「本は買うもの」というポリシーを持っている人は、図書館をどのように利用すればいいのでしょうか。メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』の著者で文筆家の倉下忠憲さんは、「本は買うもの」というポリシーで生きていたにも関わらず、引っ越してから図書館に通うようになったそうで、楽しく図書館を利用する方法を紹介しています。
「図書館に通う」ということ
最近、図書館に通うようになりました。引っ越ししてから生活圏に書店がなく、かなりの距離を移動しないと書店巡りができなくなった代わりに、散歩としてちょうどよい距離に市営の図書館があるからです。
残念ながらそこまで大きい図書館ではありません。合併して市になる前の時代に建てられた図書館なので、こぢんまりとしています。
それでも良いものだなと感じます。図書館に行く、本を選んで借りて帰ってくる、読んだ後に返しに行く。再び本を借りて帰ってくる。そこには間違いなく生活のリズムがあります。本と共に生きる毎日、という感じがしてきます。
もし何かの理由で新しい本を買う経済的余裕がなくなっても、きっと楽しく読書生活を送れるだろうな、と図書館からの帰り道で思いました。別に話題の本や珍しい本や自分を知的に向上させてくれることが確約されている本が読みたいわけではないのです。
いや、もちろんそういう本だって読みたいわけですが、そういう本じゃなくたっていいのです。
本が、読みたい。
ただそれだけなのです。
最近では図書館がない自治体もあるようですが、少なくともこぢんまりした図書館があれば、私の人生の楽しさは担保されているなと最近感じています。
■本は買う、というポリシー
物書き業になってからは特に「本は買うもの」というポリシーで生きてきました。いくつか理由があります。
一つは、自由に書き込みができること。図書館で本を借りると、ページへの書き込みなんて当然できません。ページの端を折るドッグイヤーも、付箋を貼ることもご法度です。そうなると、本を「道具」として使うのが難しくなります。
もう一つには、自分が物書き業をやっていることが関係しています。なにせ自分で本を書いて、売っているわけですから、その自分が本を買わないなんて選択はないでしょう。「本を買う」ことで出版のエコロジーに参加していこう、という気概があります。
最後の一つは、ピュアなコレクタ欲求です。家に本がたくさん並んでいると嬉しいよね、という話です。ただし、その欲求は少し歪んだ背景を持っているかもしれません。というのも、多感な少年期に引っ越ししたとき、自分が持っていた漫画を大量に処分せざるを得なかった経験があるからです。
ここでいう大量とは50冊とか100冊とかそういうレベルではありません。1000冊の単位です。
それほどの「蔵書」を失ってしまった喪失感がトラウマのように私の心に根づいており、その反動として「とにかく、ひたすら、本を買い並べるのだ」という欲求として現れている可能性があります。
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