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せめて来世で幸せに。なぜ浄土宗は庶民に爆発的に広がったのか

もともと天皇や公家、貴族といった特別な階級の人々を救済するものであった仏教を、庶民のものへと大きく変化させたのが、浄土宗・浄土真宗です。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、古都の寺社にも詳しい著者の英学(はなぶさ がく)さんが、庶民の信仰として定着した「浄土宗」の歴史について、わかりやすく解説しています。

浄土信仰と阿弥陀仏

仏教には釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来などがいます。それぞれに仏様に対する信仰がある中、阿弥陀如来を信仰するのが浄土信仰です。阿弥陀如来は西のかなたにいる仏様です。昔から西方浄土というぐらいなので、西のかなたには極楽浄土があるとされています。そこはとても素晴らしい場所で、我々が生きる現世とはくらべものにならない世界です。苦しい現世からあの世に行ったら極楽浄土に往生して永遠の命を得るというのが人々の夢であり憧れでした。その切なる願いを叶えるために阿弥陀様を礼拝したのです。これが浄土信仰です。

浄土信仰の歴史

浄土信仰は平安時代中頃から徐々に全国に広がります。仏教では、釈迦が亡くなった後3つの時代が来ると言われていました。正法、像法、末法という時代です。

正法は仏の教えと行(ぎょう)と、修行の悟りの3つが揃っている時代です。像法は仏の教えと行だけは残るものの、悟る者がいなくなってしまう時代。末法は仏の教えだけが残り、行や悟る者がいなくなってしまう時代です。

そして、その後に待ち受けているのは滅法の時代です。釈迦が亡くなって正法、像法はおよそ1,500年と言われています。その後には末法の時代が来るとされていました。この時が1051年で、平安時代中期でした。

一昔前にノストラダムスの大予言というのがありましたね。1999年になると地球は滅亡してしまうとか言われていたのを覚えている方も多いのではないでしょうか? あの頃は、平安時代の日本ほど悲壮感はなかったと思いますが、当時も同じようなことが人々の間で言われていたのです。

平安時代中期以降に発生した戦乱や天変地異などは末法の世に突入したからだと考えられるようになりました。そのことによって、人々は益々現世の幸福を諦め、来世に幸せを託す考え方が広まっていきます。今ではちょっと考えられませんが、当時の人たちはそのぐらい生きていくことが苦だったのです。

当時京都では主に真言宗と天台宗2つの密教しか存在しない時代でした。どちらも庶民のためのものというよりは、天皇や公家、貴族といった特別な階級の人々を救済するものでした。そのため日本全国にいる庶民にひろまるようなものではなかったのです。

浄土教が現れたことで庶民の間では浄土信仰一色になっていきます。もちろん貴族たちもこぞって阿弥陀如来を本尊とした寺院を建立しました。極楽浄土をこの世に再現させた例としてあまりにも有名なのが10円玉にも刻印されている宇治の平等院鳳凰堂です。あまり知られていませんが、京都の南、奈良との県境付近にある加茂町の浄瑠璃寺という寺院も同じ目的で建てられました。平等院は貴族によって造られたものですが、浄瑠璃寺は地元の豪族と民衆の寄付によって建てられたものだそうです。京都以外の例だと、岩手県の平泉にある中尊寺などがあります。

当時、この浄土信仰を広めたとされているのは比叡山の僧・源信(げんしん)でした。そのため浄土信仰は浄土教として広まっていきました。その後、平安末期になると、のちの浄土宗の開祖となる法然(ほうねん)が浄土教の研究に努めるようになります。法然は、阿弥陀如来がいるとされる極楽浄土に往生するためには、ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えることを説きました。そうすれば、阿弥陀様は必ず迎えに来てくれるという確信を得られるようになるとの教えです。これが、鎌倉時代以降浄土宗として広まり今日に伝えられることになりました。

法然の教えは当時の民衆にとってはとても画期的なものでした。厳しい修行をしたり、難しいお経を読んだりしなくてもいいのです。「南無阿弥陀仏と唱え続ければ極楽に往生できるという新しい思想はとても新しいものでした。そして、それはそれまでの仏教の常識をくつがえす過激ともいえるものでした。

しかし、その後もっと過激な思想と共に現れたのが浄土真宗でした。浄土真宗の開祖・親鸞しんらんは法然の弟子です。親鸞は、ダメな人間も罪を犯す悪人も阿弥陀様は救いの手を差し伸べて極楽に迎えてくれると説きました。妻帯も肉食も認め、自らもそのような生活を送った親鸞の思想は権力者を脅かすほど当時は過激な思想でした。

しかし、この二人が打ち立てた思想によって、仏教はそれまで貴族だけのものだったのが完全に民衆のものになっていきます。宗教そのものが庶民のレベルに浸透していったといっても過言ではないでしょう。平安時代が終わり武士の世、鎌倉時代になると、このような新しい仏教が発達していきます。そしてそれらは、広く民衆を救済するものへと変化していく画期的な転機となったのです。

この時代は、時宗、臨済宗、曹洞宗などの新仏教も広まっていきます。臨済宗の京都最古の禅寺である建仁寺などもはじめは50年も都の中心に本山を構えることが許されなかったと言います。政治を司る権力者が皇族(貴族)から武士に移り変わる激動の時代に、人々の思想が多様化していったのです。社会が不安定化する局面で新仏教が発展していったのはある意味自然な出来事だったのかも知れません。

このような歴史を振り返ると、私たちはいかに恵まれた時代に生まれることが出来たのかということを思い知らされます。生まれ落ちて生きていくことが苦しい時代。あの世で幸せな世界に生まれ変わることだけを夢見て暮らすことが生きがいだったのです。京都にいて、寺院や仏像の数々を見ていると、それだけ苦しみから救われたいと願う人たちがいたということに気付かされます。

今でこそ、死後の世界を憧れだと思う人はほとんどいなくなりました。しかし、いまだにその存在に現代に生きる我々も救われ、癒されている瞬間はあるのです。

尊い存在というのは私たちの暮らしぶりがどれだけよくなっても変わらず受け継がれるものです。我々は過去に一生懸命に生きた人たちがもたらしてくれた恩恵のもとに存在しているわけです。恵まれた環境に感謝し謙虚な心を忘れないでいるようにしたいものですね。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 英学(はなぶさ がく) 【発行周期】 ほぼ週刊

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