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この金は、心して渡せ。昭和の名総理・田中角栄に学ぶ人心掌握術

若手保守知識人のホープとして知られる政治学者・岩田温さんのメルマガ『岩田温の『政治哲学講義』』。最新号では、あの田中角栄氏の秘書として辣腕を振るった早坂茂三氏のエピソードを取りあげ、一流の人心掌握術とは何かを論じています。

角栄の人心掌握術を記した男

「人間関係を何よりも重視した政治家」、「誰よりも人間的魅力に富んだ政治家」といえば、誰もが田中角栄の名前をあげる。小学校しか卒業していない田中角栄が総理大臣に昇りつめていく途中、大切にしたのは人間関係であり、義理、人情だった。本章では、田中角栄の人心掌握術に注目していくが、その前に一人の人物の紹介をしておきたい。

早坂茂三

秘書として田中角栄を支えた人物だが、早坂の業績は他にもある。角栄が病に倒れた後、事務所を開き、多くの著作を残した。多くの政治家が多少なりとも、人心掌握の技術を駆使して生き残りを図り、出世を目指しているのだが、そうした技術論についての言及は極めて稀だ。

政治家は殆どそういう細かな技術論は語らない。自分自身で「こうして人の心を掴んでいます」など書くのはみっともないし、そんなことを書いてしまっては、せっかくの挨拶、お辞儀も「どうせ、人心掌握のためにやってるんだろう」と勘繰られてしまうのがオチである。

従って、政治家は自分自身の人心掌握術については固く口を閉ざしている場合が多い。

実際に、政治家が書いた本を並べてみれば、そうした人心掌握術にふれた本など殆どないことに気が付く。政治家の本の中で多いのが、自らの政策、政治観、国家観などをまとめた著作である。

例えば、田中角栄の『日本列島改造論』や小沢一郎の『日本改造計画』がそれにあたる。これらの著作では、日本がどうあるべきかが正面から語られている。こうした著作ら見えてくるのは、政治家の表の顔だ。政治家の実現すべき目標が正面から語られている本だといってよいだろう。

こうした本には選挙に勝ち抜くための人心掌握術など一切書かれていない。そうした「裏の顔」は封印されている。他に多いのが、引退した大物政治家の回顧録の類である。例えば、中曽根康弘の『自省録』、『政治と人生』、岸信介の『岸信介回顧録』のような著作である。

こうした著作では、自分自身が出世していく過程も描かれるが、メインに据え置かれるのは、自分自身が総理大臣としていかなる活躍をしたのかという部分である。こうした回顧録では、自分自身の業績を再確認する部分が多い。そして、こちらでも、人心掌握術のような下世話な話は殆ど語られることがない。

世の政治家たちが、空気を吸うのと同様に、ごく自然に使っている人心掌握術は、ほとんどの場合、政治家自身によっては語られることがない。多くの政治家たちが、自らの人心掌握術、人間の心の掴み方を墓場の中にまで持ち込んでしまう。

人の心を掴まえて、離すことがない田中角栄の人心掌握術が書物に記されたのは、早坂茂三の業績といわねばならない。

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悍馬を乗りこなす角栄

そもそも、田中角栄と早坂茂三の関係が興味深い。これほど濃密で、かつ、清々しい政治家と秘書との関係は類例を見ないのではないだろうか。こういう秘書を抱えていたという一事を以ても田中角栄の魅力が伝わってくる

早坂茂三が田中角栄の秘書に就任するのは、田中角栄が大蔵大臣を務めていたときだ。早坂は『東京タイムズ』という小さな新聞社に努める新聞記者だった。当時、『東京タイムズ』の名前は殆ど知られていなかった。早坂が記者として自己紹介すると、必ず会社の名前を何度も確認され、肝心の要件を聞き出すまでにお互いにくたびれてしまうほど、小さな無名の新聞社だった。

早稲田大学政経学部出身の早坂が、こうした小さな新聞社に就職したのには理由がある。彼は大学時代、共産党の過激な活動家として学生運動にのめりこんでいたのだ。

軍国少年だった早坂少年の夢を打ち砕いたのは、日本の敗戦だった。価値観が転倒した。昨日まで天皇陛下の為に死ぬことが国民の責務だと熱弁をふるっていた教師たちが、一夜にして転向した。これからは民主主義の時代だと熱弁をふるったのだ。早坂少年は大人たちに不信の念を抱く。

早稲田大学に入ると、早速民主主義科学者協会に入る。学生をオルグしていると先輩に呼び出され、共産党に入党。以後、共産党の活動家として、米軍の撤退、吉田内閣の打倒を目指して、学生運動に汗を流す。だが、多くの国民は日々の生活に忙しく、学生弁士の熱弁に心動かされることはなかった。早坂が共産党を離党するのは、母からの手紙による。「私はお前を信じています」の言葉にほだされ、共産党を離党する。だが、彼は共産主義思想を否定したわけではない。党を離れただけだ。

学生運動にのめり込んだ人間を採用してくれる大手の新聞社はなかった。『読売新聞』の就職試験では、面接の当日に彼の下宿屋に読売新聞の社員が押し掛けた。面接に出かけている早坂が帰る前に、部屋を調べていたのだ。当時、早坂は日本共産党の軍事闘争方針の記された『球根栽培法』を所持していた。この共産党の極秘文書の所持が、『読売新聞』にばれてしまうのだ。案の定。読売新聞からは、不合格の速達が届くことになる。

学生運動にのめりこんだ早坂を拾ってくれたのが、『東京タイムズ』の社長、岡村二一だった。

共産党員として学生運動にのめりこんでいた新聞記者を秘書官にしようというのだから、この一点を以ても田中角栄の度量の大きさというものが理解出来よう。確かに、角栄が見抜いたように早坂は有能な秘書となった。昭和38年12月2日。角栄は早坂を大蔵大臣室に呼び出して、口説き始めた。

「オレは十年後に天下を盗る。お互いに一生は一回だ。死ねば土くれになる。地獄も極楽もヘチマもない。オレは越後の貧乏な馬喰の倅だ。君が昔、赤旗を振っていたことは知っている。公安調査庁の記録は全部、読んだ。それは構わない。オレは君を使いこなせる。どうだ。天下を盗ろうじゃないか。一生に一度の大博打だが、負けて、もともとだ。首まではとられない。どうだい、一緒にやらないか」(早坂茂三『鈍牛にも角がある』光文社、105~106頁)

角栄は、早坂が共産党にかぶれたことを知らなかったのではない。そうしたことは全て調査済みである。だが、それでも早坂を使いたいというのが角栄なのだ。しかも、口説き文句が、「天下盗り」である。角栄一流の口説き方といってよいだろう。結局、早坂は『東京タイムズ』を退社し、角栄と共に天下盗りを目指すことになる。32歳のこの日から、角栄が倒れ、田中ファミリーに解雇される55歳まで、早坂は角栄を支え続けることになる。

学生時代に共産党に入党し、活動していた早坂が癖のある人物であったのは間違いないだろう。後年、早坂が飛行機に搭乗した際には、有名な事件を起こしている。離陸の際に、早坂がリクライニングを倒したままにしていると、早坂は添乗員からリクライニングを直すように注意を受けた。激怒した早坂と添乗員との間で口論が生じ、飛行機の出発が42分も遅れることになった。短気は損気。分かっていても一言言わずにいられない早坂の性分が滲み出たエピソードである。これだけ癖のある人物が惚れ込み、一途に仕え続けたたのが田中角栄なのである。

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田中角栄の人心掌握

良くも悪くも田中角栄は金権政治の申し子だ。今回はその善悪を問わない。田中の心の掴み方だけに注目したい。

ある選挙の際に、田中は早坂に現金の配達人として全国を飛び回るように命じた。田中は金の配り方を次のように説明している。

「お前がこれから会う相手は、大半が善人だ。こういう連中が、一番つらい、切ない気持ちになるのは、他人から金を借りるときだ。それから、金を受け取る、もらうときだ

「だから、この金は、心して渡せ。ほら、くれてやる。ポン。なんていう気持ちが、お前に露かけらほどもあれば、相手もすぐわかる。それでは百万円の金を渡しても、一銭の値打もない。届けるお前が土下座しろ

金を支払う部下に土下座をさせる男、それが田中角栄だった。庶民の気持ちの深い部分を理解した男だと思わざるをえない。

田中角栄は目白の田中御殿で地元の人々を暖かく迎え入れた。やあ、やあ、と挨拶して回り、突然、小汚い恰好をした老婆に声をかける。

「おい。そこのトメさん」

びっくりした婆さんが立ち上がる

「オヤジはまだ、抱いてくれるか」

部屋中がわっと明るくなる。婆さんが顔を赤くしていると角栄は続ける。

「よかった。いつまでもかわいがってもらえ。ところで、でかさない倅は、どうしてる」

「先生、こないだ1万円送ってきた」

「それはよかった。バカはおだててやれ。1万円が2万円になるぞ」

場の雰囲気を大事にしながら、普段注目もされることのない一人の老婆を励ます。

早坂は次のように書いている。

「人は誰でも、平和に、しあわせに暮らしたい。つつましくていいから、毎日、家じゅう、明るく過ごしたい。そう思っている。人に迷惑をかけたくない。人からバカにされたくない。できれば、一生に一度、晴れがましい思いをしてみたい。トメ婆さんは、そうした気持ちでいた。その溢れるばかりの思いを、角栄は知っていたのである。」

人心掌握術を学ぶためには、田中角栄に学ぶのが一番だ。

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『岩田温の『政治哲学講義』』
著者/岩田温(政治学者)
政治哲学を巡る連載、書評、映画の批評などを配信します。テーマは「情報から思想へ」。状況に応じて「政局」について言及することもありますが、基本的には読者とともにゆっくりと思考するメルマガでありたいと思っています。極端な右翼思想ではなく、リベラルな保守主義の立場から発進します。読者の方の疑問にも分かりやすくお答えします。
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