴子だった。千鶴子は、主婦の舌で、一般家庭のおかずと一緒に食べられる味にできるかどうかを考えており、川原には誰よりも厳しい意見を言って、ずっと味の調整に付き合っていた。
やがて、夫婦で納得できる調味液を完成させると、今度は、唐辛子にも旨味と風味を感じられるこだわりが必要だとなり、京都の香辛料工場に相談して、何度も何度も調合と焙煎を繰り返した末、とうとう、特別な配合をしたパウダー状の唐辛子を誕生させる。
この唐辛子パウダーは、現在も使われているものだが、原料を入れる順番を間違うと、味が変わってしまうほど繊細なものらしい。
ようやく「これだ!」と言えるメンタイにたどり着いた川原が、人々を料亭に招待して試食させると、みんな「うまかばい」「これ、どうしたと?」と大喜び。
こうして苦節10年、川原は「ふくや」の『味の明太子』を完成させた。
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行列がたびたび西鉄電車を止めてしまうという騒ぎに
『味の明太子』は大ヒットした。
中洲の飲食店がメニューとして出すようになったことで広まり、出張で福岡へやってきたサラリーマンが、土産に買って帰る。なかには政財界の人間もいて、大阪の政財界に飛び火、ある日、大阪のキャバレーから「お歳暮用に300箱」の注文が入ってさらに話題になった。
それまではトラック輸送だったが、昭和39年に東海道新幹線の東京~大阪間が、昭和50年に山陽新幹線の岡山~博多間が開通すると、明太子は全国的にブレイク。
東京や大阪のデパートから、明太子を卸してほしいという依頼が入るようになったのだが、川原は「明太子の卸売りはしない。生ものだから責任がとれない」と断っていた。
それで、東京や大阪のデパートの社員たちが、新幹線ではるばる福岡まで買いに来て、大量に抱きかかえてとんぼ返りし、その日のうちに売り場に並べて売っていたという。
「ふくや」は、中洲のほかに支店を出したが、100メートル以上の行列ができて踏切にあふれ出し、たびたび西鉄電車を止めてしまうという騒ぎになった。
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特許も取らず製法も原材料の仕入れ先もすべて教えた川原
そんな爆発的ヒット商品となった『味の明太子』を見て、福岡には、見よう見まねで明太子を作って売り出す業者がたくさん現れた。「ふくや」の従業員は、
「10年も苦労して作ったのに、偽物が出回ったら味が落ちる」
「製法特許をとるべきだ」
と進言したが、川原は、
「明太子は総菜だ。誰もが作れるものでないといかん。特許はとらん」
「味の好みは人それぞれだ。安くておいしいなら、どんどん出てきてよか」
「うちのがおいしいと思う人は、必ずうちのを買ってくれる」
と言って突っぱねた。せめて「元祖」と表記して売るべきじゃないかという意見にも、川原は、こう答えている。
「『元祖』と書いたら、明太子がうまくなるのか?いちばんおいしい店がナンバーワンになる。それでよか!」
さらに、中洲の小売店から「ふくや」の明太子を取り扱いたいという申し出があったときには、東京や大阪のデパートに断ったのと同じように、卸売りを拒否したばかりか、「売りたいなら、あんたも作ればいい」と言って、製法も原材料の仕入れ先もすべて教えてしまった。
川原は、明太子が博多の名物になればいいと考えていて、独り占めはしないという考え方を徹底していた。
川原と二人三脚で唐辛子パウダーを誕生させた香辛料工場に、「ふくや配合」のパウダーを売って欲しいという問い合わせが相次ぐようになると、あっさりと販売を許可した。
これによって、博多の明太子全体の味が底上げされることになり、ますます「博多の明太子」は評判になった。
そういういきさつで、福岡の大手明太子メーカーは、ほとんどが「ふくや配合」の唐辛子パウダーで明太子を製造している。
ただし、川原は、「調味液をなめさせてほしい」というリクエストには、断固拒否する姿勢を見せて、「これだけは絶対言わんばい」と秘密にしたそうだ。
実際には、人々の味覚は時代に合わせて変化しているとして、川原が毎年少しずつ味を変えてきたのだが、妻と作り上げた調味液の基本レシピは、現在も、経営を引き継いだ家族にしか伝えられていないらしい。
川原は、沖縄の戦地から復員したあと、戦争のことはほとんど語らなかったが、
「名誉の生還ではない。自分は戦地で死に損なった」
「世の中のためになる生き方をしなきゃならん。死んだ戦友に申し訳が立たない」
とたびたび口にしていたという。
明太子の販売だけでなく、博多の祭りや、中洲の川の浄化などのために多額の自費を投入するなど、地域貢献に関しては、そこかしこに川原俊夫の名前が残っている。
昭和55年5月に高額納税者番付で福岡市トップとなった川原は、当時の朝日新聞の取材にこう答えていた。
「わしの所得が上がることは、辛子明太子が博多の特産品としてより多くの人から認められている証拠。そう思うと、税金がどのくらい増えたか、楽しみになりますばい」
「ふくや」の中洲本店は、現在も開店した場所にあり、周囲には、場所がら、キャバクラやホストクラブやひしめいているので驚くが、店内では川原俊夫の「博多愛」の伝わる写真パネルなどが見られて面白い。
10月5日(土曜)に開催される、よしりんバンドLIVE「歌謡曲を通して故郷・福岡を語る」の会場・明治安田ホールから、歩いて5分程度。中洲に足を運ぶなら、ぜひ博多の明太子を生み出した「ふくや」ものぞいてみては。
――(メルマガ『小林よしのりライジング』2024年9月10日号より一部抜粋・敬称略。続きはメルマガ登録の上お楽しみください)
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