昨年、作家の嵐山光三郎氏が83歳で亡くなりました。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では辛口評論家として知られる佐高信さんが、一度触れたら忘れがたい、彼の人となりを記憶の断片とともに辿っています。
追悼譜 嵐山光三郎
楷書の人ではないと思って対談に臨んだら、見事な芭蕉論を展開され、なるほどと感心しているうちに終わってしまった。
3歳上の嵐山と会ったのは『俳句界』(文學の森)2008年6月号である。共に60代だった。
『悪党芭蕉』(新潮社)の著者は、私の郷里の山形県の出羽三山信仰に触れ、あの信仰は臨死体験で、参拝者は「死にに行く」のだと言って、私をハッとさせた。
入口の羽黒山が「現在」にあたるとともに「死の入り口」で次に月山で死ぬ。
そして、湯殿山に登って、新しい命をいただいて蘇るのが、「命の永遠化」だという。
湯殿山は、お湯が沸いている女体で、そこで命をもらうのだとか。
私の中学生くらいまでは湯殿山は女人禁制だったと話題の転換を図っても、次のように軽くいなされた。
「今は入ってもいいけど、靴を脱いで裸足で入らなければならないんです。
僕は方々歩いていますが、羽黒山から登っていく道は日本で一番神々しい道だと思います。
あそこは草一本水一滴、一切の自然が神のものですから、雑草を摘んでもいけない。
あそこの境内もすばらしいけど、五重塔は奈良のようなきらびやかさではなくて、
まるで地面から生えているような印象を受けます」
昭和軽薄体の元祖どころの話ではない。
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芭蕉の本業は、水道開削官だという説にも驚かされ、『奥の細道』の目的は運河視察と言われて、なるほどと頷いた。
「当時としては、最先端エンジニアということですね」と応じて、嵐山に「その通り、最先端エンジニアとはいい言葉だ!」とリップサービスされて、一矢報いた感じがしただけだった。
しかし、嵐山の「初の自伝的大河小説」と銘打たれた『口笛の歌が聞こえる』(新風舎文庫)を読むと、草書の嵐山が浮かび上がる。
解説を書いているのが唐十郎。
唐によると、20歳を過ぎたばかりの頃、嵐山がよく通う渋谷のバーの招待状が届いたので、出かけた。
クリスマスイブの日だった。
イブの日のショーなんか馬鹿げていると思って30分ほど遅刻したら、嵐山のショーは終わって半裸で銭湯に向かおうとしていた。
体には油を拭き落とした跡があるが、青カビに似た金粉が付いている。
唐もそういう商売をしていたので、金粉ショーをやっていたのだなと気付いた。
手っ取り早く金粉を洗剤で落とすと青黒く変色するからである。
嵐山は「おっ来たか、ちょっと来い。もう1回見せてやる」と言ってバーに戻った。
唐の言葉をそのまま引こう。
「金粉を天ぷら油で溶かして体に塗るには勇気がいる。
死ぬことはないが、苛立つのである。
ぼくも商売で、一晩に一度塗ることはあったが、落としてもう一度塗ったことはない。
ぼくのために二度塗るという彼に、僕は参った。友として離れられなくなったのはこの時からだったかもしれない」
唐も嵐山も不良をマジメにやって亡くなった。
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