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馬脚を現した習近平、反撃の李克強。激化し始めた中国最後の決戦

9月以降、中国の李克強首相が急に外交の表舞台に立つようになり話題を呼んでいます。無料メルマガ『石平(せきへい)のチャイナウォッチ』の著者で評論家の石平さんは、中国の政争の場とも言われる北戴河会議で習主席が各方面から批判され、共産主義青年団派の力が戻ってきたためではないか、との見方を示しています。

李首相の「外交復権」は「団派」の巻き返しだ 激化が予想される中国共産党の権力闘争

9月21日、中国の李克強首相は国連総会で演説を行いその前日にはオバマ米大統領との会談をこなした。中国首相には普通の外交活動のように見えるが、李首相自身にとって、それは記念すべき出来事となったのではないか。

2013年3月に首相に就任して以来、彼が国連の会議に出席したのもアメリカの土を踏んだのも、それが初めてだからである。中国の首相として最重要の外交相手国、アメリカを公式に訪問したことは一度もない。今回も国連総会出席のためにニューヨークを訪れただけである。

一方の習近平国家主席はすでに2回にわたって訪米した。2015年9月の訪米は国賓としての訪問であり、その時は国連総会でも大演説をぶった。国家主席と首相との格差があるとはいえ、李首相の外交活動はかなり制限されていたことが分かる。

実は習主席は就任以来、首脳外交を自分の「専権事項」にして、国際舞台で大国の強い指導者を演じてみせることで自らの権威上昇を図った。権力闘争の中で共産主義青年団派(団派)の現役リーダーである李首相とは対立し、本来なら首相の活躍分野である経済と外交の両方において李氏の権限と活動をできるだけ抑え付けようとした

その結果、今年の上半期、習主席自身は7カ国を訪問して核安全保障サミットや上海協力機構などの重要国際会議に出席したが、同じ時期、李首相は何と、一度も外国を訪問できなかった。

状況が大きく変わったのは、今年9月に入ってからである。同7日から、李首相はラオスを訪れ、中国・東南アジア諸国連合(ASEAN)(10+1)首脳会議、東アジアサミットなどの一連の国際会議に出席した。

その中で李首相は、合従連衡の外交術を駆使し、中国のアキレス腱である「南シナ海問題」が焦点として浮上するのを封じ込めるのに成功した。

その直後から、中国国内では、新華社通信と中国政府の公式サイトを中心にして、李首相の「外交成果に対する絶賛の声が上がってきた。

「李首相は東アジアサミットをリード、中国は重大勝利を獲得」
「首相外遊全回顧、外交的合従連衡の勝利」

など、李首相の帰国を英雄の凱旋として迎えるかのような賛美一色の論調となった。

今まで、外交上の「成果」や「勝利」が賛美されるのは習主席だけの「特権」となっていたが、今夏までの数年間、首相としての外交活動すら自由にならなかった李氏がこのような待遇を受けるとはまさに隔世の感がある。

その間に一体何が起きたのか。1つの可能性として推測されるのは、今年8月に開かれた恒例の「北戴河会議」において、習主席の内政・外交政策が各方面からの批判にさらされ、習氏の勢いがかなり削がれたことではないか。

だからこそ、9月になると、習主席の腹心である天津市の黄興国党委員会書記代理が突如失脚させられ、同じ時期に李首相の外交的活躍がクローズアップされた。そして9月21日から人民日報は、李首相の後ろ盾である共産党元総書記、胡錦濤氏の「文選」の刊行を記念して、胡氏を褒めたたえる文章を連続3日間、1面で掲載した。

つまり、李首相の外交復権」の背後には、今まで習主席との権力闘争においてやや劣勢に立たされた共産主義青年団派の勢力が、例の「北戴河会議」をへて再び勢いを巻き返してきたことがあったのではないか。

そうなると、来年開催予定の第19回党大会に向け、次期最高指導部の人事をめぐる権力闘争はますます激しさを増してくるだろう。この「最後の決戦」の行く末によって、中国の政治と外交の方向性は大きく変わっていくに違いない。

 

石平(せきへい)のチャイナウォッチ
誰よりも中国を知る男が、日本人のために伝える中国人考。来日20年。満を持して日本に帰化した石平(せきへい)が、日本人が、知っているようで本当は知らない中国の真相に迫る。
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