環境省が発表した日本全国の名水100選(昭和の名水100選)、平成の名水100選にも選出された信州・松本市が誇る「まつもと城下町湧水群」。なかでも有名なのが「源智の井戸」です。最近では観光地としても人気ですが、その歴史は古く、松本に城下町が形成される以前から住民たちの貴重な水源として大切にされてきたのだとか。今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では、著者のUNCLE TELLさんが「源智の井戸」の歴史とその魅力について紹介しています。
信州・松本の名水、源智の井戸
江戸時代後期、豊田利忠という人の表した「善光寺道名所図会」の「源智の井戸の図」には、こんこんとわく清水で喉を潤す旅人の姿が描かれ、説明には当国第一の名水、付近の町内の飲料水のほか酒造用水として利用されているとある。豊田利忠が見聞と取材のために松本を訪れたのは1830年頃(天保年間)、当時の源智の井戸の様子を伝える史料としても貴重という。その絵では、井戸のまわりに柵を巡らし、水神を祭っている。この井戸が当時も大切に使われていたことが伺える。
松本の名水、源智の井戸は、松本市の中央三丁目、旧宮村町、通称高砂通りが瑞松寺に突き当たる手前にある。JR松本駅から歩いて15分ほどの市街の中心部にある。
松本の市街地一帯は、扇状地で丁度地下水脈が地形の上で地上に湧出するポイント(扇端といわれる)にあり、源智の井戸に限らず湧き水が豊富なのである。市街地で井戸のある家庭も多く、随所に流れる水路は多くその湧き水で実にきれいなものである。
昔から、名水として名高い源智の井戸は、城下町が形成される以前から飲用水として利用されて来た。そもそもの所有者だったのは、中世以降ここに住居を構えた川辺氏。歴代の領主は井戸を汚さないよう制札を出し保護。記録上の初見は1594(文禄3)年、松本城主石川家の家老、渡辺金内の出した文書という。源智の井戸の名は、その川辺縫殿之助入道玄智に由来すると伝えられる。町名にある源地もむろんここから来たのだろう。
明治以降になって、狭い囲いの中に記念の石碑が残っているが、1877(明治10)年、明治天皇後御巡幸んの際の御膳水になり、1933(昭和8)年長野県史跡指定、1968(昭和43)年には松本市の重要文化財に。
昭和の末年頃、さしもの井戸も枯れて来たため大規模な復元工事が行われ、それまでの地下水脈より更に50メートルほど深いところに水源を。現在の源智の井戸は、揚水量毎分500リットル、水温は平均14度前後。自噴力が強く、バルブを全開すると2メートルくらい噴き上がるとか。カルシウムとマグネシウムの含有量が多く、水質硬度113mg/Lといい、軟水の多い日本では珍しく、硬水系の天然水・ミネラルウォーターである。近くにも多くの井戸があるが、より深い地下からの湧出のため他とは水質が違うようである。
市街地の井戸は、美ケ原を源とする薄川と三才山から流れ出る女鳥羽川の伏流水といわれるが、源智の井戸は更に深い水脈の水のため、槍・穂高から発する梓川水系の水ではないかという説も。
今日も一日中、水を汲みに来る人、訪ねてくる観光客が後をたたない。マスコミでもいろいろ取り上げられ、折からの名水ブーム、それにアトピーに効く、癌にもいいのではなどとも話題になり人気は上がるばかりである。事実見ていると首都園関東などずいぶん遠くからクルマで定期的にやって来る人もいてびっくりする。
水のある風景は実にいいものである。泉の水で喉を潤す、水を汲む光景はほほえましくなごやかなものである。湧き上がり、流れ落ちる水の様相を眺めているといつまで飽きない。