日本政府が計画している、台湾有事の際に沖縄の先島諸島の住民を九州・山口地方の各県に分散避難させる案。12万人も海を超えた移動を強いられることになりますが、果たしてそれは現実的と言えるのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、同案を「机上の空論」とバッサリ切り捨てそう判断せざるを得ない理由を詳しく解説。その上で、この計画が発動されることなどないとまで言い切っています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:政府・防衛庁の余りにお粗末な「先島住民避難計画」/陸自の時代錯誤の軍事思想が禍いして道を誤る日本
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
陸自の「本土決戦主義」が禍いに。政府・防衛庁の余りにお粗末な「先島住民避難計画」
3月12日付『毎日新聞』によると、政府は、台湾有事の場合に戦場と化す可能性がある沖縄県の先島諸島の住民など約12万人を山口県と九州各県に分散避難させる計画をまとめ、3月中にも公表することを予定している。
しかし、いま検討されているその案は全くの“机上の空論”にすぎず、同紙も見出しで「絵に描いた餅?」と疑問を投げかけざるを得ない体のもので、所詮は自衛隊が先島の急激な軍事要塞化の“根拠”にしている「中国脅威論 ≒ 台湾有事切迫論」を補強するための「やってるフリ」宣伝工作でしかない。
あまりにも実情無視で非現実的な避難計画
まず第1に、この避難計画そのものが果たして実現可能なのかの疑問がある。計画では、中国からの武力攻撃が予測される場合、
市町村 人口(人) 避難先(県)
石垣市 50,200 山口、福岡、大分
竹富町 4,200 長崎
与那国町 1,700 佐賀
宮古島市 55,700 福岡、熊本、宮崎、鹿児島
多良間村 1,100 熊本
本島など 約1300,000 屋内避難
――と、本島以外の5市町村の約12万人を航空機や船で6日間程度のうちに分散避難させるとし、それに沿って各県に受け入れ態勢を整えるよう要請している。
しかし、航空機や船などの臨時の運搬手段は政府が用意したとして、特に過密で知られる福岡国際空港などには着陸させる余地があるはずがなく、また仮にあったとしても、それでなくとも運転手不足で最近は修学旅行客の利用さえ断っているバス業界に余分な輸送能力はない。
さらに宿泊先を確保せよと言っても、「1泊3食付き7,000円で当該施設の全室を空ける」という政府案の基準で、しかも1週間なのか1カ月なのか数年間なのかも分からず、キャンセルが出た場合の補償も定かでないのでは、探しようもない。
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少なくとも北海道あたりまで逃げなければ意味ナシ
第2に、ここから先は「毎日」記事は触れていないのだが、これが一体どういう戦争シナリオを想定して立てられた計画なのか全く不明である。
先島からの避難は「6日間程度」で進めるというが、そのためには、いくら短くとも1週間か10日前には「住民全員退避」の判断を立てなければならない。そういう予測が可能であるような悠長な戦争シナリオになるとどうして考えるのか、理解不能である。
私はそもそも、「台湾有事」はほとんどないと思うし、あったとしてもそれが中国軍の対日武力攻撃を伴うものになることはほとんどないと思っている。
しかし仮にあったとして、最も起きやすいのは、嘉手納や普天間をはじめ佐世保、岩国、横田、横須賀、グアムなどの米空海軍の出撃基地や、それをサポートする先島の陸空自衛隊の地対艦ミサイル基地やレーダー基地への一斉ミサイル攻撃だと考える。なぜなら、それ以外に中国が日本を攻撃する理由がないからである。
それが(極めて小さい確率ではあるが)最も起きやすいシナリオだとすると、
- 6日間もかけて先島の住民を避難させるというノンビリ想定はナンセンスだし、
- 本島住民は「屋内退避」で十分という判断は誤りだし、
- それらの避難先も山口・九州ではダメで少なくとも北海道あたりまで逃げなければ意味がない。
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日本中のすべての基地に数千発のミサイルを降らす中国
こんな風に、政府・防衛省の想定が「中国軍はまず先島に上陸侵攻し、その時にはまだ本島は戦場になっていないし、ましてや山口・九州は避難先として安全」という幻覚に縛られてしまうのは、先島の基地展開を主に担っている陸自が一種のトラウマとして抱え込んでいる戦前からの「本土決戦主義」の思想のためである。
太平洋戦争の米軍も、冷戦時代のソ連軍も、いまの中国軍も、島伝いに海を渡って上陸してくるに違いなく、それに対し戦車を並べて最終決戦を挑むという時代錯誤である。
冷戦が終わった頃には、上陸侵攻してくるソ連機甲師団に戦車1,200両で立ち向かうはずだったが(ちなみにソ連にそのシナリオは現実的なものとしては存在せず、その証拠に極東には機甲師団を渡洋させるだけの輸送船がなかった!)、ソ連が来ないことになって陸自は途方に暮れ、仕方なく「南西シフト」と言い出し、それを「北朝鮮が国家崩壊し武装難民が日本の離島に押し寄せる」とか、「中国が海洋民兵を漁民に偽装して襲ってくる」とか、マンガ的なことを言って合理化しようとした。
そのうちに安倍政権が現れ、「台湾有事は日本有事」とのテーゼを打ち出したので、ようやくお墨付きを得た格好になった。が、根底の思想が貧しいので、「中国は怖い」「共産主義だから侵略してくるに決まっている」という程度の幼稚なデマゴギーに便乗しているだけのこと。本当のところ日本がどんな脅威に直面しているのかを冷静に分析し、それに対応するに必要な配置と装備を必要なだけ用意するという軍事的合理主義にいつまで経っても立てないでいる。
本誌が何度も述べてきたことだが、中国は意外にも合理的で、15億の民の暮らしを向上させる以外のことに多大な資源を注ぐつもりは毛頭なく、台湾が粗暴にも「独立」を一方的に宣言した場合しか武力行使に出ることはない(その他の偶発戦闘は別にして)。台湾もそのことを百も承知しているので、自ら武力攻撃を招くような挑発に生半可な覚悟で打って出ることはない。
また、武力事態となった場合、中国は米第7艦隊の空母に駆けつける暇も与えない電撃作戦によって、1日にして台湾の政体を転覆することを目指すだろう。当然、自分の方からわざわざ米日を戦争に巻き込んで騒ぎを大きくしたり犠牲を増やしたいとは考えないので、いきなりの対日先制攻撃はない。
あるとすれば、米日両軍が前のめりになって、本質的に中国の内戦である台湾海峡紛争に介入した場合で、その時には中国は米日の「侵略」を非難して全面戦争覚悟で日本の全基地に短中距離ミサイル数千発を雨霰と降らすだろうから、この列島の誰も逃げている暇など与えられない。従って、現在の政府・防衛省の間抜け極まりない先島住民避難計画が発動されることはない。
(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2025年3月17日号より一部抜粋・文中敬称略。ご興味をお持ちの方はご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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