自殺寸前に起きたある出来事。「奇跡のリンゴ」はこうして生まれた

 

「そうだ。この土をつくればいい。」

こうして万策尽きた昭和60(1985)年7月31日、木村さんは死を決意して岩木山に登っていった。そして偶然山中の斜面に立つ美しい木を見つけたのである。

走って近づくと、それはドングリの木であることに気がついた。しかし、リンゴの木でもドングリの木でも同じことだった。虫の音は周囲にうるさいほど鳴り響いている。病気の原因となるカビや菌もたくさんあるに違いない。それなのに、なぜこの木は農薬もなしにこんなに葉をつけているのか。

決定的な違いは地面にあることに木村さんは気がついた。雑草が生え放題で、足が沈むほど、ふかふかだった。木村さんは無我夢中で土を掘った。柔らかい土は、素手でいくらでも掘ることができた。

ツンと鼻を刺激する、山の土の匂いがした。思わず、土を口に含んでいたよい匂いが口いっぱいに広がった。「そうだ。この土をつくればいい」。

この土はここに住む生きとし生けるもの、すべての合作なのだ。落ち葉と枯れ草が何年も積み重なり、それを虫や微生物が分解して土ができる。そこに落ちた木の実が、土の深い部分まで根を伸ばしていく。

ここではすべての命が、他の命と関わり合い、支え合って生きていた。その中で生き物は、このドングリの木のように、本来の力で自分の身を守ることができるはずなのだ。そういう自然の強さを失っていたからリンゴの木はあれほどまでに虫や病気に苦しめられたのだ。

今までの自分は、農薬の代わりに、虫や病気を殺してくれる物質を探していただけのことなのだ。自分のなすべきことは、この柔らかい土を畑に再現して本来の自然の力を引き出してやることなのだ。

一心に土にまみれる木村さんの姿を、中天の満月が皓々(こうこう)と照らしていた。

8年目にとれたリンゴ

翌年は、春から大豆を播いた。大豆は腰の高さにまで育ち、リンゴ畑がジャングルのようになった。草刈りも一切やめてしまったから、大豆の下には様々な種類の雑草が生えた。その草陰で鳴く虫を蛙が追い、蛙を狙って蛇が姿を見せる。野ネズミや野ウサギまでが走り回っていた。

木村さんの畑は、急に賑やかになった。リンゴの病気も害虫も相変わらず猛威を振るっていたが、リンゴの木は少しだけ元気になった。木村さんはこう気づいた。

農薬を使っていると、リンゴの木が病気や虫と戦う力を衰えさせてしまうのさ。楽するからいけないんだと思う。クルマにばかり乗っていると、足腰が弱くなるでしょう。同じことが起きるわけ。
(『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』石川拓治・著/幻冬舎)

翌年の春先には、新しい枝が10センチほど伸びていた。何年も生長を止めていたリンゴの木が、ふたたび生長を始めたのだ。

無農薬を始めたときには、800本あったリンゴの木の半分近くが枯れていたが、残る400本余りのリンゴの木のうちの1本だけが7つの花を咲かせた

自分の畑でリンゴの花が咲くのを見るのは、ほんとうに久しぶりだった。農薬の使用をやめてから8年目、ドングリの木から得たヒントで大豆を播くようになってから3年目であった。

その7つの花のうち、二つが実をつけた。収穫できたリンゴはたった二つだった。そのリンゴを神棚にあげ、それから家族全員で食べた。

驚くほどおいしかった。リンゴ農家だから、物心つく前からリンゴを食べ続けてきたけれど、こんなにおいしいリンゴを食べたのは初めてだと思った。

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