「高負担・低福祉」にのめり込む瀬戸際にある日本
なお、この国民負担率については統計上のいくつかの問題があって、1つは、日本の国民負担率は税と社会保険負担の合計の国民所得に対する比率で計算しているが、これは日本独特の方法で、OECDはじめ国際的にはそのGDPに対する比率で計算する。
そこで財務省などは、日本式の計算方法で他国の負担率をも計算して上掲の図2のような比較をした上で、「参考資料」として対GDP比の数値も添えるという、ややこしい表示方法を採っているが、この2つの表示方法の違いから何を読み取るべきなのかは私はよく分からない。図2で各グラフの棒の上の四角に囲まれた数字が対国民所得比、その上の( )に入った数字が対GDP比である。
これは、日本の姿を統計的に捉えようとする場合にしばしば起きることで、例えば農水省は食料自給率をカロリーベースで算定して38%だと言って危機感を煽るが、世界のほとんどの国は金額ベースで算定しており、そのため日本はわざわざ他国の分までカロリーベースで計算した上で国際比較をするという手順を踏んでいる。
日本は金額ベースでは61%で、そんなに慌てるほどのことではない。しかし官僚どもは決して金額ベースの自給率は語らない。食料自給率をめぐる謎の1つである。
もう1つは、財務省用語で言う「潜在的国民負担率」という概念で、これは、上述のように特に日本の場合に制度の欠陥を国債で埋めているという無茶があって、その分を「今は負担として見えていないが将来は顕在化して後の世代が負担せざるを得なくなるもの」という意味で計算に付け加えているのである。
この2つの問題を勘案して、社会保障研究所の中村秀一が22年に述べているところによれば、
▼日本の潜在的国民負担率(対国民所得比)は56.5%となり、ほとんどスウェーデンの国民負担率と並び、ドイツよりは高くなる。
▼対GDP比の潜在的国民負担率では日本は39.7%となり、なんとスウェーデンの37.7%を上回る。
▼現在の日本の社会保障を維持するためだけでも、スウェーデン並みの負担が避けられない。「中福祉」でも「高負担」が必要なのだ。
とすると、極端な話、日本は政治がシャッキリ・キッパリしない限り、「高負担・低福祉」という世界でも稀なるアホな状態にのめり込んで行きかねない瀬戸際にある、ということである。
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