MAG2 NEWS MENU

民主主義の終わりの始まり――「報ステ圧力問題」と日本のテレビメディア史

古賀茂明氏の「報ステ降板騒動」を契機に、にわかにクローズアップされている、“報道機関への政治圧力”の問題。新聞記者を経て、現在は全国の大学等でメディア論の教鞭をとるジャーナリストの柴山哲也さんは、日本のテレビメディアがいかにして誕生したかを知らないことには、この問題の真相は理解できないと語ります。

自民党の思惑は総務省判断に直結する?

今回は自民党議員集団がテレビ朝日やNHKの報道内容にクレームをつけていることに関し、政治圧力の背景の闇を分析したい。

電波は「公共=国民」のもので、電波が公正に使われているかどうか監視するのは国民の役割だが、政治家が国民に代わって監視している、というタテマエを使っている。

しかし、自民党は圧倒的多数を占める政権与党だから、自民党国会議員の思惑はそのまま政府行政権の反映されるはず。日本の電波の許認可権を持つのは総務省。総務大臣は与党の人だから、呼ばれたテレビ局の幹部は、ここでの査問が総務省判断に直結すると考えて、ビビりまくるのは当然のことだ。

日本のテレビが、英国BBCや米国CNNのような正統派のジャーナリスム機関なら、事実は曲げられないと、邪な政治圧力を跳ね返す力量もあるが、視聴率とスポンサーと政府の顔色ばかりうかがってきた日本のテレビ局幹部には、腰が抜けるほど恐ろしい出来事だったんではないかと推察する。同情と共に!

どうしたらいいか。テレビ局の腰抜け批判、キャスター批判、出演者の古賀茂明さんのパフォーマンスを批判しても、自民党が心を改めない限り、圧力はどんどん深まるに違いない。現に、最近のテレビはお笑い芸人のニュース解説あり、アイドルと笑いさざめく桜見会のアップ、グルメ、バラエティとウルトラエンタメに走っている。危険のない番組作りのために、ハイテンションで出演者たちが、ゲラゲラ笑って見せているが、彼らの目は笑っていない。何かを怖れている目だ。

しかし、血相を変えてテレ朝批判をしている自民議員は、間違ったことをしているという思いはないだろう。そこが問題なのだ。

>>次ページ 「波取り記者」と田中角栄のテレビ局支配

「波取り記者」と田中角栄のテレビ局支配

まずは日本の電波行政そのものが、スタートラインで狂っていたという、出自の不幸がある。戦前のラジオ(NHK)や大新聞が、大本営化して国民に正しい情報を知らせなかったために、日本は無謀な戦争を止めることができず、国が破滅した。その反省からGHQ(マッカーサー)は新聞に100%の言論の自由を与え、放送は政府から独立した行政機関が電波の許認可を行うことにした。

GHQ時代には電波管理法があり、これは米国の連邦通信委員会(FCC)がモデルだった。米国にFCCが出来たのは1930年代のことで、ヒトラーがラジオを巧みに操作して、ナチスの宣伝機関に利用したことに脅威を感じたためだ。米国政府は電波の管理権を政府から切り離し、電波の自由を守るためにFCCを創設した。

従ってFCCがうたう自由な放送の原点は、政府の圧力からの自由である。放送法でいう「偏向」とは、もともと「政府の側に偏る」ことを意味していた。GHQは日本にもこうしたFCCの法的な仕組みを導入した。しかし残念ながら、講和条約が発効し、日本が独立国家になったとき、政府は日本版FCCから電波許認可権を取り上げてしまい、郵政省(現・総務省)管轄に移した。

郵政省管轄の電波許認可権を最も有効に政治利用したのが、郵政大臣も歴任した田中角栄である。彼は大新聞社を支配するために、これを利用した。

日本のテレビ局はNHKを除けば、民間放送はだいたい新聞社系列になっている。朝日→テレ朝、読売→日テレ、毎日→TBS、産経→フジ、日経→テレ東といった具合。これに地方局の系列化がある。したがって大新聞社は、日本中に20~30の系列テレビ局を持っている勘定にあるといわれる。

このテレビ事業は、ジリ貧メディアに落ちた新聞にはおいしいサイドビジネスだった。金も入るが、それ以上に新聞本社の天下り人事の受け皿になったのだ。定年前の幹部社員を、地方局の社長、専務、役員クラスに送りこむ。

新聞にとって、新設テレビ局の系列を確保するのは「波取り記者」の役割だった。波取り記者は特に記事をかかなくてもいい。政治家や関係官庁をアチコチ歩きまわりながら、テレビ局新設情報を嗅ぎまわり、目当ての局を自社の系列局に落とし込む手際を発揮すれば、出世のチャンスも転がり込む。

そんなわけで、新聞社にぶらぶらして記事も書かない記者がいて、それでも出世している者がいたら、ハハア、奴は波取りだったのかと勘ぐることはできる。

そういう波取り記者をうまく手なずけて新聞支配をやったのが、当時の郵政大臣・田中角栄だった。田中の新聞支配は、ロッキード事件で失脚するまで続くことになった。

大新聞マスコミはこの田中角栄の問題を、立花隆が『田中角栄研究』を文芸春秋に書くまで、書くことはなかった。

日本が原発をアメリカから導入するときに、CIAと日本テレビの関与があったことは、有馬哲夫氏の著作でも知られるが、日本のテレビ草創期にはこうしたダークな裏話が出て来るのも、事実なのである。

>>次ページ 政治の暴走を許さない欧米……日本は?

政治の暴走を許さない欧米……日本は?

以上のような日本のテレビ誕生の特性を、歴史的に解明することなく、現在のテレビ界で起こっている政治圧力の真相を解明することはできないと私は考えている。そのときの一時的な感情やスキャンダル暴露、怒りで解決できるほど浅い問題ではない。

アメリカにも英国でもメディアが政治圧力をかけられた事例はゴマンとある。権力者たちが自由なジャーナリスムを嫌うのは当たり前のことだが、圧力をかける側、かけられる側にはそれぞれの国の文化の反映があり、民主主義の民度がある。

アメリカやイギリスでは、やはり民主主義のルールを逸脱したり、言論の自由への検閲行為とみなされるような圧力をかけたら、かけた側の負けになる。そうした政治の暴走を許さない市民世論が健在なのだ。

ところが日本では、方法は問わず圧力をかけた者が勝ちで、これが横行すれば、民主主義も自由なジャーナリスムも終了する。今は、その一歩手前にあると思う。

『ニュースの点と線 柴山哲也の論説コラム』から一部抜粋

著者/柴山哲也
朝日新聞記者の後、ハワイ大学、米国立イースト・ウエスト・センター客員フェローののち京都の国際日本文化研究センター、京大講師、立命館客員教授等でジャーナリスムを講義。日米比較ジャーナリスムを研究しつつ、ジャーナリスト活動を展開。著作に、『ヘミングウェイはなぜ死んだか』(集英社文庫電子版)、『日本型メディアシステムの興亡』(ミネルヴァ書房)、『戦争報道とアメリカ』(PHP新書)など。まぐまぐ!からは、無料メルマガ『ニュースの点と線 柴山哲也の論説コラム』を配信中。
≪最新記事を読む≫

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け