とても常識人なのに「私、変わってるんです」アピールしたがる日本人

 

とっても常識人なのに、自分が非常識人だとアピールしたがる日本人

あきらかにヘンなのに、自分が常識人だとアピールしたかがるアメリカ人。

日本で会う方、会う方が、「自分は人と違うんです」、って言うので、結果、顔を覚えられない。 皮肉にも、自分が「少数派」に入る為に言ったセリフであると思うのですが、結果、そのセリフを言った時点で、みんながみんな言うものだから「多数派」に入ることになる。 なので、逆にそんなセリフを言わない人と会うと「この人は変わってんのかなぁ」と思ってしまうパラドクス(笑)

話は少し逸れますが、キラキラネームにおいても同じ現象が起きてんじゃないかな、と。

親は子供に特別な名前を、特徴的な名前を、個性的な名前をと思い、漫画の主人公やスグに読解できない名前をつけます。

でも、すでに「キラキラネーム」という言葉も世間一般に広まった今、その名前を聞かされても「個性的だなぁ」とか「特徴的だなぁ」と感想を持つ前に「キラキラネームだなぁ」って感想が先に来ちゃうんと思うんです。

俗っぽさから脱去するために、特徴的な名前を付けたにも関わらず、周知の「キラキラネーム」にカテゴライズされちゃう。 「あ~、アナタもね」って思われる。 それってなにより俗っぽい。

去年だか、一昨年だか、日本のいちばん多い男の子の名前が「翔」くんか、「翔太」くん、だったのこと。 とてもいい名前だと思うのですが、もし特別な意味がなく、ただ、漫画の主人公っぽい名前、とか、響きがカッコいい名前だとか、そんな理由で付けたとするならば。

数年後、翔太くんだらけの日本の中で、主人公っぽくはならないんじゃないのかな。

みんながマイナーを狙った結果が、ど真ん中メジャー。

ひょっとすると、今の時代「太郎」や「花子」の方が特徴的な名前になってしまっているかもしれません。

( ※ 誤解なきよう。 もちろん、翔くんや翔太くんが俗っぽいわけではありません。 響きだけでなく、親御さんが意味をシッカリ考えて、その上で付けられた翔くん・翔太くん、も中にはいると思われます。 ただ、国民全員が【特別感】を狙ったら、それはもう【特別感】ではなくなる話の例えで言っただけです)

 

以前、僕は専門学校の講師をしていた時代がありました。 もう15年以上前の話です。

あるとき、新入社員の面接を10人連続でやったことがあります。

一人目の男の子が「僕はマニュアルに頼りたくないんっすよ、やっぱ生徒と心と心で通じ合った教育がしたいんす!」と鼻息荒く。 あぁいいこと言うなぁと。

二人目「アタシ、教科書ばかりの教育って嫌なんです。 生徒ひとりひとりにぶつかって、心と心で語りかけたいんです」と。

三人目「僕は決まりきった校則だけじゃなく、アウトローと思われても、もっと大切な心でぶつかって、生徒の私生活まで面倒みたいんっすよ!」と。

四人目も五人目もこんな感じ。 同じようなセリフ。 六人目も同じ。 その時点で、横にいた同じ面接官の後輩に「なに、これ?」と聞きました。

その後輩、涼しい顔で「GTOです」。

当時、流行っていた学園テレビドラマの主人公の先生のキャラクターに、意識的にか、無意識的にか全員が感化されちゃってる。

結果、八人目の「アタシは自分にもまだ自信が持てないので、なんとか一年目はマニュアルを必死にこなそうと思っています」とまっすぐにこっちを見た女の子しか、いまとなっては記憶に残っていない。 (あとの“心と心でぶつかるクン”は顔も覚えてない)

その子だけが1年間、専門学校教師をシッカリと全うしました。 あとの数人は途中でヤメて、おそらく違うテレビドラマの主人公になりきれる職種を選んだのだと思います。 その次はまた違うドラマを。 。 。

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