MAG2 NEWS MENU

原発差し止めの重い意味。司法は「原発と政権」にストップをかけられるか?

先日、大津地裁が高浜原発3、4号機の運転差し止めを命じました。メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者・新 恭さんは、あくまで原発再稼動にこだわる安倍政権に真っ向から立ち向かうかのような決断を下した山本善彦裁判長を大きく評価するとともに、政治権力が裁判所をコントロールするこの国のシステムと、それに巻かれて上役の顔色をうかがう「ヒラメ裁判官」の増殖を厳しく糾弾しています。

司法は原発に本格ストップをかけられるか

再稼働した関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止める仮処分が決まった。

「決定を出すには大きなプレッシャーがあったはずで裁判官に深い敬意を表したい」

大津地裁の山本善彦裁判長に対し、住民側弁護団長、井戸謙一弁護士が発した談話。「プレッシャー」という言葉に実感がこもっていた。

井戸自身が金沢地裁の判事だった2006年、北陸電力志賀原発2号機の運転差し止め判決を出した経験を持っている。国策である原発推進にストップをかける重圧は、はかりしれない。

この国の裁判官が、ひたすら自らの良心に従い、国策より市民の命を重視した判断を下すケースはきわめて稀である。最高裁を頂点とするヒエラルキーに組み込まれ、「そつなく事件処理」をしてゆくための歯車の1つにされている。裁判官というより、官僚役人に近い。この官僚的組織の総本山が最高裁事務総局であり、個々の裁判官は出世のために総本山の意向を忖度する、いわゆる「ヒラメ裁判官」になりがちだ。

原発差し止め仮処分を決定した山本善彦裁判長について、井戸自身は「差し止めを認めてもらえる可能性は高いと思っていた」と語っている。同じ高浜原発3、4号機について2014年11月、住民らが再稼働差し止めを求めて大津地裁に仮処分の申し立てをしたさい、山本裁判長はそれを却下しているにもかかわらずである。そのとき、住民側の「再稼働が目前に迫っている」という訴えに対し、山本裁判長は却下の理由をこう述べた。

「規制委員会がいたずらに早急に、新規制基準に適合すると判断して再稼働を容認するとは考えがたい

ところが規制委は2015年2月、新基準に適合していると関電にお墨付きを与えた。福井地裁の再稼働差し止め仮処分の取り消し(同年12月)を経て、関電は再稼働にこぎつけた。山本裁判長の見通しとは異なり、再稼働は早期に容認されたのだ。ならば、山本裁判長は自らの論理構成を崩さないためにも、今回は差し止め仮処分を決定する必要があった。井戸弁護士が「差し止めを認めてもらえる可能性は高い」と判断していた理由は、そんなところにあるのだろう。

が、これはあくまで決定後の発言であり、実際にはそこに至るまでの不安は大きかったに違いない。というのは、過去の山本裁判長の判決が、必ずしも住民サイドに立っていたとは思えないからだ。1つの例をあげておこう。

2012年6月、米海兵隊岩国基地の滑走路沖合移設をめぐり、基地周辺の住民が「当初目的を大きく逸脱している」と県知事の埋め立て承認取り消しを山口地裁に求めた訴訟。当時同地裁にいた山本善彦裁判長は「仮に県の承認が取り消されたとしても国に原状回復義務はなく今回の原告の訴え自体に利益がない」として請求を却下した。

もう埋め立ても終わっているのだから、いまさら埋め立て承認の取り消しをしても、何にもならない、ということだろう。中身に踏み込まず、入り口でシャットアウトした感じだ。だが、事案の処理を急ぐ大多数の裁判官に共通する裁き方といえるのではないか。だからこそ、今回の運転差し止め仮処分決定には、大きな意味がある。その分、「他の裁判官への波及効果が高いだろうからである。

これに比べ、昨年4月、福井地裁で高浜原発3、4号機の再稼働差し止め仮処分を下した樋口英明裁判長の場合は、特殊性があった。その前年の5月、樋口裁判長は関電大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を出しており、弁護団が樋口裁判長による審理を狙って申し立てた面があった。つまり、ある程度、住民側の勝訴が予想できたのだ。

ということは、その後、樋口の異動により別の裁判長(林潤裁判長)が関電の異議申し立てを審理した福井地裁2015年12月の「仮処分決定取り消し」もある程度、予測できたわけである。

今回の仮処分申請に対する山本裁判長の姿勢は予測が難しかったといえるが、出てきた決定書を見ると、再稼働ありきで無理なこじつけが目立つ関電や原子力規制委員会を「偉大な常識」で批判しており、この国の裁判官も捨てたもんじゃないと思わせる。

決定書によれば、関電の主張はこうだ。

福島第1原発の事故は津波の想定が不十分だったために起こったものである。新規制基準はこの事故を踏まえて作成されている。福島第1と同様の事態が生じることを前提とする住民側の主張は合理的ではない。

これに対し決定書は次のように、関電と規制委員会の姿勢に疑問を呈した。

福島の原因究明は、建屋内での調査も進んでおらず、津波が原因かどうかも不明であり、この点について関電の証明は不十分だ。そもそも新基準策定の姿勢に不安を覚える。

そして、筆者が「偉大な常識」と感じたのは以下のくだりである。

有史以来の人類の記録は、生存しうる温暖で平穏なわずかな時間の経験にすぎない。災害が起こるたびに「想定を超える」と繰り返されてきた過ちに真摯に向き合うならば、十二分の余裕をもった基準とすべきである。危険性を見落としている可能性が常にあるとの立場に立ち、過酷事故が生じても、致命的な状態に陥らないように新規制基準を策定すべきである。関電の主張、疎明の程度では公共の安寧の基礎とはならない。

福島第1のように電源喪失という事態が起こったら、非常用電源により電力供給を確保するというのが関電の考えだ。費用対効果の観点から、本体の大幅改修ではなく、ディーゼル発電機、空冷式非常用発電装置、電源車等を設けることで対応するという。

これについて決定書は次のように指摘する。

ディーゼル発電機の起動失敗例は少なくなく、空冷式非常用発電装置の耐震性を認めるに足る資料はなく、電源車等の可動式電源については、地震動の影響を受けることは明らかだ。

旧安全基準より厳しくなったとはいえ、新規制基準は電力会社のコスト負担に配慮した中途半端な中身だ。それにパスしたというだけで、なし崩し的に各電力会社が再稼働を進めれば、大変なことになる。

ところで、原発を動かし続けるためには「安全」とともに「核燃料サイクルという神話が必要だ。福島第1の事故で「安全神話は崩壊した。一方、「核燃料サイクル」はとっくに計画倒れであることが分かっていながら、国民に真実を知らさないようにして、神話だけは生きている。神話を生き続けさせるために六ヶ所村の再処理工場や高速増殖炉を、巨額の税金を注ぎ込んで温存しているのだ。使用済み核燃料の再処理でプルトニウムを有用な資源として取り出しているという神話がなくなれば、電力会社には膨大な不良資産と核のゴミの山が残る。

かつて経産省に核燃料サイクルからの撤退を訴える動きがあった。2013年4月21日朝日新聞連載「プロメテウスの罠」は以下のように記述している。

経産省の若手官僚が「19兆円の請求書」という文書を手に動き始めたのは、2004年3月のことだった。

 

(中略)

 

使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出す再処理工場の建設を「止めるべきだ」と訴えた。

 

(中略)

 

原子力発電は、始まったときから「核燃料サイクルあっての原子力」とされてきた。原発で使い終えた核燃料を再処理し、再び原発で燃やす。そのサイクルがあるからこそ、原子力は「夢」だった。

 

(中略)

 

核燃料サイクル路線をとって工場を40年間動かすと19兆円のコストがかかる。…50兆円を超えるコストになるかもしれない。にもかかわらず、誰もストップをいい出せないのはなぜか。国が政策を変えれば電力会社から再処理工場の建設費の賠償を求められる。電力会社は電気代で集める再処理費用を返せと利用者からいわれる。政治家は電力関連の企業や労組から支援を受けている……。「いったん立ち止まり、国民的議論が必要ではないか」。文書はそうしめくくっていた。

このように政府や電力会社では、どうにもならない構造がある。将来のことを度外視しても、自分たちやその組織を守ろうとするのだ。

原発をストップさせるには、われわれ国民としては司法の頑張りに期待するしかない。裁判官とて、日本の国民であり、電力会社の手先ではないはずだ。良識を働かせさえすればよい。

問題は政治権力が裁判所という組織をコントロールしていることだ。

最高裁長官は内閣の指名で天皇が任命することになっている。自民党政権は法廷の最高権力者の人事を実質的に握ることで、裁判所の官僚的ヒエラルキー組織に介入し、気に入らない裁判官をパージしてきた。司法省内で検察官が裁判官の上位にいた戦前と同様、裁判所は今も独立していないのだ。国会の形骸化も著しい。はっきり言って、この国における三権分立は絵に描いた餅にすぎない。

安倍政権は原発再稼働の姿勢を貫く構えだ。大津地裁では美浜、大飯、高浜の3原発を対象にした本訴訟が同じ山本裁判長の担当で進行中だが、本訴でも住民側が勝てるとは限らない。

われわれ国民はもっと裁判官の評価に熱心でありたい。社会の司法に対する無関心が、司法の閉鎖性を形成し、ヒラメ判事を増殖させている。上役の顔色をうかがうヒラメではなく、市井の人々にやさしいまなざしを向ける裁判官を国民が育てるためには、良識ある判決を下した裁判官を正当に評価しネット上の記録などにとどめておく必要がありそうだ。

今回は、大いに山本裁判長を讃えたい。

image by: 首相官邸

 

国家権力&メディア一刀両断』 より一部抜粋

著者/新 恭(あらた きょう)
記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。
<<無料サンプルはこちら>>

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け