プーチンの次の戦略は「米中を戦わせて、ロシアが漁夫の利を得る」

 

クリミア併合とロシアの苦難

09~11年、米ロ関係は、「とても良好」でした。しかし、12年プーチンが大統領に返り咲きます。13年、プーチンは、アメリカが企画した「シリア攻撃」を止めました。裏話はいろいろあるのですが、表向きは、「プーチンがシリアのアサド大統領を説得し、化学兵器破棄に同意させたから」となっています。

14年2月ウクライナで革命が起こり、親ロシア・ヤヌコビッチ政権が崩壊。アメリカは、この革命を支援しました。これも知らなかったら「トンデモ系」みたいですが、証拠があります。

昨年2月ウクライナの首都キエフで起きたクーデターの内幕について、オバマ大統領がついに真実を口にした。恐らく、もう恥じる事は何もないと考える時期が来たのだろう。CNNのインタビューの中で、オバマ大統領は「米国は、ウクライナにおける権力の移行をやり遂げた」と認めた。別の言い方をすれば、彼は、ウクライナを極めて困難な状況に導き、多くの犠牲者を生んだ昨年2月の国家クーデターが、米国が直接、組織的技術的に関与した中で実行された事を確認したわけである。これによりオバマ大統領は、今までなされた米国の政治家や外交官の全ての発言、声明を否定した形になった。これまで所謂「ユーロマイダン」は、汚職に満ちたヤヌコヴィチ体制に反対する幅広い一般大衆の抗議行動を基盤とした、ウクライナ内部から生まれたものだと美しく説明されてきたからだ。米国務省のヌーランド報道官は、すでに1年前「米国は、ウクライナにおける民主主義発展のため50億ドル出した」と述べている。(「ロシアの声」2015年2月3日より)

2014年3月ロシアはクリミアを併合しました。その理由は、革命で誕生したウクライナ新政権が、「クリミアのロシア黒海艦隊を追い出す」「その後NATO軍を入れる」意向を示していたことです。

これを、ロシアは容認することができなかった。ロシア人は、プーチンのこの決定を圧倒的に支持しました。なぜかというと、クリミアは、1783~1954年までロシア領だった。1954年、ソ連書記長だったフルシチョフが、「明日からクリミアは、ウクライナのものにする」と、「鶴の一声」で勝手に移してしまった。全ロシア国民は、フルシチョフの気まぐれな決定を「不当」と信じている。「クリミアはロシア領」というのが、国民的コンセンサスなのです。

そして、クリミア住民の6割はロシア系」。結果、まったく抵抗にあうことなく、ロシアは併合に成功したのです(クリミアの住民投票では、97%がロシア編入を支持したとされる)。これで「歴史的英雄」になったプーチンの支持率は86%まであがりました。

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