小林よしのり氏「日本を救うのはサブカルだけ」宮崎駿監督が反戦平和を捨てた『君たちはどう生きるか』の深い意義とは

20240110hayao-miyazaki_eye
 

「日本の現状にはちっともいい材料が見当たらない。国際社会において、政治力では全く勝てない。そもそも国家としての軍事力の点で勝てないのだから、どうにもならない。今の日本が世界に向かって勝てるのは、サブカルだけだ」そう分析するのは、自身も人気漫画家の小林よしのり氏だ。『ゴジラ-1.0』と『シン・ゴジラ』の違い、そして宮崎駿の『君たちはどう生きるか』が持つ意義とは?小林氏がサブカル評を通して現在の日本の強みを読み解く。(メルマガ『小林よしのりライジング』より)

政治も軍事もガタガタ、2024年の日本は八方塞がり

2024年、とんでもない年明けになってしまったが、今年最初のライジングなので一応言っておこう。 明けましておめでとう。

とにかく正月から暗くなりがちだったが、わしはこの1年、とことん人を楽しませる、人の心を明るくする作品やイベントを創作していこうという意欲で、走り抜ける決意である!

前回は2023年を「ニヒリズム蔓延の年だった」と、あえてネガティブに総括した。 最後に少しだけ希望をほのめかしておいて、続く今回で一気に反転攻勢に出るものを書くつもりでいたら、いきなり出鼻をくじかれたような形になってしまったのだが、だからといって立ち止まってはいられない。

確かに、日本の現状にはちっともいい材料が見当たらない。 国際社会において、政治力では全く勝てない。 そもそも国家としての軍事力の点で勝てないのだから、どうにもならない。 「話し合い」による解決のためにこそ日本が力を発揮すべきだとか言ったって、現実には何もできない。 ロシアを見ても、中国を見ても、イスラエルを見てもわかるとおり、話し合うにもその背景には基本的に軍事力が要るのだ。

このままでは何が起こるかわかったものではない。 ウクライナ戦争の結果次第では、ロシアが北海道から上陸して侵略してくる可能性だって、もうないとは言えなくなってしまった。

そんな状況にあるというのに国内政治はガタガタで、遠心力だけが働いて、ひたすらバラバラになろうとしていくばかりである。

かといって、政治に求心力を働かせようとしたらどうなるかといえば、ロシアや北朝鮮や中国のような独裁国家になるか、安倍政権時代のような忖度社会になるかしかないということもわかった。 アメリカでも求心力を欲したら、またもトランプが出てくるという有様だ。 これでは、いくら政治に求心力が生まれても、国は全く豊かにならない。

今の日本が世界に勝てるのはサブカルだけだ!

そこで、どうすれば国の結束力を高めながら、権力の持つ拘束性や忖度といった負の部分をなくし、国家を強くすることができるのかということが課題となる。

これは、まだ世界のどこでも答えの出せていない課題である。

そして、ある意味でわしがやろうとしているのは、実験室レベルの小さなサイズではあるが、この課題への挑戦でもある。

わしが『ゴー宣DOJO』でやろうとしていることは、結束力を高めるけれども、ひとりひとりが強制されたり忖度したりすることなく行動して、そうして新しい世代の息吹を自由に開放してあげるという方法を作り出す実験である。

ひとつの集団性の実験を、ここで行っているのである。

そしてこれは、漫画家であるわしがやっているというところに意味があるのだ。

これは、『おぼっちゃまくん』の「茶魔語」の時に顕著だった、漫画の作品を通じて全国の読者が共同体的な感覚を持ち、さらに作品を盛り上げていくという手法の応用である。 この手法が『ゴー宣』にも持ち込まれ、さらに『ゴー宣道場』で発展していったのである。

つまりこれは、漫画家・小林よしのりというサブカル作家が始めた、サブカルから派生した作品の一種であり、だからこそ強いとも言えるのである!

今の日本が世界に向かって勝てるのは、サブカルだけだ。「サブカルしか勝たん!」という時代がやって来た。 他に希望はない!

ハリウッドで続々映画化されたアメコミのスーパーヒーローものは、一時期は凄かったが、最近では「何これ?」と思うようなヘンなものが多く、堕落していっているように見える。 もう出し尽くした感があり、新しい知恵があまりないのである。

アメリカ人をわからせた『ゴジラ-1.0』の快挙

そんな中で、日本の『ゴジラ-1.0』の成功は痛快だった。

一時は『ゴジラ』もアメリカにすべて取られてしまって、もうハリウッドじゃないと作れないのではないかと思わされたりもしていたから、見事に巻き返してくれたのが嬉しかったのである。

あと、やっぱり『シン・ゴジラ』は違ったということが証明されたのも嬉しいことだった。

現実の安全保障の話なんかゴジラに絡めて語ったって、意味がないのだ。 ただ「日本はダメだ」ということを主張する映画にしかならないのだから。

井上達夫があれを見て大喜びするのはわかるけど、わしはただウンザリするだけだった。 そりゃ日本の安全保障はダメに決まっとるわ。 そんなのはわかりきっているんだから、わざわざそんなことをゴジラに例えて映画で見せないでくれと言いたくなったのだ。

今回の『ゴジラ-1.0』は、そんな半端な社会批評的な感覚を一切払拭して作っていたのがよかった。

もちろん、山崎貴監督が特攻を美化するわけがないから、最後には逃げ道を作っていたけれども、それはそれでいいのだ。

それよりもこの作品は、確かに人間ドラマとして、すごく面白くできていた。 しかも、戦争に敗れた直後の日本人の心情を、アメリカ人に理解させたのであり、これは大した快挙だ。 今までそんなことをやった人はいなかったから、そこはちょっとびっくりした。

そして何よりも素晴らしいのは、ゴジラの怖さを、普通のケモノの怖さではないものとしたことだ。 やっぱりゴジラは「カミ」「怖れ神」であり、カミの怖さを表したところが凄いことなのだ。

キングコングといえども、南海の孤島の中では神だったかもしれないけれど、結局は大猿でありケモノでしかなく、日本のカミの恐ろしさに敵うものではない。

アメリカ人の中にも、ゴジラの怖さとは恐竜とは違う、全く得体のしれない何かであるということがわかる感性はあるのだから、まずそこをそのまま見せつけて、観客の心を掴まなければいけない。 ヘンな虫けらみたいなものが上陸してきて変身したゴジラでは、話にならないのだ。

そのカミの恐ろしさを忠実に再現して、そこを入り口にして、戦争に負けた日本人の心情までアメリカ人に見せつけたから、これが成功したのである。

物語の最初から敗戦後の日本人の心情だけを描いたら、アメリカ人は受け付けなかっただろう。 だが先にゴジラがあって、そこから見ていくと、日本人の心情がアメリカ人にもわかるわけで、うまい手だなあ、その手があったかとわしは思った。 だから、他の細かいことはまあいいかと思ったのである。

これまで山崎貴の映画は、わりとしょうもないと思っていたけれど、今回に関してはゴジラの造形が上手くいったから、世界に誇れるものになっていて、大したもんだと思った。

しかも次のハリウッド版ゴジラが、馬鹿みたいな姿を既に予告編で晒していて、全然期待できない感じだから、日本人がゴジラを取り戻してよかったと思う。

宮崎駿監督は『君たちはどう生きるか』でイデオロギーを捨てた

また、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』が、全米で週末興収ランキング1位を記録するヒットになったというが、あれも素晴らしい作品だった。

あの作品は、あくまでもわしの解釈でいえば、宮崎駿がこの歳にして、これまで積み重ねてきたイデオロギーを放り捨てることを表明しちゃった映画だと思っている。

これまでずっと「反戦平和主義」のようなイデオロギーを維持するために、一生懸命積み木を重ねてきたけれども、それでそのイデオロギーのために自分の人生も捨てるか?と問われた時に、「それはしません」と断言してしまったのであり、たとえ世界が滅んだとしても、自分は自分の素直な生き方を目指す方を選ぶというのが、あの話なのだとわしは解釈した。

この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ

購読はこちら

print
いま読まれてます

  • 小林よしのり氏「日本を救うのはサブカルだけ」宮崎駿監督が反戦平和を捨てた『君たちはどう生きるか』の深い意義とは
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け