連日メディアで大きく報じられる消費税を巡る与野党の攻防。参院選を前に盛り上がる減税論議を識者はどう見ているのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、この議論を「軽佻浮薄極まりない」と一刀両断。その上で、今後の消費税率や食品消費税に関する自身の考えを提示しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:「消費税」の上げ下げを語る以前に考究すべきは、この国の姿、形ではないのか/「そもそも論」の第2弾
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
日本という国の姿、形。「消費税」の上げ下げを語る以前に考究すべきこと
先週の「日刊ゲンダイ」コラムで「『税・社会保障の一体的改革』の3党合意とは何だったのか」に触れたところ(本号FLASH欄に再録)、知人・友人数名から「そうだよね。そこまで戻って考え直さないと」「もう少し詳しく説明してほしい」などの反響があった。
そこで今号では、軽佻浮薄極まりない今の与野党の消費税論議を乗り越えてこの国の21世紀のあり様を考え合っていくためにはどうしたらいいか、落ち着いて考えるための素材を提供しつつ、問題提起をすることとした。
本誌前号では、トランプの世界撹乱に関連して、今の世界をどう解釈すべきかの「そもそも」論を立てたが、これはその「そもそも」論の第2弾である。
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弱者に対する「いじめ」に走らざるを得ない行政
よく知られているように、スウェーデンを筆頭とする北欧諸国やイギリスなど西欧諸国は「高負担・高福祉」であるのに対し、自己責任原理が徹底している米国は「低負担・低福祉」である。
それに対して日本は、国税庁に言わせると(図1の最下段の注を参照)「低負担・中福祉」で、そのギャップは「国の借金である国債によってまかなって」いて、このようなやり方は持続可能ではないとの危機感は持っているように見える。
打開策は、単純明快。負担を増やすか、福祉を減らすかのどちらかしかなく、しかし政治は負担を増やすどころか減らすと公約して票を掻き集めようとするばかりなので、行政は仕方なく悪役を演じざるを得ず、医療と福祉の予算を減らし、患者、高齢者、障害者、生活困窮者、児童など弱者に対するいじめに走らざるを得なくなっている。
● 図1:今後の税制について考えよう
しかし日本が本当に「低負担・中福祉」なのかはかなり疑問で、「中負担・中福祉」から、上述のように「中負担・低福祉」にズリ落ちつつあるという指摘もある。図2はOECD加盟国の国民負担率の比較で、
▼ダントツ1位のルクセンブルク(86.8%)、2位フランス(68.0%)から12位スウェーデン(55.0%)までを「高負担」
▼13位ドイツ(54.9%)から27位イスラエル(45.0%)までを「中負担」
▼28位韓国(44.8%)以下を「低負担」
と、便宜的に55%と45%のラインで無理やり区分すれば、日本は一応「中負担」に入るが、どう見ても「低負担」とは言えないだろう。国税庁が日本が「低負担」と主張する根拠は何なのか探索したが、答えは見つからなかった(どなたか分かる方がいれば教えて下さい)。
さて、「高負担」だから必ず「高福祉」になるとは限らないのは当然のことで、それを見るには社会支出のランキングとの付き合わせが必要になる。また国民に高負担を強いた上で福祉どころか軍事支出に多くを注ぐ国家もあるわけだが、それらを調べる最新のデータは、今は私の手元にない。
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