民主主義の終わりの始まり――「報ステ圧力問題」と日本のテレビメディア史

 

政治の暴走を許さない欧米……日本は?

以上のような日本のテレビ誕生の特性を、歴史的に解明することなく、現在のテレビ界で起こっている政治圧力の真相を解明することはできないと私は考えている。そのときの一時的な感情やスキャンダル暴露、怒りで解決できるほど浅い問題ではない。

アメリカにも英国でもメディアが政治圧力をかけられた事例はゴマンとある。権力者たちが自由なジャーナリスムを嫌うのは当たり前のことだが、圧力をかける側、かけられる側にはそれぞれの国の文化の反映があり、民主主義の民度がある。

アメリカやイギリスでは、やはり民主主義のルールを逸脱したり、言論の自由への検閲行為とみなされるような圧力をかけたら、かけた側の負けになる。そうした政治の暴走を許さない市民世論が健在なのだ。

ところが日本では、方法は問わず圧力をかけた者が勝ちで、これが横行すれば、民主主義も自由なジャーナリスムも終了する。今は、その一歩手前にあると思う。

『ニュースの点と線 柴山哲也の論説コラム』から一部抜粋

著者/柴山哲也
朝日新聞記者の後、ハワイ大学、米国立イースト・ウエスト・センター客員フェローののち京都の国際日本文化研究センター、京大講師、立命館客員教授等でジャーナリスムを講義。日米比較ジャーナリスムを研究しつつ、ジャーナリスト活動を展開。著作に、『ヘミングウェイはなぜ死んだか』(集英社文庫電子版)、『日本型メディアシステムの興亡』(ミネルヴァ書房)、『戦争報道とアメリカ』(PHP新書)など。まぐまぐ!からは、無料メルマガ『ニュースの点と線 柴山哲也の論説コラム』を配信中。
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