高市首相の「台湾有事は日本の存立危機事態になりうる」との発言で、一気に緊迫の度合いを増した日中関係。中国総領事による「口汚い」暴言を皮切りに、習近平政権は過剰とも言える反応を見せていますが、この事態にはどのような背景があるのでしょうか。今回のメルマガ『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』では、『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』等の著作で知られる辻野晃一郎さんが、高市氏の「自分を良く見せたいという癖」に根ざす政治的リスクを考察。さらにこの問題で中国側が期せずして手に入れた「有益な情報」について解説しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:高市発言によって日中関係が緊迫化した問題について
プロフィール:辻野晃一郎(つじの・こういちろう)
福岡県生まれ新潟県育ち。84年に慶応義塾大学大学院工学研究科を修了しソニーに入社。88年にカリフォルニア工科大学大学院電気工学科を修了。VAIO、デジタルTV、ホームビデオ、パーソナルオーディオ等の事業責任者やカンパニープレジデントを歴任した後、2006年3月にソニーを退社。翌年、グーグルに入社し、グーグル日本法人代表取締役社長を務める。2010年4月にグーグルを退社しアレックス株式会社を創業。現在、同社代表取締役社長。また、2022年6月よりSMBC日興証券社外取締役。
「台湾有事は存立危機」がなぜ火種に?高市発言によって日中関係が緊迫化した問題について
集団的自衛権の行使を巡る存立危機事態について、「台湾有事も該当し得る」とした高市首相の国会答弁に端を発する中国側の反応が日増しにエスカレートしています。
この問題からは、高市氏の宰相たる資質、中国との付き合い方、米国の本音など、重要なことがいろいろと読み取れますので、ここで取り上げる題材としてもふさわしいのではないかと思います。
「自分を良くみせるための気の強さと」という宰相としての危うさ
人は誰でもそうですが、高市首相にも評価できる部分と危うい部分の両面があるのは当然です。前号の質問コーナーでも述べましたが、宰相になることへの意欲や執念は、自民党総裁選やその後の首班指名選挙で十分に伝わってきました。
また、批判の対象にもなっていますし過剰労働を肯定するわけではありませんが、午前3:00起きも辞さずに「馬車馬のように働く」という彼女自身の姿勢についても、一国のリーダーとしての本気度の裏返しとして、むしろ好意的に受け止めています。この点は、「寝る時間がない」などと愚痴ばかり言っていた石破前首相とは大違いです。
しかしながら、私が彼女の決定的な危うさとして常に感じるのは、自分を良くみせるための気の強さと、そのためには手段を選ばないというところです。
まず、どうしても指摘しておく必要があるのは、経歴詐称の問題です。若い頃、松下政経塾から米国に出向いていた時の肩書を「米連邦議会立法調査官」としていましたが、実際には、民主党下院議員の無給インターンだったということを自身の著作の中でも明らかにしています。
経歴詐称について、本人は、「Congressional Fellow」を単に誤訳したものだったと否定していますし、法的に詐称が認められたというわけではありませんが、一定期間「米連邦議会立法調査官」なる肩書を使っていたことは事実ですから、社会的地位を得るための一助とする意図があったのであれば、やはり道義的責任は問われる問題です。
ただ、以前に取り上げた小池百合子都知事の「カイロ大学主席卒業」という学歴詐称が我が国にもたらしている悪質性と比べれば、単なる若気の至りとして看過してもよいレベルのものだとは思います。見逃してはならないのは、このような「自分を背伸びして良く見せようとする性癖」が強いことによる危うさで、これは今回の中国との問題を引き起こした原因とも通底していると感じます。
日本人特有の「親米右翼」という立場を象徴する政治家
また、総務大臣時代に放送局への圧力をかけたことを示す内部文書を、2023年3月の国会で野党議員から追及されたことがありましたが、その時に、根拠を示すことなくその文書を「捏造」と断定したことがありました。
文書の中には、安倍政権下で首相補佐官だった礒崎陽輔氏が、放送法の政治的公平性をめぐって、新たな解釈を加えるよう総務省側に働きかける経緯が記されていたのですが、高市氏は、同僚議員として懇意にしていた礒崎氏について、「礒崎さんという名前、もしくは放送行政に興味をお持ちだと知ったのは今年3月になってからです」と虚偽答弁を行っています。
さらには、「文書が捏造ではないことが判明した場合には大臣(当時は経済安保担当大臣)も議員も辞めるか」、と問われた時に「結構ですよ」と啖呵を切ったにもかかわらず、その後総務省が当該文書を正式文書と認めても、結局何事もなかったかのように続投しています。
これら一連の身勝手で不誠実な対応も、すべて先に指摘した「自分を良くみせるための気の強さ」のなせる業と感じますし、そのことは、公明党が連立離脱を表明した時の反応からも感じました。彼女が真っ先に述べたのは、「仮に自民党総裁が自分ではなくとも、連立を離脱するという結論は変わらない、と公明党から言われた」という、自分が連立離脱の原因ではないとするアピールだったからです。
別の面で高市氏の危うさを強く感じたのは、先月トランプ大統領が来日した時でした。マスメディアを始め、高市氏の対応を称賛する意見が目立ちましたが、私の感想は真逆でした。
特に、大統領専用ヘリのマリーン・ワンに同乗して米軍横須賀基地を訪れ、原子力空母ジョージ・ワシントンの上で大勢の米兵に囲まれ、トランプ氏に紹介されて片手を高く掲げてぴょんぴょんと飛び跳ねてみせた時には、日本人として屈辱的な思いすらしました。
マリーン・ワンが飛んだのは、日米地位協定という戦後一度も改訂されていない不平等条約の象徴でもあり、日本の航空機が立ち入ることのできない横田空域ですし、自国に駐留する外国の軍隊を前に有頂天になってはしゃぐ姿を見ながら、我が国が米国の従属国であることをまざまざと見せつけられるようで、決して良い気分ではありませんでした。
もちろん、過去はともかく、今は大切な同盟国ですから、一貫してトランプ氏をいい気分にさせた高市氏の手腕を評価する人たちは多いようで、私のように感じる日本人は少数派なのかもしれません。しかし、米国との関係において本来我が国が目指すべきは、従属的な同盟関係ではなく、対等な同盟関係です。
いずれにしても、海外の人たちにはなかなか理解してもらえない日本人特有の「親米右翼」という立場を表向きは象徴する政治家なのでしょう。
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中国から「認知戦」を仕掛けられている可能性も
存立危機事態について、「台湾有事も該当し得る」とした発言について、当初中国政府はそこまで問題視していなかったとされます。本件がエスカレートしたきっかけは、高市氏の答弁を受けて、中国の薛剣(セツケン)駐大阪総領事がXに「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟ができているのか」と投稿し、それに対して自民党内部から薛剣総領事の国外退去を求める声が上がったり、外務省が中国大使を呼んで抗議したりしてからとされます。
もちろん、このような暴言に対して日本政府は毅然とした対応をすべきであり、高市氏が多少踏み込んだ発言をしたとしても、既に発言してしまった以上、その発言を撤回したりはすべきでないと思います。
ただ、ここにもまさに前述した高市氏特有の危うさが如実に表れたと感じています。ある意味、野党議員からの毎度お決まりの儀式のような質問に対して、従来の無難な政府答弁で返しておけば十分だったところに、自分を良くみせようと背伸びするいつもの癖が出てつい余計なことを言ってしまったのだと思います。
常に国益を意識していれば、先日、せっかくAPECで習近平とも対面して「戦略的互恵関係」や「建設的かつ安定的な関係」を確認しあった直後に、あえて中国を刺激するようなことを言う必要などどこにもありませんでした。中国が、「香港問題」「台湾問題」「ウイグル問題」に介入されることを最も嫌うことくらいはわかっていたはずです。
なお、薛剣総領事のXへの書き込みはその後削除されていますので、中国は一定の譲歩を示しているともいえます。
そしてここで気を付けなければならないのは、はたして薛剣総領事の発言は、同総領事が感情に任せて勝手に行ったものなのか、ということだと思います。以前にもお伝えしたとおり、習近平体制の権力基盤は、軍部の反発もあってこのところかなり弱まっています。今回の高市発言を国内の権力闘争に有利な形で利用しようとしていることは間違いありません。
習近平体制での戦狼外交と呼ばれる外交手法として、意図的に過激な発言をして相手や周囲の反応を探る、という認知戦を仕掛けられている可能性を見極めるべきです。
私は、今回の総領事の発言は、本国からの指示によるものにしろ、総領事が勝手におこなったものにしろ、いずれにしても戦狼外交戦略上の定石として実行されたものに違いないとみています。そしてその結果、習近平の国内権力闘争にどのように作用したかはともかく、少なくとも日本や米国の反応をうまく引き出すことには成功したのではないでしょうか。そのことを次に書きます。
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トランプから完全に梯子を外されたに等しい高市政権
まず日本からは、中国総領事の書き込みに対し、従来の「遺憾に思う」以上の強い反応を引き出しました。日本側がいつもよりも強気に出た背景には、暴言が限度を超えていたということもあるでしょうが、高市政権や自民党としては、先月末のトランプ大統領来日時に、日米同盟の強さを内外にアピールすることができたという自信があり、米国の後ろ盾があるという思いが背中を押したのではないでしょうか。
ところが、高市氏の発言を巡り日中関係が緊張していることについて、FOXテレビのインタビューでその感想を聞かれたトランプ大統領は、なんと「同盟国の多くは友人ではない」と応えたのです。
さらに、「同盟国は米国に軍事費をまともに払っていない。貿易面でも米国を不利にする。中国のほうがマシだ」などとも発言しました。すなわち、高市政権としてはあれだけ下手に出て媚を振りまき、対米投資にしても米国製武器の購入にしても、米国側に一方的に譲歩したにも関わらず、トランプ大統領からは完全に梯子を外されたに等しい発言をされてしまったのです。
つまり、「日本の首相が中国から首を斬られようが知ったこっちゃない」と突き放されてしまったわけです。言い換えれば、「中国が台湾侵攻をしても米国は介入しない」と言ったに等しいとすら解釈できます。
高市政権からすれば、赤っ恥をかかされたわけで、逆に中国としては、思いがけずこのような発言をトランプ氏から引き出してさぞやほくそ笑んだことでしょう。トランプ氏は高市氏を擁護するどころか、中国側に立つような発言をしたわけですから、それもあって中国は一気に強気に出てきているのだ、と解釈すべきだと思います。
すでに日本への渡航自粛、民間経済イベントのキャンセル、海産物の輸入停止などを次々に仕掛けてきていますが、しばらくは嫌がらせのようなことを畳みかけてくるのではないでしょうか。
ところで、トランプ氏は、このところMAGAの分裂や支持者のMAGA離れもあって苦境に立っていますが、その話はまた回を改めたいと思います。
(本記事は『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中 』2025年11月21日号の一部抜粋です。「ソニーが逃がした魚は大きかったという話」と題した「今週の一言」、 ネットフリックス映画『A HOUSE OF DYNAMITE』を紹介する「今週のオススメ!」、辻野さん自身のメルマガを書き続ける2つのモチベーションを記した「読者の質問に答えます!」、「インターネット記念日」を取り上げた「スタッフ“イギー”のつぶやき」を含む全文をお読みになりたい方は、この機会にぜひご登録ください)
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