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議会制民主主義は日本を救ったのか?福澤諭吉と昭和史から考える政治の限界

民主主義は、普遍的で完成された制度として語られることが多く、選挙によって代表を選び、議会で議論を重ね、合意形成を図る――この仕組みは「最も公正な政治制度」として、戦後日本でも疑う余地のない前提とされてきました。しかし近年、国会で繰り返される政党間の対立や、政策論争よりも優先される政争を前に、「この制度は本当に日本社会に適しているのか」と疑問を抱く声が、静かに広がっています。今回のメルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』では元国税調査官で作家の大村大次郎さんが、福澤諭吉や岩倉具視の言説、そして昭和初期の政党政治の混乱を手がかりにしながら、「日本人に民主主義は本当に合っていないのか」という問いを、歴史的視点から改めて考えています。

日本人に民主主義は合っていない?

●福澤諭吉には理解できなかった議会制民主主義

前項でご紹介したように、現在の国会議員はまったく国民のための政治をしていないように思われます。

昨今、筆者は、欧米流の議会制度システムというものが、実は日本には合っていないのではないかとさえ思うようになりました。

筆者は欧米の議会や政治が正しいなどと言うつもりはありません。

欧米の政治にもいろいろ不都合な点が生じていることは、もちろん知っています。

しかし、欧米の場合は、その議会制度、政治システムを自分たちで試行錯誤を繰り返しながらつくってきました。

が、日本の議会制度や政治システムは、欧米のものをそのまま導入したものであり、不都合な部分は欧米よりもはるかに多いと思われるのです。

日本が議会を開設してから100年経ち、その不都合な部分がより顕著に表れてきたんじゃないかと思うのです。

そもそも明治維新当初の日本人は、欧米の議会制度をなかなか理解できませんでした。

たとえば福澤諭吉の著書「福翁自伝」には次のような記述があります。

~福翁自伝より~

政治上の選挙法というものが皆目わからない。

わからないから「選挙法とはどんな法律で議院とはどんな役所なのか」と西洋人に尋ねると、ただ笑っている。

何を聞くのか、わかりきったことを聞くなというようなわけだ。

それがこっちはわからないので始末がつかない。

またイギリスの議会には保守党と自由党という徒党のようなものがあって、双方負けず劣らずしのぎを削って争っているという。

何の事だ?太平無事の天下の政治上で喧嘩をしているという。

さあ、わからない。

こりゃ大変なことだ、何をしているのか知らん。

少しも考えのつこうはずがない。

あの人とこの人は敵だなんていっておいて、同じテーブルで酒を飲んで飯を食っている。少しも理解できない。

~福翁自伝ここまで~

この文章は、日本人と欧米人の性格の違いを端的に表しているように思います。

欧米人は、政治の場で喧々諤々の議論を繰り広げても、それを私生活での恩讐になったりはしないわけです。

公の場で自分の考えをしっかり主張し、お互い言いたいことを言い合い、相手の事を攻撃したりもしますが、それで個人の感情がもつれたりはあまりしないのです。

その欧米人の性格を基にして、議会という制度はつくられています。

しかし、日本人の場合は、公の場でお互い言いたいことを言い合って相手の事を攻撃したりすれば必ず感情のもつれが発生します。

また日本の場合、政党の党首が主張することに党員は原則として賛成しなければなりませんし、対立する政党の主張することには反対しなければなりません。

各議員が是々非々で判断することはできないのです。

対立する政党と似たような政策を主張していても、協力して政策を実現するよりもどこか相手のあらを探して足を引っ張ることが優先されるのです。

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●政治の崩壊を言い当てた岩倉具視の予言

明治時代、政府の実力者だった岩倉具視は、議会の開設になかなか賛成しませんでした。

岩倉はその理由として

「日本で議会などをつくれば政党同士が足を引っ張り合うだけになる」

と述べたそうです。

この岩倉の言葉は、後の日本を言い当てることになります。

というのも、昭和になってから日本が泥沼の戦争に陥っていったそもそもの原因は、政党の足の引っ張り合いだったからです。

昭和初期の政治史は、「当時は一応、政党政治が行われていたが、軍部が台頭してその政党政治も終わってしまった」という解釈がされていることが多いものです。

さも軍部のせいで、政治が乱された、というような。

しかし、政治史をちょっと掘り下げてみれば、それは誤りであることがわかります。

昭和初期の日本では、男子のみながら普通選挙が達成されており、一応、民主国家となっていたのです。

あまり顧みられることはありませんが戦前の日本が戦争ばかりの時代に突入していくのは、「普通選挙」が実施されて以降のことなのです。

そして、普通選挙が行われた昭和元年ごろ、日本の政局は政友会と民政会の「二大政党制」となっていました。

この二大政党制の泥仕合が、軍部の台頭を許すきっかけを作ってしまうのです。

昭和初期の軍部の暴走には、「統帥権」が大きく関係しています。

明治憲法では、陸海軍は、政府の管轄ではなく、天皇の直属機関というように定められていました。

これがいわゆる天皇の統帥権です。

つまり軍隊は、政府の命令ではなく、天皇の命令を聞くこと、ということになっているのです。

昭和初期の軍部は、これを拡大解釈し、政府の言うことをまったく聞かないようになったのです。

それが、満州事変以降の軍部の暴走の要因の一つだといえます。

この天皇の統帥権は、昭和に入るまでは、それほど問題はありませんでした。

表向き、軍は天皇の直属であっても、開戦などは政府が決定しており、事実上、政府が軍をコントロールしていたのです。

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●政党同士の争いが発端で軍部が暴走する

しかし昭和に入って、この統帥権を濫用して、軍部が独走を始めます。

そのきっかけを作ったのが、「政党政治」なのです。

昭和5(1930)年のロンドン海軍軍縮条約の締結の際のことです。

ロンドン海軍軍縮会議というのは、日米英仏伊の五カ国が、海軍の保有艦を制限することにより、軍縮をしようという条約です。

この条約を政府が締結したとき、政権与党は民政会でした。

当時、野党だった政友会は、今の野党と同じように、政府に少しでもつけ入るすきがあれば、徹底的に糾弾するということを行なっていました。

そして、この軍縮条約も、そういうくだらない政争の道具に使われてしまったのです。

政友会の犬養毅総裁などが「政府が勝手に軍縮条約を締結したのは統帥権の干犯である」として追及したのです。

「日本の陸海軍というのは、天皇に直属するものであり、政府が勝手に軍縮を決めてしまうのはおかしい」という論法でした。

政友会としては、それほど深謀術数があったわけではなく、野党の習性として、「いつも政府を攻撃する材料を探している」というだけの話だったのです。

しかし、この統帥権問題に飛びついたのは、軍部です。

当時、軍縮により予算を削られてきた軍部は、ここぞとばかりに「統帥権問題」を取り上げるようになりました。

ロンドン軍縮条約は、世論の後押しもあり、結局は調印にこぎつけましたが、これ以降、「統帥権」というものが大きくクローズアップされることになりました。

軍部は、政府が軍に干渉するごとに、「統帥権の干犯」だとしてこれを退けるようになったのです。

これは政党政治の自殺行為だといえます。

軍をコントロールしなければならないはずの政治家自らが、「軍は犯すべからず」などと言いだしたからです。

これが非常に危険なことであることは、当時の人々も気づいていました。

たとえば、東京朝日新聞では、「醜態さらした政友会は正道に還れ」というタイトルの記事(昭和5年9月18日)で、政友会が自ら政党政治の首を絞めていることを激しく非難しています。

現在の政党同士の足の引っ張り合いを見るにつけ、筆者は昭和初期の政治の混乱をどうしても連想してしまいます。

だからといって、議会制度を否定するとか、独裁政権がいいなどと言っているわけではありません。

現在の国民生活をおざなりにした政治制度を見直し、根本的な改善策を考える時期なのではないかということです。

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image by: Shutterstock.com

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