マネーボイス メニュー

私の見た「幸福な富裕者と不幸な富裕者」その決定的違い(前編) – 山崎和邦 わが追憶の投機家たち

投資歴54年の山崎和邦氏による本連載。今回のテーマは「幸せなお金持ちに共通の特徴」です。お金がたくさんあるのに、幸福な人と不幸な人に分かれるのはなぜ?普通の人が「幸福な富裕者」になるための心構えを解説します(前編)。
私の見た「幸福な富裕者と不幸な富裕者」その決定的違い(後編)はこちら

ヒトとおカネの組み合わせは4パターン、幸せへの道は2通り

ヒトとおカネの組み合わせには4通りある。そしてこの4通りしかない。

  1. おカネがたくさんあって幸福な人(幸福な富裕者)
  2. おカネがたくさんあっても不幸な人(不幸な富裕者)
  3. おカネがなくても幸福な人(幸福な貧者)
  4. おカネがなくて不幸な人(不幸な貧者)

金銭的に成功しても、精神的に不幸な人はたくさんいる。そいう人は「おカネでの成功者」ではあっても「幸福者」ではない。幸不幸は主観の問題であり、本人が幸福と思っていればそれは幸福なのだ。

よって、ほとんどの人々は1番目か3番目の形で幸福者になることを望む。また1番目と2番目の差、幸福になれる者とそうでない者の違いは、読者諸賢の関心を常に集めるところである。

そこで本稿では、まず1番目と2番目の違いが生まれる要因について述べる。次に、かつて左翼学生だった私自身が3番目を選ばなかった理由を説明する。最後に、現役ビジネスパーソンが「幸福な富裕者」になるための条件とポートフォリオ方針について触れてみたい。

私は仕事柄、これまでの人生で、資産運用に成功し財をなした富裕者をたくさん見てきた。

その中には、物心両面で成功しそれを持続できる人たちもいれば、一時成功しても没落する人たちおカネがあっても幸福を感じられない人たちもいた。

彼らを分かつのは何であろうか?たくさんの「幸福な富裕者」と「不幸な富裕者」を観察することで、それぞれに共通する、何かしら一般的な傾向を見いだすことは可能だろうか。答えは是である。

簡単明瞭に言う。「幸福な富裕者」と「不幸な富裕者」この両者を分かつ最大の要因は、「運」をのぞけば、富を構築する過程やその後における「生活態度」にあった

すなわち、1つには自律的で質実な生活態度。もう1つには最低限の法律・契約を必ず守るという規範意識。この2つの違いにほぼ全てがかかっている。

筆者の経験上、これがモロに市場活動の結果として反映される。市場からカネを獲って来ようとする心がけは、まず日ごろの生活態度から始まるのである。

もっとも私自身は「自律して生きている」と断言できるほど立派な人間ではない。ただ、そういうものを志向し生きている人間だというにすぎない。だがこの「志向」こそ、市場での誤りを少なくする投資の基本中の基本なのだ。

筆者がブラックマンデーや平成大バブル、リーマンショックにおいて事前に全株を売り抜けられたのも、大底を買って金融資産を構築できたのも、ひとえにこの生活態度のお陰であって、特別の放れ業ではない。質実な生活と常識があれば足りることである。

今秋刊行の拙著『賢者の投資、愚者の投資』(日本実業出版)では、証券会社の売買報告書を開示しつつ詳説する予定であるが、一番大切なのは理論や情報でなく「生活態度」であることは間違いない。

確かに運も大いにある。否、運ほど強いものはない、とも断言できる。現に私がこうしてココでイマ呼吸しているのも執筆しているのも皆「運」である。だが、こう言うこともできる。「運命は性格の中にある」のであり「人は自分の性格に合った事件にしか遭遇しない」のだと。芥川龍之介と小林秀雄の言葉である。

「不幸な富裕者」は、富を求める過程やその後の生活において態度を崩し、結果として法律か契約かのいずれかを、あるいはその両方を破ってしまう。またこのタイプは往々にして、常軌を逸して「貪欲」な傾向があった。これが良くないのだ。

ここで言う「貪欲」と、「利己心」は異なる。「利己心」は生物としてのヒトの遺伝子に組み込まれた誰もが持つものであり、決して悪いものではなく、むしろ健全なものだ。

利己心を悪と考える人も多いが、それは大いに間違っている。そういう人は思考放棄状態で暮らしてきた人間である。

現実には「利己心」ではなく「度を超えた貪欲」がヒトを誤らせる。健全な利己心がなければ富裕者にも成功者にもなれない。アダム・スミスは18世紀末に「利己心が公共の利益を促進していく」として自由市場経済の原理を説いたが、この辺はしっかり理解しておかねばならない。

Next: 欲するべきはカネか自由か?幸福な富裕者と不幸な富裕者の違い


山崎和邦(やまざきかずくに)

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

初月無料お試し購読OK!有料メルマガ好評配信中

山崎和邦 週報『投機の流儀』

[月額1500円(税込) 毎週日曜日配信]
市況動向や世界的超金融緩和の行く末を、学者兼投機家の視点で分析。読者質問コーナーでは活発な意見交換も。初月無料で会員限定の投機コミュニティを覗いてみるチャンス!

欲するべきはカネか自由か?幸福な富裕者と不幸な富裕者の違い

「幸福な富裕者」は、自由を求めて自律的に生きることを通し、自分なりの律法と健全な金銭観を持つに至る。だからこそ、カネを持った後も「カネの毒」に冒されないという共通点がある。「不幸な富裕者」にはそれらがないから不幸になる。

「幸福な富裕者」ないしそれを目指す者(本稿の対象)と、ジョージ・ソロスのように1兆円を慈善事業に投じたり、ジム・ロジャーズのようにオートバイで世界一周冒険旅行に出かけて各地で巨富を成したり、ジョン・テンプルトンのようにカリブ海で晩年を優雅に過ごしたり、そういう人々は違う。

「幸福な富裕者」は、巨万の富を目指して生きているわけではない。彼らが欲するのはズバリ「自由」である。私にしても、野村証券でヤリ手支店長だった若い頃から、78歳の現在に至るまで、目指すところは常にこの「自由」であった。

では「自由」とは何か。私の答えはいたって単純である。「やりたいことがやれること、かつ、やりたくないことをやらないでいられること」ただそれだけである。これ、自由の必要条件だ。

さらに、もう少し付け加えよう。やりたいことは結構あって、やらねばならないことはきわめて少ない、という状態がいちばん望ましい姿である。これ、自由の十分条件だ。

永井荷風は文学者としては多額の金融資産を持っていたことで有名であるが、それは「私の自由のためのカネだった」と書いている(『摘録 断腸亭日乗』岩波文庫 / 1987年)。彼はカネを作りながら文学をものした。彼は戦時中に、書きたくない戦争文学を書かないでいられる自由、やりたいことがやれる自由を求めて、おカネをつくったのである。

やりたいことは誰にでもあるはずだ。私もたくさんある。若い頃からやりたいことはたくさんあった。それは何かといえば、実はたいしたことではないのだ。いずれも、ささやかなものばかりである。

何回も行った海外の好きな国々や、いまだ行ってない秘境を自由な気分で旅したい。涼風爽やかな避暑地でゆったり読書をしてモノを書きたい。シングルプレヤーの座は保持できなくなったが、ゴルフの試合にもまだ挑戦したい。ケニアやタンザニアでのサファリや長野県での狩猟も続けたい。

あげればキリがないが、その多くはこれまでの人生の中でも、そして現在も実現中である。たとえば、海外旅行は好きなアフリカやアラビア地域を中心に年4回は行っているし、フライトは自由にパソコンを使えるようにビジネスクラス、ホテルは五つ星と決めている。狩猟歴は40余年で、毎冬の猟期に鹿や猪を2~5頭狩っている。ゴルフは――と書いていくと自慢話と思われそうなので、もうやめておこう。

だが、あなたにも、このような「やりたいこと」があるだろう。自分に置き換えて考えてみてほしい。要するに「自由」の選択肢を広げ、人生の可能性を広げるためには、おカネは多ければ多いほどよい、という順番である。私が「やりたいことをやれる自由」を謳歌できるのは、株式市場でつくってきた多少のおカネがあるからだ。

カネでは買えないものがあるのは確かだが、カネで買える自由や安定が非常に多くあることもまた事実であろう。カネがないとやりたいことは制限されてしまうし、第一に、心の安定も生まれない。古代の賢人曰く「恒産なくして恒心なし」である。

「不幸な富裕者」も、本来欲すべきはこの「自由」のはずなのだが、彼らは「カネこそすべて」の誤謬に陥いるため、幸福を実感できなかったり、自律的で質実な生活態度を維持できなくなって没落するのである

自由と自律は不可分である。私はそれを、様々な書物――中学時代、英語教師に薦められた池田潔『自由と規律』(※1)、高校時代に読んだ井上靖『あすなろ物語』(※2)、大学のゼミ教授が三田評論に寄稿した、自由を求めて自律して生きる趣旨のエッセイなど――を通して学んだ。

富豪をめざす必要は私にはないが、カネをつくることは少しも悪いことではない。どころか、「度を超えた貪欲」の過ちさえ犯さなければ、その道程で自分が磨かれていくのである。

Next: 凡人に「幸福な貧者」は不可能、自然体の「幸福な富裕者」を目指せ


※1 池田潔『自由と規律』
著者自らが通った英国パブリックスクールの寮生活を題材に、厳格な規律の中で自由の精神が育まれていく様子を描く。ナポレオンを破ったウェリントン公は「ワーテルローの戦勝は(パブリックスクールの)イートン校の校庭において獲得された」と評した

※2 井上靖『あすなろ物語』
主人公・鮎太の人生に大きな影響を与えた女性たちとの邂逅を、少年期から壮年期までの6章にわたって描く成長物語。1つ目の物語では、美貌の大学生が13歳の鮎太に「君、勉強するってことは、なかなか大変だよ。遊びたい気持に勝たなければ駄目、克己って言葉知っている?」と問いかける

初月無料お試し購読OK!有料メルマガ好評配信中

山崎和邦 週報『投機の流儀』

[月額1500円(税込) 毎週日曜日配信]
市況動向や世界的超金融緩和の行く末を、学者兼投機家の視点で分析。読者質問コーナーでは活発な意見交換も。初月無料で会員限定の投機コミュニティを覗いてみるチャンス!

凡人に「幸福な貧者」は不可能、自然体の「幸福な富裕者」を目指せ

ところで、最初に挙げた4つのパターンのうち、(3)おカネがなくても幸福な人(幸福な貧者)は幸いなるかな、あえて利己心を抑制して精神の安寧を確保した哲人である。

京都郊外の1丈四方に棲んで静かに生きることを選んだ鴨長明や、ほとんど無銭のまま野たれ死に覚悟で作詩の旅に出た松尾芭蕉。あるいは架空の人物だが宮沢賢治が「雨にも負けず、風にも負けず……そういうものに私はなりたい」と書いた人――。

彼らのように、徹底的に金銭を無視して世間の片隅で静かに生きていけるなら、その人は確かに幸福であろう。

だが、その境地に達するよりは「幸福な富裕者」に達するほうが私には遥かにラクな道だと考えた。事実、その通りだった。私は大学2年の頃、「幸福な富裕者」と「幸福な貧者」のどちらを選ぶべきか大いに悩んだ。当時、左翼学生だった私は「幸福な貧者」にむしろ憧れる面すらあった。

その頃、のちに53年間の古女房となる幼な友だちは「おカネはなくても私たちが幸福と感じればそれが幸福なのよ」と哲学者めいたことを言ってくれもした。だが、私は教室でJ.M.ケインズと遭遇し、俄然おカネの世界に目覚めたのだった。

ケインズは官僚として学者として、また熱い恋の人として八面六臂の活躍をしたが、一方で投資市場の果敢なプレイヤーでもあって、個人で100億円ほどを儲け、母校ケンブリッジ大学の資金を運用して13倍に増やした傑物である。まさに「投機は自由のための彼の闘いであった」(R.F.ハロッド著『ケインズ伝』塩野谷九十九訳 / 東洋経済新報社 / 1967年)。

大学2年からの3年間、ケインズの生き方や理論に触れていくうち、私は左翼学生から「転向」して証券会社に進んだのであった。

「転向」は「変節」ではない。変節は自分自身の節義を破ることだから私たちは蔑視したが、転向はむしろ畏敬した。転向とは、自己の過ちを認識して自己批判した後に、方向を自ら変えることを宣言し進むことだからだ。

私はこの頃から、おカネと幸福との関係を真摯に考えるようになった。その結果が「幸福とは、やりたいことをやれて、やりたくないことをやらないでいられる自由な状態である」という明快な定義だった。そして、私には「幸福な貧者」よりも「幸福な富裕者」を目指すほうが、よほど容易かったのである。

だから、次頁で読者諸賢にご紹介する「幸せな富裕者」の生活態度も、鴨長明や松尾芭蕉になることに比べればはるかに簡単で、誰にも実践できるものとなる。

Next: 常勝の心得「自分の本業を知る者にこそ、相場の神は味方する」


初月無料お試し購読OK!有料メルマガ好評配信中

山崎和邦 週報『投機の流儀』

[月額1500円(税込) 毎週日曜日配信]
市況動向や世界的超金融緩和の行く末を、学者兼投機家の視点で分析。読者質問コーナーでは活発な意見交換も。初月無料で会員限定の投機コミュニティを覗いてみるチャンス!

常勝の心得「自分の本業を知る者にこそ、相場の神は味方する」

ウォール街には「つむじ風の真ん中にいる者ほど風の方向が分からないものだ」と和訳された格言がある。

目的と手段を取り違え、おカネをつくることにのめり込んでしまう人がいるが、これは却って逆効果を生む。株式投資にのめり込んでも、そんなに儲かるわけではない。儲かるどころか逆に大損する場合も多い。

現役ビジネスパーソンのポートフォリオは、本業における年収が中心に据えられていなければならない

読者諸賢は、何らかの本業を持っておられる方々が多いと推測する。もし投資活動でおカネを増やし、それでもなお、自分は本業を中心にこれからの人生を築き上げていこうと考えられるなら、それはめっぽう正しい「生活態度」と言える。

私は読者諸賢と、富裕者になる前はもちろん、なった後でも必ず役に立つ「常勝の心得」を共有したいと思って本稿に取り組んだ。

その心得とは「株と絵は遠くから見よ」の口伝である。私の現職時代の先輩は「株と女は遠くから見よ」と言っていたが同じことだ。

要するに、株式投資にのめり込みすぎることなく、本業を中心に自分の人生を設計し、一定の距離を置きながら株式市場で着実に資金を増やしていく。これこそが最も大事な「常勝の心得、第一」であり、「幸福な富裕者」と「不幸な富裕者」を分かつ最大要因であり、多くの「幸福な富裕者」に共通する生活態度なのである。

本稿は、何十万人に1人の幸運に遭遇する投資家や、特別に才能のある投資家を対象にしたものではない。普通の、常識的な、99.9%の大多数を対象としている。だから、少々の努力を継続できれば、という条件付きではあるが、誰にもできる方法を述べるようにした。

天は、滅ぼそうとする富裕者に、まずカネを与える。その人はカネの毒にあたって自ら滅ぶ。さすれば天は手が省けるというものだ。このことを、くれぐれもご注意いただきたい。

次回の後編では、「幸福な富裕者」に共通する「最低限の法律・契約を守る規範意識」の大切さについて、さらに踏み込んで解説しよう。

私もこまれで証券マンとして、企業経営者として、一投機家として、様々な誘惑と戦ってきた。その経験を生かし、読者諸氏が魑魅魍魎の誘惑に打ち克つ方法について、具体的な事例を交えてご紹介する予定である。

私の知る「幸福な富裕者」は皆、法律や契約を執拗なほど頑なに守ってきた。勘違いしないでいただきたいが、これは倫理観ではなくあくまで損得勘定の話である。

私の見た「幸福な富裕者と不幸な富裕者」その決定的違い(後編)に続く

山崎和邦(やまざきかずくに)

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

初月無料お試し購読OK!有料メルマガ好評配信中

山崎和邦 週報『投機の流儀』

[月額1500円(税込) 毎週日曜日配信]
市況動向や世界的超金融緩和の行く末を、学者兼投機家の視点で分析。読者質問コーナーでは活発な意見交換も。初月無料で会員限定の投機コミュニティを覗いてみるチャンス!

シェアランキング

編集部のオススメ記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MONEY VOICEの最新情報をお届けします。